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第3話 銀髪の騎士と虎獣人

 クラリスを乗せた馬車は、まずルバック伯爵邸から北の林へと向かった。フランクが最初にトリブラを見つけたとクラリスへ教えた場所だ。

 騎士たちが皆、棒を片手に草を分けながら周りを探すが収穫は全くない。

「トリブラは見当たりません」

 キースは息苦しくなったのか口元を隠す布を指で浮かしながら馬車の横で待つクラリスの元へきて言った。

「栽培後の痕跡どころか、花びら一枚も」

「そのようですね」

 違法栽培などしていないことはクラリスが一番良く知っている。

 おそらく、いや確実に禁止魔法薬生成の報告は、フランクがクラリスを貶め、彼女との婚約破棄をするための口実にすぎなかったのだと思った。

 フランクにとって予想外だったのは、騎士団が中隊を引き連れクラリスに確認を取りに来たことだろう。

 だから焦り盛りすぎたのだ。クラリスへの罪状を。

(調査員が一人二人だったのなら、お金でも渡して私を禁止薬物所持程度で有罪にできるとでも思ったのではないかしら?)

 フランクのことを考えると、「各自、間を取りつつもう少し奥まで捜索を」と指示するキースに、申し訳なさを感じるほどだ。

「実は一応、ひと月前にフランク様からトリブラの花のことを聞かされた時、私も確認しに来たのですが、その時にも花は見つかりませんでした」

 さすがにこの場所はフランクから聞いた後すぐにクラリスも調べていた。もし他にも花があったのであれば即焼却しなければならないからだ。

 その時点でもフランクが持ってきた一輪以外は見つからなかったし、今現在も影も形もない。

「ただ、あの後で少しおかしくはないかと思ったことがあるのですが……」

 クラリスが頬に指を置いて首をかしげる。

 そう、あの時はトリブラを領民が間違って手にしないように、そして早く王都へ報告をしなければならないという考えで頭がいっぱいだったため、あまり深く考えることをしなかった。

 クラリスの言葉に、キースは顔に巻いていた布を顎まで下げた。

 きりりとした口元にスッと通った鼻筋があらわになると、切れ長の透き通るような青い瞳と光に煌めく銀髪が合わさり、キースが大変な美青年だったことがわかる。

(まあ! てっきり傷か何かを隠しているのかと思ったのに違ったのね)

「おかしいとは?」

 その美しい顔を急に近づけられ、クラリスは思わずのけぞってしまった。

「……っ、はい。ここは本来トリブラの生育状況には向かない場所です。寒暖差が激しく日差しや強く紫外線が多いなどの条件にも当てはまらなくて……本当にここに咲いていたのかと。もしかしたらもっと奥の方、山際の領境に近い場所なのではないでしょうか?」

「つまりブリオール伯爵令息が嘘を吐いた、と」

「そうとは言い切れません。それにここはフランク様……ブリオール伯爵の領地というわけではありませんから間違えた可能性もありますし」

 嘘だと言い切れるほどではなかったため言葉を濁したが、キースは思い出したように軽く眉を寄せた。

「そういうことにしておきましょう。少し話を聞かせてもらっただけでしたが、彼は随分ともの覚えが悪いようでしたので」

(まあ、酷い言い方。……でも)

 キースの至極真面目な顔から飛び出した辛辣な言葉に、少しだけ溜飲が下がりクスッと笑いがもれた。

「自分が何か面白いことを言いましたか?」

「あっ、いえ。……その」

 おどおどと下を向くクラリスに、キースはサッと手を差し伸べた。

「言いたいことがあれば遠慮なさらずどうぞ。常日頃、自分にはユーモアのセンスがないと言われているので気になっただけですから」

 さらに生真面目な声でそう言われてしまうと、どう答えていいかわからなくなる。

(どうしましょう。少しばかりいい気味だと思っただけなんて言えない……)

「ええと、その……」

 クラリスが言い淀んでいると「ぎゃははは」と、大きな笑い声が飛んできた。

 声のした方へ顔を向けると、騎士服姿に虎の頭を載せた獣人が近づいてくる。陽気な足取りとは対照的に、その顔左半分と鼻は皮のマスクで覆われている。

 呆けるクラリスをよそに、横に立つと虎獣人はキースの肩をバンバンと叩いた。

「俺はそういうお前のセンスは好きだがな」

「イグノー。お前が自分に言ったんだ」

「そう? そうだったかな?」

 おどけたようにあひゃあひゃと笑うイグノーと呼ばれた虎獣人は、クラリスに気がつくと「や!」と手を上げて目尻を下げた。


 獣人——それは一部の獣が人型へと進化した生き物であり、獣の顔やその種の特徴を持つ者たちの総称である。

 獣に近い外見と魔法を使うことができない体質のせいで人から迫害されていた時代もあったが、彼らの持つ高い身体能力のおかげで生き延びてきた。

 現在でも隣国グストレム王国のような人至上主義の国では奴隷扱いを受けるなど迫害の対象になることもあるが、クラリスたちのアリアテーゼ王国では、先々代国王の施策により七十年前から人も獣人も分け隔てなく暮らすことができている。

