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第2話 挨拶もないさよなら

 ふらつきながらクラリスが顔を上げると、中隊長と呼ばれていた銀髪の騎士キースがもう一度声を上げた。

「よろしいですか。我々騎士団は、確かにルバック伯爵令嬢の話を聞きとりにきました。けれどもそれで彼女の罪状が決まったというわけではありません」

 顔の半分を隠しているため生憎と目元しか見えないのだが、眉間の皺がいっそう深くなっていることからして相当気分を害しているだろうことがわかる。

 思いがけないキースの言葉に、ご機嫌をうかがうようにフランクが尋ねた。

「え? あの、しかし、禁止薬物の生成は重罪、ですよね? 危険薬物栽培だって……」

「勿論、我々の国は遵守されるべき法があります。ですが、一方の報告だけで話も聞かず調べもせずに罪に問うというのならば、それこそ法の崩壊です」

「でも……」

「そもそも、報告に間違いがあったとしたらどうでしょうか?」

 フランクの言葉をズバッと遮った。

「ブリオール伯爵令息からの最初の報告では、禁止薬物の生成をしている者がいるということでしたね」

「あ……はい」

「それが突然危険薬物栽培の告発までとは、どういうことでしょうか。これでは単純な聴取だけですむことではありません。場所を特定し、いかにして栽培しているのか、周囲の状況まで全て調査を行わなければなりません」

「そ、それは……ですが……っ」

 キースの言葉に酷く慌てるフランクと、それをきょとんとした顔で見つめるビアンカ。両親たちもどこか気まずそうに視線をそらした。

「ねえ、フランク。いったい何を言っているの? 結局お姉様は捕まるのでしょう?」

「あ、ビアンカ……今はちょっと待っていて……」

 空気も読まずに口を出すビアンカを押さえる。そんな様子を気にもせずキースは続けた。

「騎士団にルバック伯爵家の内情まで口を出す権利はありません」

 冷えきった声にその場がシンと静まる。

「しかし、トリブラの花の件については別です。場合によってはルバック伯爵家やブリオール伯爵家にも調査が入るかもしれませんが、その際はご協力願います」

「え? あの……中隊長様……」

「クラリス嬢、邸内と領内の調査、および王都での報告にご協力願いますか?」

 フランクの問いかけも無視し、キースは支えていた手を離しクラリスに向かい合うと、彼女を真っ直ぐと見すえて言った。

 ルバック伯爵令嬢とではなく、クラリス嬢と名前で呼ばれたことになぜかほっとした気持ちになる。

「……はい、わかりました」

「ご協力に感謝いたします。それでは大変申し訳ありませんが、邸内の調査を済ませ次第こちらを立とうと思いますので、荷物を準備してきていただけますか」

「え? い、今から……ですか?」

「必要最低限でかまいません。足りないものは道中で揃えますから」

 それだけ言うと、キースは部下たちに指示を出し始め、有無も言わせないほどサクサクと進めていく。

 騎士団中隊長の言うことに異は唱えられない。クラリスは準備のために扉に手をかけた。

 後ろから「協力ってなに? なんでお姉様が騎士団と一緒に王都に行くの? 捕まるのじゃなかったの?」とフランクを質問攻めにするビアンカの声が聞こえる。

 慌てて取り繕うフランクと両親の声を聞きながらクラリスは静かに応接室から出ていった。

 あまりにも突然の話に驚きはしたものの、もしフランクの報告を額面通り取られていればクラリスが受けるのは調査協力による同行でなく強制的な護送になる。

 だからこの提案はむしろクラリスにとっては最大限の配慮をしてもらえているといってもいい。

 クラリスは小走りで自室へ戻ると鞄の中に急ぎ下着やいくつかの着替え、そして魔法薬の本を無造作に放り込んだ。

 それほど大きくもない鞄に詰め込まれた荷物を見ると、本当に自分のものだと言えるものの少なさが、あらためてビアンカとの差なのだと思い、ふと寂しさを覚えた。

 軽く頭を振り、最後にこれだけは忘れてはいけないとクラリスが手に取ったのは、化粧台の上に置いておいたお守り袋。

「そうだ、〝お護り様〟には挨拶していかないと」

 それからそう呟くと窓を開けた。自室のある二階の窓を覆うほど枝を張り出す大きな一本の木が見える。

 クラリスが〝お護り様〟と呼んだその大樹は、ルバック伯爵家のシンボルツリーともいえるもので、樹齢は二百年とも三百年とも言われるほど古い。ルバック伯爵邸が建てられるずっと前からこの地に根を下ろしていたため、領民は昔からこの大樹の枯れ枝を使い、お守りを作り身につけるのが慣習となるほどだった。

