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第6話 春の神・ハル

 数十分後。ゆっくりと桜風呂に浸かったシルクは、ようやく浴室から出る。


(私の体から桜の香りがする……)


 この後、ハルに何をされようと覚悟を決めるしかない。だが、不思議とシルクの心は落ち着いていた。

 しかし裸にバスタオルを巻いて脱衣所に立った時、着替えの服がない事に気付いた。脱いだドレスを再び着るのもどうかと思う。

 シルクは、そっと脱衣所のドアを開けて顔だけを出す。

 すると、今まさに同じドアを開けようとした人物が目の前に立っていて、その人が大げさに驚いた。


「わっ、すみません! お着替えをお持ちしました! はい、どうぞ!!」


 メイド服を着た若い女性がシルクに向かって、丁寧に畳まれたドレスを両手で差し出した。


「あ、ありがとう……」

「いいえ! 失礼しましたぁ、どうぞ、ごゆっくり!!」


 シルクがドアの隙間からドレスを受け取ると、メイドの女性はすぐにドアを外側から閉めてしまった。

 渡されたドレスを広げてみると、ピンク色のフリルが幾重にも花咲くように足元まで広がっている。まさに桜のドレスだ。

 シルクはそれを着ると、壁にかかっている姿見に全身を映してみる。

 白い肌に銀髪のシルクを彩る淡い桃色は、互いの色を引き立てる。清楚と可愛らしさが見事に融合している。


(すてき……でも……)


 シルクの体に桜の香りを纏わせて、ピンクのドレスで着飾る。純白であったシルクを、まるで自分の色に染め上げるかのように。

 これがハルの思惑であるなら、本当にこれから彼に食べられてしまうのではないかと危惧する。

 もしかしたら、これは保護ではなく、奴隷として捕らえられたのでは……という疑心暗鬼にも陥る。


 脱衣所から出ると、先ほどドレスを手渡してくれたメイドがシルクに向かって深くお辞儀をする。


「申し遅れました、私はメイドのチェリーと申します! シルク様のお世話をさせて頂きますっ!」


 元気よく声を張り上げて挨拶をするチェリーは、シルクと同い年の18歳くらいに見える。

 ハルやサクラと同じく、ピンク色の長い髪と赤い瞳。これが春の国の種族の特徴なのだろう。サクラと違うのは、長い髪を首の後ろでお団子にして結んでいる。


「あ、シルクです。よろしくお願いしま……」

「あの、あの、シルク様っ!!」


 シルクが挨拶を言い終わる前に、チェリーが飛びつく勢いでシルクの前まで駆け寄る。


「ハル様、どう思いますかっ!?」

「え? ハルくん? 別に……」


 別に何とも思わない、と答えようとした時に妙な感覚がシルクの胸をよぎる。どうも思わないのではなく、思ってはいけないような……。

 チェリーはミーハーなのか、キラキラと少女のように赤い瞳を輝かせてシルクに迫る。


「何とも思わないんですか!? ハル様って超イケメンですよね!?」

「イケメン? 女好きには見えるけど」

「ハル様は『女好き』ではなくて『女受け』ですよぉ!」

「そうなの?」

「はぁ~……シルク様ってばクールなのですねぇ!」


 チェリーは感心したような声を出すが、クールと言われてシルクは驚いた。自分はサクラのような冷静さを表すクールとは違う気がする。

 言われてみれば、ここに来るまでに色々あったが、常に感情の起伏は激しくなかった。記憶と共に感情も失ってしまったのだろうか。


「それではシルク様。ご準備が整ったところで、ハル様のお部屋に行きましょう。ご案内します!」

「あ、うん……」


 チェリーは同い年くらいなので、シルクは彼女に対しても自然とタメ口になっていた。

 そして、このままハルに食べられてしまうのか、という緊張感で足が重くなる。


「そんなに緊張しなくても大丈夫ですよぉ! ハル様は取って食ったりしませんから!」


 シルクの心を読んだように、チェリーは明るく笑って洒落た事を言ってきた。




 同時刻、ハルは執務室で机に肘をついて何か考え事をしていた。その横にはサクラが立って控えている。

 ふと、ハルは顔を少し動かして、サクラとは反対側に位置する窓に視線を向ける。

 カーテンが開いた窓の外は激しい風で、葉のない木々が揺れている。時々、窓ガラスが小さくガタガタと音を立てる。


「ねぇ、サクラちゃんはシーズン国に何しに行ってたの?」

「いつもの調査です。シーズン国の歴史の手掛かりを探しに……」

「ふぅん。こんな強風の日に?」


 サクラは何も言い返せなかった。そしてシーズン国で、夏の国の住人『アラシ』と一緒にいた事も報告しない。

 少し視線を泳がせた後に、姿勢を正して今度はサクラがハルに問いかける。


「シルク様がもし本当の女神なら、どうされるのですか?」


 ハルは視線を正面に戻すと、なぜだか妖しく微笑んだ。


「結婚するよ」


 一切の迷いのない、ハルの結婚宣言。

 サクラはその答えすらも予測していたのか、全く動じない。だが意思確認はする。


「……本気ですか」

「うん。女神だったらね。当然でしょ」


 ハルは思い立ったように急に椅子から立ち上がる。


「これは運命かもしれないね。確かめる価値はあるよ」

「どこへ行かれるのですか? シルク様をここにお呼びしなくていいのですか?」


 先ほどハルが言っていた『僕の部屋』とは自室ではなく、この執務室の事であった。


「女神をお食事に誘おうと思ってね」


 サクラを一人残して、ハルは一人で執務室から出て行った。

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