やがて霞んでいた前方の視界に、うっすらと巨大な城が見えてきた。
それは巨大な白い洋館で、三角屋根と先端の尖った屋根の建物が複合している。神や王が住む城というよりは王子様がいそうな雰囲気だ。
サクラはその城の城門の前に降り立つと同時にシルクを下ろす。
「ここがスプリング国の神、ハル様のお城です」
サクラはハルの側近なので城に帰るのは当然だ。だがシルクは、自分が入っていい場所なのだろうかと心配になった。
さすがにこの強風なので門番もいないが、サクラが門の前に立って見上げると、自動ドアのように重い扉が開門していく。
シルクはサクラの後ろに隠れるように下がる。
「なんか緊張します。私が入っても大丈夫ですか……?」
「大丈夫ですよ。ハル様はとても優しいお方です」
クールなサクラが見せた、柔らかな微笑み。そしてここまで導いてくれた優しさがシルクに安心感を与える。
サクラに続いて門を通り城内に入ると、そこは広く真っ白なエントランスホール。大理石かどうかは分からないが、床も壁も磨かれたように光っている。
すると入り口とは逆の方向、つまりサクラとシルクの正面に向かって、奥から人影が近付いてくる。
それは若い青年で、白を基調とした貴族服を着ている。髪の色はサクラと同じピンクで、年齢も同じく20歳くらいに見える。
「あれぇ~? サクラちゃん、おはよう。どこ行ってたの?」
青年は半開きの瞼でサクラを見ながら挨拶をすると、そのまま二人の横を通り過ぎようとする。シルクの存在は視界に入っていない様子だ。
サクラは青年の背中に向かって真顔で呼び止める。
「お待ち下さい。どこへ行かれるのですか?」
「ん? 朝の散歩だよ~。サクラちゃんも一緒に行く?」
サクラは呆れ顔になって腰に両手を当てた。スーツ姿での堂々とした立ち姿は、やっぱりイケメン女子だ。
「今日は強風で外には出られませんよ。それに今はもうお昼です」
「え、そうなの? なぁんだ……」
青年は今の時間まで寝ていたようで、半分寝ぼけた様子でいる。そしてようやく、サクラの横に立つシルクの姿に気付く。
「ん? 君は……」
シルクと目が合った瞬間に、二人の間の時が止まる。不思議な感覚に陥ったのはシルクも同じ。
(え? この人、どこかで……)
彼が見開いた瞳は、宝石のような魅惑の赤い瞳。遠い昔に見たような懐かしい眼差し……そう感じたと同時に、シルクは温かい感触に包まれた。
いきなり前触れもなく、彼がシルクを抱きしめたのだ。
「ハル様っ!?」
驚きに声を上げたのはサクラだ。あぁ、この人がこの国の神様なのか……とシルクは抱かれながら呆然と思った。
だが、そんな抱擁は長くは続かない。シルクがハルの体を両手で押して突き放したのだ。
「だめ、離れて下さいっ!!」
シルクはハルの抱擁には驚かない。だが、無意識に自分でも驚くくらいの強い拒絶をしてしまった。
ハルに触れてはいけない……自分の中に存在する別の誰かが、そう強く呼びかけた気がしたのだ。
当然ながらハルは、突然の抱擁に怒られたのだと思っている。
「あ、ごめんね。僕はハル。スプリング国を治める神だよ」
申し訳なさそうな顔をして名乗る神に対して、シルクは全く動じない。それどころか強気に言い返す。
「あなたは本当に神なのですか? 春の神様は女好きなのですか?」
「あ~、だから、ごめんねって。なんか君を見たら突然、抱きしめたくなっちゃって。あはは、変だよね」
確かに変な神様ですね、と喉まで出かかったが、シルクは何とか抑えた。
謝罪の割には妙に笑顔で明るいし、そのセリフは余計に女好きに聞こえてしまう。でも悪気がないのは伝わるので憎めない。
変な空気になったので、すかさずサクラがハルの前へと出る。
「ハル様。彼女はシーズン国で保護しました。記憶喪失のようで、名前は……」
「私の名前はシルクです。たぶん」
サクラが言い終わる前にシルクが名乗ったので、サクラは思わず黙ってしまった。
シルクは記憶喪失のはずなのに、なぜか自分の名前はシルクだと主張したがる。
当然、ハルは最初のサクラと同じようにまずは疑う。
「シーズン国のシルク? 君は自分が伝説の女神シルクだと言うの?」
「分かりません。でも夢ではシルクと呼ばれていました」
「じゃあ、それは夢だよ。シーズン国は女神と共に何百年も前に滅んで、生き残りも子孫もいないんだよ」
「でも、それって伝説なんですよね?」
ハルが何を言っても、シルクは決して自分の考えを曲げない。それどころか反論までする。
「シルクでないのなら、私は誰だと言うのでしょうか?」
それを聞いたハルは顎に片手を当てて、何を考えるポースをしながら改めてシルクの顔をじっくりと眺める。
「銀色の髪と瞳……。確かに君は春夏秋冬、どの国の種族とも違う容姿だね。歳は見た感じ、僕やサクラよりも少し下……人間なら18くらいかな」
口ではそう言いながらも、ハルの思考は別の所にある。
それは全世界に伝わる、シーズン国の女神シルクの伝説。シルクの容姿と年齢は、確かに女神の伝説と一致する。だが女神は、シーズン国の滅亡と共に死んだとされている。
伝説が本当なら、目の前のシルクが本物の女神である可能性はない。しかしハルには別の可能性が思い浮かんだ。
「サクラちゃん、彼女を部屋で休ませてあげて。後で僕の部屋に連れてきてよ」
「はい、承知しました」
サクラが軽く頭を下げて答える。そしてハルは意味深な微笑みをシルクに向ける。
「じゃあ、シルクちゃん。また後でね」
「え……はい」
「あ、ここでは敬語じゃなくていいからね。だってシルクちゃんは女神でしょ? 僕の事も『ハルくん』で。ね?」
「え、分かりまし……わかった……ハルくん」
「うん。ふふっ」
素直なシルクの返事に満足そうに笑うと、ハルは背中を向けて城の中へと戻っていく。
シルクを『ちゃん』付けなのは、女神と区別しているからでは……とも思ったが、サクラの事も『ちゃん』付けだ。これがハルの自然体なのだろう。
寝坊して、ふわふわとして、おっとりしてて……でも温かくて優しい、少年のような爽やかな笑顔の人。まさにハルは、春を感じさせる神様。
(ハル……くん)
先ほど抱かれた体に残る温もりを思い出して、シルクは両腕で自分の体を抱きしめた。