ルバック伯爵家の応接間。魔法薬の調合途中、侍女からお急ぎくださいと呼ばれたクラリスが入室した時には、すでに両親、妹のビアンカ、そしてクラリスの婚約者であるフランク・ブリオール伯爵令息がソファに座っていた。
その回りを騎士団員が数名取り囲んでいる。
「あの……これは、いったい?」
驚くクラリスの前に、眉根をきつく寄せた銀髪の騎士が立った。
鼻から口までを布で覆い隠しているので目元しか見えないが、切れ長の青い瞳がとても美しいとクラリスは思った。
その布越しに低く抑揚のない声がクラリスに向けて発せられる。
「クラリス・ルバック伯爵令嬢ですね。騎士団第五中隊長のキースと申します」
「は、はい。ようこそいらっしゃいました。私がクラリスです、が……騎士団の方がわざわざこんなところまで、どういったご用件なのでしょう?」
「ルバック伯爵令嬢、貴女には禁止魔法薬生成の容疑がかけられています」
クラリスは全く意味がわからず、きょとんと大きく目を開けた。
「……え?」
「容疑を全て認められるとういのならば我がアリアテーゼ王国の法に則り、王都司法の場にて裁判を受けることになります。否認されるのでしたら、まずは騎士団にて邸内の調査と聴取を受けていただきますが、もしもその結果、禁止魔法薬の生成が確認されるようであれば、直ちに我らと王都へご同行していただきます」
淡々と告げられる言葉にクラリスは周りを見回すが、家族の誰も彼女と顔を合わせようとしない。
いったいどういう状況なのだろうか?
それすらもわからないのに、まともな返事などできるわけがない。
ただ、禁止魔法薬生成という言葉が頭の中をぐるぐると回る。
(でも待って……禁止魔法薬だなんて! 嘘でしょう? そんなものは作ったことなんてないわ……いったいどうしたっていうの?)
「ルバック伯爵令嬢?」
「……あっ、はい。いえっ! ち、ち……違います! 私は確かに魔法薬を作ってはいますが、普通によくあるもので。そんなことは……」
――していません。
首を振り、そう答えるつもりだった。しかしそれを否定するように男性の大きな声が被せられた。
「クラリス……っ! 認めるんだ、もう全てわかっているんだよ!」
「……フランク様? あなた、何を?」
婚約者のフランクの声に驚き彼を見つめる。
大げさに手を広げソファから立ち上がったフランクは、クラリスの方へ指を差すと銀髪の騎士キースへと顔を向けた。
「中隊長様、このクラリスが危険薬草を所持していたという証拠はこちらに用意しました。どうぞ確認ください」
「フランク様……それは、トリブラの花ではないですか!」
差し出されたフランクの手には、布に包まれ乾燥したトリブラの花があった。
キースは、他の団員とも花を確認すると軽く頷く。そうして再度クラリスへ目を向け「ルバック伯爵令嬢、間違いございませんか」と繰り返した。
一見すると可憐でなんの害も無いように見えるトリブラは、幻覚作用を引き起こし、中毒性が高い。王国内では一般に流通どころか普通の薬師では所持すら禁止されている花だ。
花から根まで全てに強い毒性を持つため、野生の花を見つけたのならば根から引き抜き焼却後、王都の薬師ギルドを通じて報告の義務もある。
だからひと月ほど前、何も知らないフランクが濃紺のトリブラの花を手にしながら『ビアンカにもみせてあげたくてね。ビアンカは綺麗なものが好きだろう?』と言ってきた時にクラリスはしっかりと説明し、その手続きを取った。
いや、取ったはずだった——。
「フランク様、あの時にトリブラの花は焼却処分したと……それに、私が作った書類はあなたが王都への手紙と一緒に急ぎ出しておいてくださるとおっしゃいましたよね……」
