目次
ブックマーク
応援する
4
コメント
シェア
通報

第19話

「ああ、セツィオ……あなたはどうしてセツィオなの……」

「ああ、ネリエット……君もどうしてネリエットなんだ……」


朝日に照らされた学園の屋上で、異様な光景が繰り広げられていた。

ヴァンパイアの男子は、まるでオペラの主役のように派手な衣装に身を包み、フリルのついた白いブラウスに赤いマントを翻している。

その隣では、人間の女子が中世の貴族のようなドレスを纏い、レースの手袋をした手を胸に当てていた。

制服ではなく、まるで舞台衣装──しかもかなり本格的な衣装である。

学園の屋上という場所柄を考えると、明らかに不釣り合いな出で立ちだった。

そんな奇妙な二人を、バルドは物陰から呆然と眺めていた。

彼のリーゼントが朝風に揺れる。


(なんだこいつら……)


バルドの眉間に深い皺が寄る。

クラスメート探しの一環で屋上に来たというのに、目の前で繰り広げられているのは、人間とヴァンパイアの永遠と続く愛の劇場。

普段なら、誰が誰と濃厚な関係を持とうが知ったことではない。

だが、不運なことにあの二人は2-Aの生徒──つまり"狩るべき獲物"なのだ。


「……げぇー」


芝居がかった台詞と大げさな身振りに、バルドの胃が痛くなる。

この甘ったるい光景を、魔導弾で木っ端微塵にしてやりたい衝動に駆られる。


だが──。


アルヴェのおもちゃになるのは、どうにも性に合わない。

反骨精神の塊のような彼は、なるべくあの狂った教師の意のままにはなりたくなかった。


「くそが……!」


バルドは苛立たしげに舌打ちをする。

だが、答えは既に決まっていた。

魔導弾に頼らずとも、このイチャつきを破壊する方法なら、いくらでもある──。


「よし、力づくでも連れてくか」


バルドは不良らしく、拳を鳴らす。

優雅な芝居ごっこは、この拳で終わらせてやる。


「おい!いつまでイチャついてんだよ、テメェら!」


彼の怒声が屋上に響き渡る。

だが二人は、まるで蚊の鳴くような音を聞いたかのように、ちらりと視線を向けただけ。


「まぁ、セツィオ。なにか野獣の声が聞こえたようだわ」


女子がレースの手袋で口元を押さえる。


「ああ、どこかの醜い野良犬が吠えているのだろう、ネリエット」


ヴァンパイアの男子が、わざとらしく肩をすくめる。


「そうねぇ、きっとそうよ」

「ああ、早く消えて欲しいものだ」


二人は優雅に抱擁を続け、まるでバルドなど存在しないかのように振る舞う。

バルドの額の血管が、見る見る膨れ上がっていった。


「てめぇら……いい加減にしろよ!!」


ついに堪忍袋の緒が切れ、バルドは絶叫した。

その怒声に、ようやく二人が振り向く。


だが──。


「あら、貴方だれ?」


女子が首を傾げ、うっとりとした目でヴァンパイアの男子を見上げる。


「さぁ?見たことのない顔だが……」


男子も、まるで虫でも見るかのような冷ややかな目でバルドを見下ろす。

その瞬間。

バルドの脳内で、何かが音を立てて切れた。


「てめぇらっ!!」


バルドの怒声が轟く。

彼の手は、上着のポケットの魔導弾に伸びかけたが──意地と反骨心で、すぐに握りこぶしへと変える。

アルヴェの玩具には、絶対になるものか。


「ぶっ殺すっ!!」


彼は渾身の怒りを込めた右ストレートを放つ。

だが──。


「やれやれ、危ないじゃないか」


セツィオと呼ばれるヴァンパイアは、まるで蚊を払うような仕草でその拳を受け止めた。

そして、優雅な社交ダンスのステップを踏むかのように、軽く手首を返す。


「なっ!?」


バルドの体が宙を舞う。

次の瞬間──。

彼の背中が屋上の床を強打し、コンクリートに蜘蛛の巣状の亀裂が広がった。


「げほっ……!」


バルドの喉から、情けない呻き声が漏れる。


「げほっ……くそぉ……!」


一瞬呼吸が止まったものの、バルドは何とか体を起こす。

リーゼントは乱れ、制服は埃まみれになっているが、不良の意地だけは健在だ。

そんな彼の姿など目に入らないかのように──。


「大丈夫?ネリエット、驚かなかった?」

「ええ、セツィオがいれば何も怖くないわ」


二人は再び甘い視線を交わし始める。


「てめぇら……!」


しかし、バルドが動こうとした時には、既にセツィオの手刀が彼の首筋に突きつけられていた。


「っ!?」


その動きは、人間の目では捉えられないほどの速さ。

バルドは息を呑む。こいつは、ただのラブラブカップルじゃない──。


「これ以上、僕達の邪魔をするつもりかな?」


セツィオの声は穏やかだが、その手刀からは確かな殺気が漂っていた。


「くそっ……」


バルドは悔しさに歯を噛みしめる。

だが、現実を理解していた。このヴァンパイアは、桁違いに強い。

それは単に高位魔族だからというだけの話ではない。

その一挙手一投足には、血で血を洗うような戦いの経験が滲んでいた。


(こいつ……ただの恋するお坊ちゃんじゃねぇ)


