「へへっ……ここからは『狩りゲーム』といこうじゃねぇか」
アルヴェはくるくると魔導弾を掌の上で転がしながらそう言った。
「誰が一番多くサボり虫を狩れるか……勝負しようぜぇ?」
「ちょ、ちょっと待ってくれっス!そんな急な話されても困るっス!」
ユミルが抗議の声を上げる。
だが──。
「はぁ?何のために魔導弾なんか配ってやったと思ってんだ?」
アルヴェの笑顔が、獲物を追い詰めた猛獣のように歪む。
そして出来の悪い生徒に補習授業を受けさせるように、口を開く。
「これを使えば、この学園の生徒なんて皆殺しにできんだぜ?せっかくの『教材』を無駄にすんなよ?」
「いや殺さないから!何の勝負しようとしてんのさ!?」
ティーファが顔面を蒼白にしながら突っ込む。
だが、アルヴェはまるで子供をあやすような意地悪い笑みを浮かべ言った。
「へへっ……優勝者にはなぁ」
彼は意図的に間を置いて、生徒達の興味を引き付ける。
「一つだけ、何でも願いを叶えてやるってのは、どうだ?」
その言葉が、教室の空気を一変させた。
生徒達の目が、獲物を見つけた肉食獣のように輝き始める。
「な、なんでも……?」
「ああ、どんな願いでもいいぜ?」
アルヴェは酔った目を細めながら、にやりと笑う。
「この大魔術師アルヴェ・ローレンス様が保証してやる。俺が本気出せば、この世に不可能なんざ存在しねぇんだよ」
その言葉には、確かな自信と、そして底知れぬ悪意が混ざっていた。
しかし、生徒たちの目には、それぞれの願いが映し出されているかのようだ。
金、地位、恋愛──誰もが叶わないと諦めていた夢への期待が、その瞳に浮かんでいた。
そのどれもが、この英雄の力があれば──。
「先生」
ルナリアが、静かに口を開く。
その碧眼からは、いつもの優しさが完全に消え失せていた。
「ほう?なんだぁ?欲しい物でもあんのか?」
アルヴェは意地悪く笑いかける。
だが次の瞬間、その笑みが凍りついた。
「誰かを──殺して欲しいという願いでも、叶えていただけますか?」
その言葉に、教室の空気が凍り付いた。
生徒達の雑多な欲望が一瞬で掻き消され、ルナリアに視線が集中する。
「──ほぉ」
アルヴェの赤い瞳が、興味深そうに輝いた。
いつもの優等生が放った殺意の籠もった言葉に、彼は心底喜んでいるようだった。
「へへっ……意外だねぇ。オメーみたいな上品なエルフが、殺しの依頼とはな」
彼は酒瓶を傾けながら、獲物を品定めするように、ルナリアを見つめる。
表情は笑っているが、その瞳は笑っていない。ただ、冷徹にエルフの青年を見据えている。
「アレか?やっぱり親父譲りの血が騒ぎ出したってわけかぁ?」
その皮肉に、ルナリアは微動だにしない。
むしろ、その碧眼には今までに見たことのない冷たさが宿っていた。
「どうです?叶えていただけますか?」
その声には、もはや普段の穏やかさは微塵も感じられない。
まるで、彼の中の別人格が目覚めたかのように。
その突飛な願いに、他の三人は固唾を呑んだ。
いつも優しく微笑むルナリアが、殺人を望むなど──誰が想像しえただろう。
「くく……」
アルヴェの血のような瞳が不気味な輝きを放つ。
まるで最高の玩具を見つけた子供のように、彼の表情が歪んでいく。
「あぁ……もちろんだとも。お前が望むなら、この英雄様が誰でも殺してやるよ。それがエルフの侯爵様だろうが、高貴な誰かさんだろうが──構いやしねぇ」
彼は酒瓶を傾けながら続ける。
「ただしな……優勝したら、の話だがね?」
その言葉を聞き、ルナリアはゆっくりと頷く。