顔を真っ青にしながらクラリスはフランクへ確かめる。けれどもフランクは彼女を一瞥すると、ハッと息をはいて首を竦めた。
「まだそんな嘘を重ねようというのか、クラリス。僕はそんなことを言ったことはない」
「そんな……だって!」
「ただ僕は、君が人目を避けるようにしてこの花を摘みに行ったのを見て、何か怪しいと感じたから調べたんだ。そうしたら……ああ、神よ! 所持だけならばまだしも、危険薬草栽培まで手を出していた。まさか僕の婚約者が、このような毒花を育てていたなんて……まさかっ!」
唇をぐっと噛みしめ、打ちひしがれたように下を向くフランク。そこに、今まで黙ってソファに座っていた妹のビアンカが立ち上がり寄り添う。
「大丈夫、フランク?」
「ああ、ビアンカ。大丈夫だ。みっともないところを見せてしまったね。しかし、君の姉さんの犯した罪の重大さに、僕はどうしても黙っていられなかったんだ」
そう言ってフランクは力なさげに笑った。ビアンカはピンクの頬をぷうっと膨らませる。
「あら、でもお姉様が悪いことをしたのでしょう? だとしたらフランクのせいではないわ。いけないことをしたのなら、責任はちゃんととらなければならないのは当たり前のことよ」
何をもって、クラリスが悪いと言い切っているのだろうか。
全く身に覚えのない罪状をつきつけられたあげく責任を取れなど。
「本当に違うの! ねえ、信じて。私は……」
「お姉様は昔からいつもそうしてご自分の都合のいいことばかりおっしゃるのね」
「そんなこと……」
「私が熱を出して退屈していても大人しくしなさいとベッドに縛りつけたり、咳が止まらなくて苦しんでいても嫌なお薬を無理やりと飲ませたりしたもの。ご自分は健康だからと言っては私のこと蔑んで」
病人の介護として当たり前のことを言われてしまい戸惑うクラリス。
むしろビアンカのためにしたことだったのにとショックを受ける。
「そんなふうにお姉様が小さな頃から私のことをお嫌いなことは知っていたわ……悲しいけれど。でも、だからといって私をいじめるだけじゃなく、お父様やフランクにも迷惑をかけるようなことをするだなんて……」
ああ。と嘆きビアンカは顔に手を当ててフランクにしなだれかかる。
「大丈夫かい? ビアンカ」
「フランク様、私は本当に何もしていないの! それにビアンカ! あなたのことをそんなふうに思ったことなんて一度も……」
「まだそうやって嘘を吐くの?」
ビアンカの言葉にクラリスは全ての言葉を呑み、静かに首を振った。
「ねえ、お姉様。……私、とても心が痛むわ。痛くて、痛くて、死んでしまいそうなくらい。
——全部、お姉様のせいで」
ビアンカが苦しそうに胸に手を置くと、父親であるルバック伯爵が苛立ったように膝を叩いた。
「クラリス、なんとか言ったらどうなんだ! お前は本当にビアンカのことをそんなふうに扱っていたのか⁉ くそっ! ビアンカやフランクがここまでお前のことを思って言ってくれているというのにお前というヤツは」
「ああ、可哀想なビアンカ。大丈夫、お母様がついていてよ。……クラリス、これ以上ビアンカを悲しませないでちょうだい。ビアンカにとってはね、心臓に負担がかかることが一番良くないのよ」
両親がクラリスに向けたいまいましげな睨み顔を見て、すうっと血の気が引いていった。
ルバック伯爵領は国境に接する辺境伯領の隣、アリアテーゼ王国の中でも田舎と呼んでもさしつかえない地域。農産物の自給率は高いが、それ以外の物資や人材は慢性的に不足気味という環境だった。
そんな状況下のルバック伯爵家に病弱なビアンカが生まれたのは、クラリスが二歳の頃。
