「まさかまさかのビンゴだとはな」
目の前一面に広がる濃紺のトリブラの花畑にイグノーはにんまりと笑ったが、キースは眉間に皺を寄せた。
「ここまでの規模とは思いもよりませんでしたが」
それだけ言うと、クラリスへと振り向く。
「クラリス嬢の助言のおかげでヤツらを見つけることができました。ありがとうございます。それでは先ほど伝えたように、クラリス嬢にはここで待機してもらいます。対象者たちの小屋からは離れていますし、護衛に獣師団のビエゴをつかせますが、くれぐれも注意を怠らないようお願いします」
「……はい。ちゃんと、隠れています」
神妙な顔で頷く。
危険薬草栽培という重罪だ。違法栽培者たちも必死で抵抗してくるだろう。
クラリスはぎゅっと手に力を入れて応援の言葉を口にした。
「あ、あのっ、お気をつけてください」
キースは軽く頷くと騎士や獣師団員たちへ檄を飛ばす。
「騎士団員は小屋の周りを囲み、合図で一斉に突入。危険薬草に耐性のある獣師団は外へ逃げ出した者を捕獲。わかったな。絶対に逃がすな!」
「はい!」
騎士団員たちはトリブラ対策として布で鼻と口を巻くと、危険薬草栽培者たちの捕縛へと向かった。
キースにイグノーが引きずられていった後で彼らが話し合いをした結果、林を抜け山際の領域まで捜索の手を伸ばすこととなった。馬車はそこまで乗り入れが難しいということで、その日は野営し次の朝早くからクラリスも一緒に徒歩でむかうことになる。
途中イグノーを筆頭に獣人の何人がクラリスへと声をかけ何かと面白い話を聞かせてくれたのだが、その中には今回の禁止薬物生成の調査に第五中隊や獣師団までもがルバック伯爵領まで派遣された理由もあった。
最近王都では危険薬草であるトリブラの取引が活発化し始めているそうだ。
量的にもどうやら違法に栽培されているものらしく、摘発に騎士団が動き始めた頃、フランクからのトリブラを使用した禁止薬物生成の報告を受けたため、ルバック伯爵領へ中隊と獣師団が組み調査へと来たということだ。
そうしているうちに獣師団の中でも鼻がきく犬獣人のビエゴが怪しい匂いに気がつき、辺りを捜索していると、ご丁寧に木々で覆われ人が入れ込んでこれないような隠蔽魔法までかけられていた場所が発見されたのだった。
『種子が飛んだ……いや、もしかしたら商品として運んでいる時に落としたものを拾ったのかもしれませんね』
キースはフランクがトリブラの花を見つけた経緯を考え付けたようだったが、正直クラリスにはもう考えたくもないことだ。
ただ、クラリスを排除するための嘘が、こんなに大掛かりな摘発に及んだことにもやもやとしてしまう。
あとは今から危険薬物栽培をする者たちを取り締まろうとするキースたちの安全が心配なだけ。
(どうかケガをなさらないように……)
クラリスが両手を合わせて無事を祈っていると、魔法の狼煙が打ち上がった。それと同時に隠蔽魔法が解かれ獣師団員が咆哮を上げる。
あちらこちらで剣の交わる音や怒声が飛び交う。
生まれて初めて浴びる争いの空気に、クラリスは完全に固まってしまう。
ビエゴが心配して何かと声をかけてくれる中、「証拠を消せ! 火を付けろ!」という怒鳴り声が響いた。
途端、バスッ、バスッ! と何かが爆ぜるような音がしてトリブラの花畑に炎が立つ。
(ああ、トリブラが! 証拠が燃えてしまう!)
「ひゃああ! 何してるんですか、クラリス様⁉ 動いちゃダメですって!」
ビエゴが止めるのも聞かず、クラリスは花畑に向かって走り、花を二、三本掴むと一気に引き抜いた。
(これでとりあえず証拠は大丈夫……え?)
安心したのもつかの間、クラリスの目の前を炎が襲う。
体の近くでチリリと何かが燃える音が聞こえた。焦げ臭い匂いも感じる。
(……怖いっ!)
その場にへたり込んでしまったクラリスを庇うように現れたキース。
「〝千日の
彼の口から紡がれた呪文が一瞬で炎を消し飛ばした。
さあっと一気に霧が晴れたかのように、ついさっきまで感じていた熱気ですら跡形もなくなっている。
(え? 嘘! まさか炎を炎で、焼き尽くしたの?)
クラリスが呆けているうちに、「制圧完了ーっ!」というイグノーの声が響いた。
周りを見回すと、騎士たちに捕縛された者たちが転がっている。
終わったのだと安心したがすっかり腰を抜かしてしまったクラリスは、キースに手を差し伸べてもらい立ち上がることができた。
キースの温かな手を掴み、ようやく声が出せるようになる。
「あの、助けてくださってありがとうございます。キース様」
「動かないようにと言ったでしょう! ケガをしたらどうするつもりだったんですか⁉」
しかしキースからビリッと空気が冷えるような大きな声で叱られ、思わず体が縮み上がった。
初めて聞いたキースの怒鳴り声に少し涙目になってしまう。
勝手に動いて迷惑をかけてしまった。怒られて当然だ。
そう考えれば考えるほど、キースを失望させてしまったのではないかと思い、涙がこみ上げてくる。
「す……すみません」
唇を噛みしめこらえていると、急に目の端でビエゴがふぬけたように寝転がっているのが見えた。
「え、あ? ビエゴさん、大丈夫ですか⁉」
「へぁあ? ううん、らいじょーぶ、ううん、うん」
明らかに呂律が回っていないうえに焦点が全く合っていない。
(まさか、トリブラの花の毒性⁉)
「全然大丈夫じゃないです! あのっ、キース様、ビエゴさんが、急に……っ⁉」
キースに助けを求めたその時、クラリスは急に自分の肩に重さを感じた。
「ん? あ、ああ……ううん」
「キ、キ、キース様っ⁉」
突然キースがクラリスに寄りかかったかと思うと、なぜか肩に鼻をすりつけてきた。
すりすりとキースの顔が動く度に、銀色の髪が頬に当たる。意外と柔らかい。
くすぐったい気もするが、困惑の方が大きすぎて身動きがとれなくなってしまった。
何が起こっているのかわからなくて、何を言ったらいいのか見当もつかない。ただ、壊れたお喋り魔法人形のようにキースの名前を呼ぶクラリス。
「キース様、あの……キース様?」
「んー? うん。あ、クラ、リス嬢……」
「そうです、クラリスです。だ、大丈夫ですか? どこか具合でも悪くなりましたか?」
呼びかけに答えてくれたことにホッとする。しかし、それでもなおキースはクラリスの体から離れようとしない。
それどころか——
「……あああ。もっと、こち、らへ」
「なに、か? って……あっ?」
クラリスは首元に軽い痛みを覚え、驚いた。
「キ、キ、キースッ様っ! な、な、な、なに、をっ⁉」
クラリスの首に熱い吐息がかかる。そして何度も何度も食むように繰り返される甘噛み。
クラリスはひゅうっと息を呑んだ。
(う、嘘でしょっ! 私、今! 首を、キース様に……か、噛まれているのぉっ!!?)
ハグハグと唇が触れる度にキースの歯が当たる感触に、クラリスは声にならない声を上げる。
一瞬で沸騰したように顔が熱くなる。
その状態になってようやくイグノーがキースの異変に気づいた。
直後、耳にちゅっというリップ音が響く。クラリスは「あ」と一言だけ残すと、そのまま意識を手放してしまった。