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「目が覚めたかえ? 諸葛亮孔明」
「ここは……?」
孔明はとても長い時間、眠っていたような気がした。目が覚めると同時に自分が置かれている状況を理解しようとした。
映る視界には淡い緑色のモヤがかかっている。目に見えるもの全てに緑色が覆いかぶさっていた。
自分は透明な器に入れられており、身体のあちらこちらに細い管が繋がっている。それらに手を伸ばそうとしたが、手が動かない。
痺れているような感覚はなかった。孔明の身体全体を緑色の液体が包み込んでいる。
緑色の液体はぬるりと肌にまとわりつく感触を持っていた。そのせいか、浮揚感を感じてしまっている。
孔明は今一つ、自分の置かれている状況がわからなかった。だからこそ、透明な壁の向こう側に立っている白衣の女性に問いかけた。
「私はいったい何をされているのですか?」
「あーーー、おぬしの身体はぼろぼろだったからのう。ちょいちょいといじらせてもらっているわけなのじゃ」
「いじらせてもらっている? まさか……私にエッチなことをしようとしています!?」
「ちがうわいっ!」
「今の私、素っ裸ですよ! エロ同人誌みたいなことをしようとしてたんでしょ!」
「たわけっ!
透明な壁の向こう側で白衣の女性が「ふふふ……」と不気味な笑顔を浮かべている。孔明はぞぞ……と怖気を感じながらも、目の前の女性と自分がいる場所を確認した。
白衣の女性のお尻からはこれまた見事に咲いた花のようにいくつものふっくらとしたキツネ尾がゆらゆらと動いていた。彼女の頭のてっぺんにあるのはキツネ耳だ。
(九尾のキツネ尾に、キツネ耳。かの伝説の美女、妲己そのひと?)
――妲己。孔明が活躍した時代からさらに千年ほど昔に殷という国で大暴れした大妖怪の名だ。彼女は別名:九尾の狐とも呼ばれていた。
しかしながら、目の前の白衣の女性からは美しさというよりは幼さのほうが強く感じ取れた。
孔明は次に部屋の中を確認した。鉄で出来た箱がこれまた鉄で出来た机の上にちょこんと載っている。
鉄の箱の正面には透明な板がはめ込まれている。その透明な板から小さな光が飛び出している。
そういう机がいくつもある部屋であった。その机のひとつひとつに椅子があり、目の前の女性と同様に白衣を着た人物がその椅子に座って、机の上の鉄の箱とにらめっこしていた。
なんとも不思議な光景であった。だが、そうだというのに孔明の心は落ち着いていた。自分の身体全体を包み込む緑の液体がそうさせてくれているのかもしれない。
「さて……おぬしの身体をいろいろといじらせてもらっているのにはわけがあるのじゃ」
九尾の女性が1歩、こちらに近づいてきた。孔明は胡散臭さを感じざるをえなかった。その感情を包み隠さず顔に出してみた。
すると、九尾の女性がコロコロとおかしそうに喉を鳴らしてきた。
「まあ、そんなに警戒するでない。自己紹介が遅れたのじゃ。我が名はヨーコ・タマモ。気軽にヨーコちゃんと呼んでもよいぞ」
「なるほど……。妖狐だからヨーコなわけですね?」
「察しがよくて助かる。さすがは三国志きっての知恵者じゃて」
「その三国志の時代で一番の軍師、さらには長身で美男子、蜀の宰相だったこともあり、女性にモテすぎてふんどしが乾く暇もなかった、この諸葛亮孔明に何用ですか?」
「くくっ……。さすがは自尊心の塊じゃ。仲達に敗れたくせによく言う」
「やめて!? 仲達の名前を出すのは! それはイジメですよ! 私はこう見えて、打たれ弱いんですからねっ!」
こちらは慌てふためくしかなかった。自分がどれほどに素晴らしいかをヨーコ・タマモに言ってみせたところにカウンターとして司馬懿仲達の名前を出されてしまった。
自分で言うのもなんだが、先ほど、ヨーコに言ったことはほぼ事実だ。
だが、仲達はそんなスペシャルな自分の上位互換の存在だった。孔明は幾度も仲達と戦ったが、ついには勝てなかった……。
その事実がずきずきと胸を刺激した。呼吸が浅くなる。さらには鼓動が早まってしまった。
別の白衣の人物が席から立ちあがり「煽るのはそこまでに……」とヨーコに進言してくれた。
ヨーコはコロコロと喉を鳴らし、おかしそうに微笑んでいた。そんなヨーコがこちらに顔を向けてきた。
彼女は口の端をニヤリと歪ませた。それにつられて、こちらはごくりと喉を鳴らしてしまう。
「
「ほほう……それは面白い話ですね」
「そうじゃろ? その世界は滅びに向かっておる。争いは収束を見せようとはしない。どうじゃ? その世界で王になる気はないかえ?」
「ふむ、王……ですか」
孔明は自分の半生を思い出す。かつては王を補佐する立場に甘んじてきた。王は皇帝にまで上り詰めた。だが、先帝が残した次代の皇帝は補佐するには頼もしさが1ミリもなかった。
だが、それでも忠義を尽くすことこそが、自分の天命であると思えた。どんな
財政を戦で圧迫するから、北伐はやめろと何度も周囲の者たちに言われた。だが、無理難題を前にすると、身体の奥底から自然と活力が沸いてきた。
孔明は知恵だけでなく、内政力も備わっていた。蜀の経済状況を把握しつつ、経済発展に努め、それを戦費に充てた。税を取る対象の土地と人も増やした。
10万人の兵を引き連れて、5回も北伐を行えたのは、自分の手腕によるものだという自負があった。
胸を張って堂々とそう言える。それほど蜀という土地はやせ細っていた。
「ふふ……魅力的な提案です。その世界を救ってみせましょう。この諸葛亮孔明が王を補佐する立場となりましょう!」
「あれーーー? 王になってほしいのじゃが?」
「いやです。王になると、やりたい放題出来なくなるので」
「お、おう。本当、軍師らしい発言じゃな」
「そうです。私の才能は軍師という立場でこそ、光り輝くのです!」
孔明は誇らしげに腰に手を当てて、踏ん反り返ってみせた。
透明な壁の向こう側でヨーコが額に手を当てて、頭痛を抑えているように見えたが、孔明は彼女のそんな素振りを見ようともしなかった。