気がつけば咳き込み、熱を出す。油断しようもないほど体が弱い。それでも少しでも体調が良くなれば薔薇のように頬をピンクに染めながら笑う可愛いらしいビアンカ。
両親はそんなビアンカを不憫に思ったのか、彼女が喜ぶためならばなんでも言うことを聞いてあげたし、少しでも過ごしやすくなるよう心を砕いた。
羽根のように軽く暖かな布団に、王都からわざわざ取り寄せた美しい天蓋ベッド。体に障ってはいけないといい、肌に触れる寝具や寝間着は最上級のシルクで揃えた。
かいがいしく面倒を見る両親。自分たちが忙しい時でも常に誰かがビアンカの側に付き添うようにする。
目に入れても痛くないとはこのことだろうと、誰もが感じるほどだった。
そうなれば『あなたは丈夫だから』と放っておかれていたクラリスは、両親の愛を一手に受けるビアンカのことを羨ましいと思い疎外感を覚えるのも当然だろう。
クラリスは自分の魔力を感じられるようになると、気を紛らわすよう一生懸命に魔法を学び、年に二度ほど伯爵領にやって来る薬師に手ほどきを受けながら魔法薬を作れるまでになった。
最初はビアンカのためになることをすれば、両親が一時でもクラリスを見てくれる。そんな少しだけずるい考えを持って始めた魔法薬作りだった。
実際、クラリスの作った魔法薬が良く効くとなると、両親たちはそこで初めてよくやったとクラリスに笑顔を見せてくれるようになる。
クラリスはそんな些細な言葉に喜び、それが彼らの愛情だとしがみついた。そしてよりいっそう魔法薬の調合にいそしんだ。それなのに——。
(お父様もお母様も、私が罪を犯したかどうかなんてことよりも、ビアンカを悲しませることを責めるなんて……)
可愛いビアンカ、可憐なビアンカ。きっと誰もが愛さずにはいられない。
ビアンカのように愛されたいとはクラリスも思ってはいなかった。ただその何分かの一ほどには愛されているのだと思いたかった。
けれどもそれすらも自分には分け与えられる存在ではないのだと、冤罪をかけられている状態でわからされてしまった。
クラリスはぎゅっと目をつむり力なくうなだれる。そこへフランクは追い打ちをかけるように言い放った。
「クラリス、君とはただいまをもって婚約を破棄させてもらう。実の妹を蔑み妬むだけでなく、王国法を犯すような犯罪者とは結婚できないね」
「……え⁉」
「君は魔法薬の研究に明け暮れて、領主夫人になるという責任感が希薄だと感じていたんだ。社交どころか着飾ることもしない、かわいげのない君のことを、元々僕は愛せる自信はなかったよ」
「でも、それは……」
誰もクラリスに教えてはくれなかった。
ビアンカの看病や薬を作ることだけがお前の存在意義とばかり、それ以外のことは本当に放っておかれた。
フランクは言葉に詰まるクラリスを一瞥し、隣に立つビアンカの手を取り唇を落とした。
「世界で一番美しい、ビアンカ。僕が君に婚約を申し込んだら受け入れてくれるだろうか?」
ビアンカはそれが当然というように、にっこりと微笑んで頷いた。
「ええ、いいわ。私、フランクと結婚してあげる」
慌てて立ち上がりかけた父親が、ビアンカの返事を聞き思いとどまる。一瞬で判断したのだろう。元々クラリスと結婚し、ルバック伯爵家に入る予定だったフランクだ。ビアンカが良いと言うのならば問題はない。むしろ、確実に可愛いビアンカがルバック家に残るのなら願ったり叶ったりだと。
突然ニコニコと笑い合う自分以外の家族の姿に、まるで出来の悪い芝居か何かを見ているかのような気持ちになる。あまりのことに引いた血の気が戻らず、クラリスはふらつき倒れそうになった。
瞬間、クラリスの肩を支えた人物から、酷く冷たい声が発せられた。
「いい加減にしないか。先ほどからのあなた方の所業は見るに堪えられないのだが」