シンとした深い森の中で、僕の荒い息づかいだけが耳に入った。がすぐに別の音………というより声が森中に響き上がった。
「グギャルルルルル……ッ」
恐ろしい怪物の唸り声。その正体は、僕の両足を奪ったこの異次元の存在感を放つ魔獣だ。
こいつは僕の足下の近くまで近寄ると、そこで悠然と見下ろし、ジッと見つめてきた。
「くそ、ちくしょう………。あいつら、僕を生贄にして、逃げていきやがった……!」
サーキスたちへの恨み言を、怒りのままにぶちまける。これまでの道中での鬱憤、それ以前からも彼らにいびられていた時に抱いた恨みも全部、ここでぶちまけるのだった。
『………………(ニィィイ)』
そんな僕を見た魔獣は、口の端をまた歪めて、笑ってみせた。
「魔獣にまで笑われるのかよ……っ くそくそ、ふざけんな………ぁ!」
もう影も形も無くなったサーキスたち、あいつらにまんまと生贄にされた僕を嘲笑うかのように見下ろしている魔獣に、怒りと怨嗟の言葉を投げかけたが、虚しく響くだけだった。
ギャリンッ
「―――ひっ!?」
そして、金属が擦り合った音一つで、僕の怒りや憎しみは一瞬にして恐怖へと塗り替わってしまった。反射的に足の方を振り向くと、魔獣がナイフみたいに伸びた爪をぎらつかせながら、熊の手みたいな前足を高く掲げていた。
そしてその巨大な前足をブォンと振り下ろし――――――
ザシュ―――!!
僕の体は、その禍々しい爪に切り裂かれたのだった。
「――――――」
悲鳴を上げる間もなかった。切り裂かれた箇所を中心に、焼けるような痛みが全身を駆け巡り、次いで寒さが脳と体中を支配した。
熱い寒い苦しい。声を出すどころじゃない。
ダメだ、これ、マジで死ぬやつだ。人間、死ぬような傷を負ったら、どれだけ出したくても声は出て来なくなるものなんだ……。
だけどせめて、これだけは言わせてもらいたいな―――――――
魔獣はまだ息がある僕の首を見据えて、もう一度前足をさっきよりも低く掲げる。その前足には、どす黒く禍々しいオーラが纏っていた。
「………よぉく聞け、クソったれども――――――っ」
死の臭いを漂わせる魔獣を前足が、ゆっくりこちらに向かってくる。実際はさっきと同じ速さのはず。これは走馬灯なのかもしれない。だけど今はありがたい現象だ。お陰で言いたいことを言える――――――
「僕を生贄にして逃げたパーティも、僕を今から殺そうとしてる魔獣のお前も!
みんな……みんなみんな、呪ってやるからな!!!」
眦と口を限界まで見開きこじ開けて、僕はありったけの力を振り絞って、そう吠えたのだった。
『―――――――――』
一瞬、魔獣が動きを止めたような気がした。がすぐに、どす黒いオーラを纏った前足を、僕の頭部に当ててきた。
その時、再び燃え上がるような痛みが頭を襲った。
「あ………ああああああああああああああ」
前足から移ってきた黒い瘴気みたいなのに全身が侵食される。
全身が禍々しい黒に包まれていく中、僕の意識はプツンと途絶えるのだった―――――
***
都会街フェナーシェの居住区画にある、ミラ宅―――
「ただいま、姉さん」
「あ、おかえりなさい、リリベル!ちょうど夕飯が出来たところだけど、どうする?お風呂を先に済ませてからにする?」
自分とよく似た顔をした水色セミロングヘアの女性を、キャロルは温かい笑みで妹である彼女を迎える。
きゅるる………っ「先にご飯が良い」
可愛らしいお腹の音を鳴らしながら、キャロルの妹――ミラ・ルルベルは、無表情かつ平坦な声でそう答えた。
「ふふ、じゃあ手を洗って、すぐに食事にしましょうねー」
それからすぐに二人は夕飯の時を過ごした。リリベルはキャロルの二つ下の妹で、髪色が違うのは親の遺伝のせいである。キャロルの髪の色は父親遺伝、リリベルのは母親遺伝のものである。
「今日のは自信作なの。どうかな?」
「………ん。凄く美味しい」
ビーフシチューを口に運んだリリベルが、反対の手でガッツポーズをしてみせる。
「ほんと?やったぁ♪」
笑顔のキャロルとは反対にリリベルは相変わらず無表情に近い。幼少期から表情の起伏が乏しく口数も少ない娘なのだが、キャロルは妹が素直で優しく、可愛らしいところもあるということをちゃんと分かっている。
今だって無表情に見えて、頬が緩んでいることも、キャロルには分かるのだ。
「今日はあなたの部隊だけで、国境付近を根城にしていた盗賊の討伐に向かったんだってね?大丈夫だった?」
「ん。みんなも頑張って戦ってたから、怪我も苦労もしなかった」