彼の端正な顔立ちには、もはやいつもの優しさの欠片も残っていなかった。
「では──先に失礼させていただきます」
ルナリアは優雅に一礼すると、まるで散歩にでも行くかのような足取りで教室を後にする。
その背中からは、どこか異質な空気が漂っていた。
「ちょ、ちょっと待ってよ!」
我に返ったティーファが、八本の脚を慌ただしく動かしながら追いかける。
「ちょ、ちょっとアンタ!待ちなよ!なにさ今の……!」
残されたバルドとユミルは、呆然と去っていく二人の背中を見つめる。
「……ルナリアって、かなりヤバい闇抱えてるっスね」
ユミルが尾びれを震わせながら呟く。
「あ、あぁ……そうだな」
バルドは重たく頷くしかなかった。
上品な笑顔の裏に隠された闇の深さに、思わず背筋が凍る。
貴族の世界も、色々と大変なんだろう──たぶん。
「ところでお前らはなんで動かないんだ?もしかして無欲を美徳だと信じてる異常者かぁ?」
アルヴェは意地悪く笑いながら、残された二人を見つめる。
「アイツらの方が先に『ゴミ』を拾っちまうぜ?このままじゃ願いも叶わねぇってわけだ」
その言葉に、バルドとユミルは慌てて顔を見合わせる。
次の瞬間、「負けるもんか!」とばかりに互いを睨みつけ、魔導弾を握りしめて教室を飛び出していった。
尾びれを揺らして走るユミル、リーゼントを靡かせて駆けるバルド。
その必死な背中を見送りながら、アルヴェは酒瓶を傾ける。
「へへっ……せいぜい頑張れよ」
彼は血のような瞳を細めながら、低く呟いた。
「俺の代わりに、この学園のゴミ拾いをな……ギャハハハ!!」
狂ったような笑い声が、空っぽになった教室に響き渡る。
まるで、これから始まる混沌を楽しみにしているかのように──。
♢ ♢ ♢
廊下を歩くルナリアの足音が、静かに響く。
その端正な横顔からは、いつもの柔和な微笑みが消え失せ、何処か冷たい影が差していた。
(アルヴェさんは察していたんでしょうね)
彼は先ほどの教室での出来事を思い返す。
(誰かを殺して欲しいと言った瞬間、あの人の目が変わった。僕が誰を殺したがっているのか、もう気付いているに違いない)
一瞬だけ苦笑が零れるが、すぐにまた氷のような表情に戻る。
金色の髪が朝日に照らされ、その影が廊下に揺らめいていく。
(まぁ、あの方のことです。本気で僕の望みなど叶えてくれないかもしれない)
ルナリアの碧眼が、冷たい光を宿す。
(でも、それでも構いません。どのみち、この手で殺すつもりでいるのですから──)
その瞳には、もはや優等生の面影など微塵も残っていなかった。
ルナリアは手の中の魔導弾を見つめる。
その金属の冷たさが、彼の決意を更に強めているかのようだ。
(これさえあれば、あの男も──)
その時、背後から声が響いた。
「ちょっと待ってよ!どうして一人で行っちゃうのよ!」
振り返ると、八本の脚を必死に動かしながら追いかけてきたティーファの姿があった。
彼女は息を切らせ、どこか困ったような表情を浮かべている。
「ティーファさん……?」
ルナリアは静かに振り返る。
その瞳には、まだ先程の冷たい色が残っていた。
「どうしてここに?」
ティーファは大きく息を整えると、蜘蛛の脚をじっと地面につけて姿勢を正した。
「どうしてもこうしてもないわよ。だって……」
彼女は真剣な眼差しでルナリアを見つめる。
「あんな物騒な事言い出すなんて、アンタらしくないじゃない。心配になって当然でしょ?」
その率直な言葉に、ルナリアの冷たい表情が僅かに緩む。