 クラリスは自分のお守りを握りしめながら〝お護り様〟に囁いた。

「〝お護り様〟すみません。……しばらくの間留守にします。どうぞルバック伯爵領に変わらぬご加護をお願いいたします」

 しばらくの間と言ったものの、自分がどのくらいでここへ戻ってこられるかなど見当もつかない。むしろ婚約者から冤罪をかけられ、婚約破棄もされたうえ、妹に乗り換えられたのだ。

 戻ってきたところでクラリスが今までと同じように暮らしていけるなどと、今はとてもではないけれど考えられない。

(それに、トリブラの調査がどうなるかもわからないものね)

 キュッと下唇を噛みしめ、お守りを服のベルトに付けると、クラリスは〝お護り様〟へと静かに頭を下げた。


 荷物をまとめたクラリスが応接室へ向かう途中、団員と話をしながら歩くキースを見つけ声をかけた。

「あの、準備ができました。ええと……中隊長様」

「……随分と早かったのですね、クラリス嬢」

「えっ⁉ それが荷物?」

「ダイム!」

 横からひょいっと顔を出したダイムという名の丸顔の騎士の言葉に、ピクリと眉を顰めるキース。

「はい。……何か問題が?」

 両手で抱えられるほどの手提げ鞄に、何かおかしかったのかしら? とクラリスが首を傾げていると、キースの隣でダイムは「ああ」と納得したように、無邪気に笑った。

「いくらなんでも小さい鞄だと思ったけど、空間魔法付与の鞄なのかあ」

「いいえ。その、普通の鞄です……」

 クラリスの答えにダイムは目を丸くした。おそらく、伯爵令嬢であるクラリスの荷物が必要最低限とはいえこれほどまでに少ないとは思わなかったのだろう。

 いくらなんでもこれはー……と呟くダイムに向かい、クラリスは慌てて説明する。

「あ、で、でもっ、私は生活魔法、洗浄魔法も使えますから着替えもそう数はいりません。それに……本当に必要なものは全て持ってきていますから」

 そうクラリスが言うと、キースは何かを悟ったように軽く頷く。

「こちらも調合室の方を調べ終わりましたが、禁止魔法薬および危険薬草の類いの検出はありませんでした。念のため調合済みの魔法薬と調合道具も運ばせていただき、王都にて詳しく調べさせていただきますが、問題はないでしょう」

「わかりました」

「それならば早速ですが荷を積み込み次第出立したいと考えています。ブリオール伯爵令息からトリブラの採取場所等の聞き取りをしていたのですが、どうにもはっきりとしないことが多いようですので」

「そう、ですか」

「ですからクラリス嬢にもトリブラが〝栽培されていた〟と証言のあった現場を確認していただきたいのです」

「はい。大丈夫です」

 少しだけ応接室へと目を向けたクラリスだったが、「ご家族に挨拶をされていきますか?」というキースの問いに、静かに首を振った。

(きっと、今頃は皆ビアンカの体調を心配しているだろうから、私のことなんて気にしてもいない)

「……このまま行きます」

「そうですか。それでは正面玄関でお待ちください」

 キースの言うとおりに廊下を抜け、玄関をくぐるとすでに馬車が横付けされていた。

 荷物の積み込み準備をしていた騎士団員に乗るようにうながされ、鞄を胸に抱えながらクラリスが乗り込もうとしたところ、突然手の中の鞄がふわりと浮かんだ。

「中隊長様⁉」

「さあ、クラリス嬢」

 真顔でクラリスの鞄を左手に持ち、右手をそっと差し出すキース。あまりに自然なエスコートに戸惑ってしまう。

(こんなこと、フランク様にもほとんどしてもらえたことなかったわ……)

 今さらながら元となった婚約者の手や目は、いつも病弱なビアンカの方へ向いていたことに気がつく。

「あの、大丈夫です。自分で持てますから。中隊長様にこんなことをさせてしまっては申し訳ありませんので」

「なんの問題もありません。それから、自分のことはキースとお呼びください」

「キース中隊長様?」

「いいえ、ただのキースで結構。王都までの道中の責任者となりますので、何かありましたら自分に言ってください」

 ぺこりと頭を軽く下げると、キースは背を真っ直ぐに伸ばしたまま馬車から離れていった。

 顔は半分隠したままなので表情はうかがえないが、色眼鏡でクラリスとビアンカを見比べることのない彼の誠実な態度には随分と救われた。

「……キース様」

 クラリスは両手をぎゅっと握りながらキースが歩いていく姿を馬車の中から見つめていた。

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