リリベルは王国騎士団に所属している騎士で、若くして一等騎士という王国最高の等級騎士である。隊を率いる際は中隊長までの権限が与えられている。
そしてこと戦闘における強さならば、騎士団ナンバー2を誇ると言われている。
「………………」
シチューを食べ終えたリリベルは、無言でキャロルをジッと見つめる。
「?どうしたのリリベル?私に何か聞きたいことでもあるの?」
「ん………今日の姉さん、何かを気にしているように見える」
「……っ」
「違ってたら、ごめんなさい」
「………ううん。合ってるよ。実は今日、ラフィ君って年若い少年の傭兵のことなんだけど―――」
キャロルは傭兵のラフィが、B級の傭兵パーティの魔物討伐任務に、雑用として半ば強制参加させられたことを話した。
「………そんなことがあったんだ。姉さんはそのラフィって少年傭兵のことを心配しているのね」
「うん……。ラフィ君は傭兵としてまだまだ未熟なんだけど、前向きで一生懸命なところがあるの。協会のみんなは彼のこと腫れ物のように扱っているけど、私は彼のこと放っておけなくて、応援したい気持ちもあるから、お仕事の斡旋を私がいつもやってるの」
「姉さん、その子のこと気に入ってるみたい」
「あはは………そうかも。何だか彼のこと、弟のように思っちゃうからかな」
「む……姉さんの妹は私だけだから」
「あはは、何を言ってるのよもう。とにかく、ミグ村の離れにある森が今どうなっているのか確認出来ていない以上、ラフィ君にはあまり無理をさせないで欲しいのよね。
特に深部には踏み入らせないで欲しい」
キャロルは笑顔から憂いの表情へと一変させ、カップを両手でギュッとさせる。
「無事に森から帰ってきて、協会に元気な顔を見せに来てくれると良いなぁ」
そう呟くキャロルを、リリベルはもう一度ジッと見つめるのだった。
ミグ村の誰も使われていない民家を、サーキスらB級パーティが寝床として占拠していた―――
「そういうわけで、ラフィが体を張って、俺たちを森の魔獣から逃がしてくれたんだ。あの魔獣、脅威度は特級以上だったぜ」
遠くの相手と通話が出来る通話タブレットで、サーキスは今日の出来事を協会の幹部に報告していた。相手はこの仕事を依頼いた幹部のヤーナ・カンディルである。
『そうだったか。特級の魔獣と出くわすとは、災難だったな』
「災難だったな、で済ませないで下さいよ?とんでもない仕事を振ってくれたもんだぜまったく」
『それはすまなかったな。それで、ラフィの奴は本当に死んだのか?」
「いや、あいつが死んだ瞬間は見てねぇけど、ありゃ死んだぜ?両足切り到底思えねー。
これでも俺たちはあいつに感謝してるんすよ?少年が一人、その身を捨てて先輩の俺たちを逃がしてくれたんだ。彼の尊い犠牲のおかげで俺たちは救われたわけだ。感謝の一つしねーと罰が当たるぜ」
後半部分は棒読みだったサーキスに、仲間たちは噴き出すのを堪えていた。
『フン、感謝など必要無い。F級のゴミが一人死んだところで、大した問題ではない。とにかく明日の日中には協会に帰ってこい。後のことは俺が上手く処理しておこう』
そうしてヤーナとの通信は切れた。
「おおう、人の心ってもんが無いのかね、あの幹部は」
「そういうマーキスだって大概だろうがよ。ラフィの奴をわざと突きとばして、魔獣の撒き餌にしたんだからよぉ」
「ばっかお前、村人に聞かれたら面倒になるだろが。あんまデカい声でそういうことは―――」
「 今の話、やっぱり最初から捨て駒にするつもりで連れて来たんだな 」
バン!と家のドアを強く開けるとともに、少年の怒りに満ちた声が響き渡った。
「な………ラフィ!?生きてやがったのか!?」
怒り心頭のラフィの姿を見たサーキスたちは、驚愕に満ちていた。
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(キャラクター紹介)
ミラ・リリベル
女 20才 水色のセミロングヘア、身長170㎝
アクティブスキル:身体強化、魔術(風、電気) など他多数あり
パッシブスキル:???
*キャロルの妹で、姉妹で二人暮らし。髪の色が姉と異なるのは、親の遺伝のせい(母親遺伝)。表情の起伏が乏しく口数も少なく、彼女の感情を見抜けるのはキャロルくらいと言われている。
王国騎士団所属の一等騎士、軍の役職は中隊長。戦闘の強さだけなら、騎士団の中では団長に次ぐナンバー2と評価されており、国中からの信頼も厚く、人気も高い。