バルドが路上で喧嘩に明け暮れていた頃、このヴァンパイアは恐らく本物の死闘を潜り抜けてきたのだ。

それも、吸血鬼特有の特殊能力を見せることすらなく、これほどの実力──。


(マジでヤベェ奴に絡んじまったな……)


バルドは不良らしく、潔く敗北を認めた。

この戦いを続ければ、自分の命が危ないことくらい分かっていた。


「まぁ、この人ったらバカね。セツィオに勝てるわけないのに」


ネリエットが上品に笑う。その声には、明らかな見下しが混ざっていた。


「そんな言い方はよくないよ。この人も一生懸命だったんだから」

「あら、優しいわねセツィオ。そういうところも大好き」

「僕も君が好きだよ、ネリエット」


その甘ったるいやり取りを聞きながら、バルドは胸の中で沸き立つ怒りを必死に押さえ込む。

彼のリーゼントが怒りに震えていた。


(くそっ……我慢だ、我慢……。負けは負けだ。不良にも意地ってもんがある……)


彼の目は、ポケットの魔導弾へと向かう。

これを使えば、きっとこの高慢なヴァンパイアにだって勝てるはず。

だが──。


(そんな借り物の力なんざ、使えるか……!)


バルドは歯を食いしばる。

アルヴェの力を借りて得た勝利など、何の価値もない。

それは不良としての誇りが、決して許さないことだった。


──その時。


一陣の風が吹き抜けた。

バルドのリーゼントを巻き上げ、その瞬間──彼の隠したかった弱点が露わになる。


「まぁ!セツィオ、見て!あの人、随分とハ……じゃなくて、薄くてよ?」


ネリエットが白い手袋で口元を押さえて笑う。


「ほんとだね。なんて哀れな……」


セツィオも、わざとらしく同情するように首を傾げる。


「可哀想に。私達の髪を少し分けてあげましょうか?」

「そうだね。せめて毛根だけでも救ってあげないと」


二人の忌々しい会話が、バルドの理性の最後の一線を踏み越えた。


「──殺してやる」


彼の怒声が屋上に響き渡る。

もはや負けを認めた謙虚さも、不良の意地も、全て吹き飛んでしまっていた。


バルドの手から放たれた魔導弾が炸裂する。

間欠泉のような大量の水流が二人を屋上から打ち上げ、空高く飛ばしていった。


「まぁ!セツィオ、私達空を飛んでるわ!」


ネリエットは、この非常事態でさえ上品に微笑む。

ドレスの裾が風に舞い、まるでバレエのワンシーンである。


「ああ、確かに飛んでいるね」


セツィオも穏やかに応じる。

服が水浸しになっているのにも関わらず、その表情は優雅そのものだ。


「このまま地面に叩きつけられたらとても痛そうね。セツィオ、貴方は翼を出して私を助けてくれるのよね?」

「それが──」


セツィオは芝居がかった溜め息をつく。


「流水に触れると、我々ヴァンパイアは力が使えなくなってしまうんだ」

「まぁ、困ったわ!じゃあどうするの?」

「だから──君を抱きしめて衝撃を和らげることしかできない。許してくれ」

「素敵!じゃあお願いね、セツィオ!」


二人の会話は、この非常事態でさえロマンチックな舞台劇を彷彿とさせる。

そんな二人を見上げながら、バルドは心の中でつぶやいた。


(なんだこいつら、マジで……)


そうして、二人が屋上の床に激突する。

その衝撃音と共に、セツィオの背骨からバキバキという不穏な音が響いた。


「うぎゃあっ!!」


ヴァンパイアの苦痛の呻き声が漏れる。

バルドは大した罪悪感も感じずに、床で痙攣するセツィオを見下ろす。

その上で相変わらず、「まぁセツィオ、貴方は瀕死だけど私は無傷だわ!嬉しい!」とか言いながらイチャつくネリエット。


「はぁ……はぁ……」


バルドは荒い息を繰り返しながら、床で痙攣するセツィオと、彼に甘え続けるネリエットを見下ろす。

結局、アルヴェの玩具を使ってしまった。

不良の意地も、反骨心も、全て台無しだ。


(でも、こいつらが悪いんだ……俺の髪の話なんか出すから……)


そう自分に言い聞かせながら、バルドは吐き捨てるように言った。


「おい、いつまでもイチャついてんじゃねぇぞ。さっさと来いや」

「行くって……どこに?」


ネリエットが上品に首を傾げる。

その仕草は、今の状況を考えると明らかに場違いだった。


「……」


バルドは一瞬言葉を詰まらせる。

そして、深いため息と共に答えた。


「2-A。俺と、お前らの本来の教室だよ」


彼は自嘲気味に付け加える。


「今じゃアルヴェってイカれた野郎が支配する、地獄みてぇな場所になっちまったがな」

「まぁ!地獄ですって!?」


ネリエットが大げさに目を見開く。

そして、痙攣するセツィオに抱きつきながら甘い声を上げる。


「ねぇセツィオ、地獄でも私を守ってくれるのよね?」

「も、もちろんだ……い、いとしのネリエット……」


セツィオは背骨が折れているであろう痛みをこらえながら、芝居がかった台詞を紡ぐ。


「き、君の愛があれば……僕は例え業火の中でも……凍土の中でも……飛び込めるからね……でも、今は少し休ませて……」


バルドは呆れた目で、床で痙攣しながらも愛を語り続ける二人を見つめる。

そして心の中で、深いため息をついたのであった。


この作品に、最初のコメントを書いてみませんか?