 官僚や一代貴族などにも任命される者も出始めているくらいだ。特に獣師団と呼ばれる、獣人たちで結成された隊は、騎士団とも連携し王国の治安維持の一翼を担っている。


 キース率いる第五中隊もイグノーと一緒にやって来た獣人たちとごく普通に会話を交わしていた。

 しかしそんななごやかな挨拶の中、一人固くなるクラリス。

(獣人……初めて見たわ)

「おっと、貴族の嬢ちゃんを前に失礼したな。獣師団隊長のイグノーだ。こんな顔だが結構いいヤツなんで、そーんなに怖がらなくても大丈夫だぞ」

「自分で言うな」

 顔のマスクを指して笑うイグノーに、真顔で突っ込むキース。

 顔は確かに獣だが、中身は気さくなお兄さんという態度にようやくクラリスの緊張も溶ける。

「クラリス・ルバックと申します。あの……怖い、とかではなく、獣人の方とお目にかかったのが初めてだったもので……失礼をいたしました」

「初めて? 今どき?」

 クラリスが頭を軽く下げると、不思議そうにイグノーが尋ねる。

「はい。ルバック伯爵領にはなぜか昔から獣人の方々が居つかないようです。今も住人としては一人も住んではいらっしゃいません」

「あー、なんでか獣師団の連中もこの辺りを嫌がんだよ。特に伯爵邸に近づけば近づくほど変な匂いがして気分が悪くなるみたいで。だから途中から合流することになったんだけど」

「そう、なのですか?」

(変な匂い……ルバック領にはそんなに獣人が嫌がる匂いがあるのかしら?)

「俺は鼻がこんなんだから匂いがわからねえんだが。キースも結構やばかっただろ? 鼻に布をぐるぐる巻いて匂い除けしてたもんな」

「え?」

 あの布にはそんな理由があったのかと、クラリスは思わずキースの顔を見た。しかしキースは全く動じずに答える。

「不調法をして申し訳ありませんでした。自分は獣人とのハーフなので、人よりも匂いに敏感なところがありまして」

「あ、いえ。そんなことは全くありません」

(むしろキース様は私のことを色眼鏡で見ないでくださったわ)

 普通の人に見えても、婚約者相手に冤罪を仕掛けあっさり裏切るような人もいるということを知ったクラリスは、キースが人であれ、半獣人であれどちらでも関係ないと思う。

 気持ちを表すように、にっこりと笑ってみせる。

 表情の変わることのないキースだが、なんとなく空気が柔らかくなるのを感じた。

 そこへイグノーが顎をぽりぽりと掻きながら聞いてきた。

「でも嬢ちゃんは伯爵家のご令嬢だろう? なら王都にくらい行ったことがあるだろうよ。やっぱ都会は便利だからか、今じゃ獣人も普通に生活してるぜ」

「あ、その……家庭の事情がありまして、一度も」

 成人しているにもかかわらずクラリスは、妹のビアンカが寂しがるからという理由で王都どころか、他の領地にすら連れていってもらったことがなかった。

「一度も⁉ 若いご令嬢が? そりゃあねえ!」

 本当にその通りだと、今ならそう感じている。

 いくら妹が病弱で可哀想だからといって、姉に楽しいことをさせまいと我慢を強いる。

 本来ならば社交界デビューをして王都での舞踏会で婚約者とダンスを踊るくらいのことがあってもいいはずなのに、それすらも一度たりとも叶わなかった。

 クラリスにとっては舞踏会など華やかな場所は、ただの夢物語でしかなかったのだ。

 イグノーの言葉に自分の生い立ちがどれだけ不自然だったのか思い知らされ、気恥ずかしさを感じて顔が赤くなる。つい下を向いてしまうと、キンッと刺すような声が頭の上で響いた。

「イグノー、そこまでにしておけ。人の家庭の事情にお前が踏み込む必要はない」

「キース様……」

 キースの冷たい声に驚いたイグノーは「お、おう」と頷くと、襟首を掴まれた。

「捜索範囲を検討するため、少々席を外します」

 それだけ告げると、返事も待たずにイグノーを引きずるように林の奥の方へと連れて行ってしまった。

(かばってくださったのよね……)

 クラリスが受けた仕打ちを一部始終見ていたキースが気を利かせてくれた。それだけでクラリスは心が温かくなるのを感じた。


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