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短編盛り合わせ・恋の卵
真朱マロ
恋愛現代恋愛
2025年01月15日
公開日
2.1万字
連載中
恋の始まりや、恋に関する一瞬の盛り合わせ。
基本は一話読み切りか、数話で終わる恋の短編集なので、気軽にお楽しみください
ハッピーエンドやここから始まる系が多め

別サイトにも重複投稿しています

恋に落ちる五秒前 ~ レモンウォーター ~

 思わず膝を抱えて、泣いてしまった。

 ベンチにこもって泣くなんて、情けないとは思う。

 県大会の予選で転倒してしまったぐらいで、たそがれてしまうなんて。


 自分のせいじゃない。

 800m走で混戦から抜け出そうとしていて、目の前の選手が転びそれに巻き込まれたのだ。

 右足をくじいてしまって棄権するなんて、それほど珍しい話でもない。

 だけど、あんなに練習したのに! という思いが消せない。


 ああ、もうやだな。

 そんな気持ちが止まらなくて、本戦の応援をする気も起きなくて。

 タオルをかぶったまま、閉会式まで泣こうかな。

 それでいいのかもしれない。


 不意に、ふわりと風が動いた。

 ピタリ、と冷たい物が腕に押し当てられた。

 無視したかったけれど、強引に握らせようとするので、顔をあげる。


 山崎君がいた。

 短距離走の選手で、もうしばらくしたら最終レースが始まるはずだ。

 ウォーミングアップもせずに、こんなところでなにをしてるんだろう?

 そんな疑問がわいたけれど、フイッと山崎君は目をそらす。


「おまえの分も僕が走るから、泣くな」


 ぼそぼそっとそれだけ言って、レモンウォーターを私の手に押しつけると、逃げるように去って行った。

 驚きすぎて、涙が引っ込んでしまった。

 普段が無口で黙々と練習をしている人だから、こんなふうに気づかわれるなんて思ってもみなかった。

 特に仲が良かった訳じゃないのに、走り去る山崎君の耳の赤さが目に焼き付いて離れない。


 どうしよう?

 このぐらいで動揺するなんて、我ながら免疫がなさすぎると思うけど、ドキドキしてきた。

 泣き顔まで見られちゃって、なんだか照れくさい。

 そうだ、 応援、しなきゃ。


 立ち上がって、山崎君のレースが見える場所に移動する。

 泣いたばかりで不細工な顔になってる自覚はあるけど、力いっぱい走る山崎君を目に焼き付けよう。

 心のファインダーに、今日を残そう。

 ちょっと恥ずかしいけど、頑張れって叫んでいいよね。


 スタートラインに立った山崎君と、一瞬だけ目があった。

 軽くうなずくしぐさに、ドキンとする。

 真っ直ぐな瞳が「見てろ」と告げるようで、心が動いた。

 大丈夫、あなたならできる。

 そう言いたくなるぐらい、綺麗に澄んだ瞳だった。


 高まる緊張感に息が詰まる。

 レースが始まる前の緊迫感を壊したくなくて、小さな声で何度も「頑張れ」とつぶやいた。

 手のひらにじんわりと汗をかいてしまう。


 青春の一ページなんて、きっとこんなふとした瞬間の寄せ集めだ。

 手の中にあるレモンウォーターみたいに、爽やかな記憶として滑り込めばいい。


 そして、スタートの合図が、今、鳴り響く。


【 おわり 】

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