不良を自称する彼女とは思えない純粋な優しさに、思わず小さな笑みが零れた。
「なっ、何がおかしいのさ!」
ティーファは八本の脚を慌ただしく動かしながら、むっとした表情を見せる。
「いえ、おかしいわけじゃないんです」
ルナリアは柔らかな碧眼で彼女を見つめ返す。
「ただ……こんな僕のために、わざわざ心配してくれる人がいることが、少し嬉しくて」
その素直な言葉に、ティーファの頬が赤く染まる。
彼女は慌てて顔を背け、蜘蛛の脚で床を小刻みに掻きながら、言葉を失ってしまった。
「べ、別にそういうわけじゃないし!」
ティーファは前髪をくるくると弄びながら言い訳する。
その様子が可愛らしくて、ルナリアは思わずくすっと笑みを漏らしてしまった。
「ただアンタみたいなお坊ちゃんが一人で歩いてたら、絡まれるに決まって──」
その言葉は途中で途切れた。
彼女の表情が一瞬で凍りつく。
目の前には、巨躯を誇る五人のオーガが立ちはだかっていた。
全員がリーゼントを高く跳ね上げ、制服を着崩した典型的な不良スタイル。胸元の学年章は、ほとんどが3年生を示している。
「おいおい、女連れでサボりとはいいご身分だな、お坊ちゃんよ?」
彼らは獲物を見つけた野犬のように、ニヤニヤと不快な笑みを浮かべながら近づいてくる。
その巨大な影が、二人を覆い始めた。
「っ……!」
ティーファは思わずルナリアの制服の裾を掴む。
「ル、ルーナ!早く魔導弾を……!」
ティーファが震える声で警告するが、ルナリアは静かに首を振る。
「大丈夫です、ティーファさん」
その声には、不思議な落ち着きが漂っていた。
「彼等程度に魔導弾を使うのは……少し勿体ないですから」
「え……?」
ティーファが戸惑いの声を上げる中、ルナリアは一歩前に進み出た。
金色の髪が朝日に輝きながら、彼は不良達に向かって微笑みかける。
「失礼ですが、先輩方」
まるで友人と語らうかのような、穏やかな口調。
「僕達、2-Aの生徒を探しているのですが……ご存知ありませんか?」
その予想外の言葉に、オーガ達の表情が強張る。
「あ?なんだぁ?テメェ、舐めてんのか?」
「いいえ、そんなつもりは──」
オーガの一人が、重い足音を立てながら一歩前に出る。
その巨躯が、廊下に長い影を落としていた。
「……!」
オーガの巨大な腕が、まるで小枝を掴むかのように彼の胸ぐらを掴み上げた。
「生意気な口きいてんじゃねぇぞ、このチビがぁ!」
「ルーナ!」
ティーファは蜘蛛の糸に包んでいた魔導弾に手を伸ばす。
だが、ルナリアは静かに手を上げ、彼女を制した。
その瞬間……オーガの拳が、轟音と共にルナリアめがけて放たれる。
しかし──。
「!?」
オーガの目が驚愕で見開かれた。
彼の渾身の一撃を、ルナリアは片手で、子供の投げたボールでも受け止めるかのように、軽々と止めていたのだ。
その表情は、いつもの優しい笑みのままだった。
ルナリアの端正な横顔が、一瞬だけ冷たい光を放つ。
「失礼します」
彼のもう片方の手が、まるで蚊を払うかのような仕草で動いた。
だが、その一撃の威力は尋常ではない。
「がはっ……!?」
巨躯を誇るオーガの身体が、弾丸のように吹き飛ぶ。
彼は廊下の壁に激突し、そのまま白目を剥いて崩れ落ちた。
ドサッ──という鈍い音が響き、廊下に静寂が走る。
「へ……っ!?」
残された四人のオーガ達が、息を呑む。
廊下には、信じられないものを目の当たりにした者達の、重い沈黙が満ちていく。
「こ、この野郎!ぶっ殺してやる!」
残りのオーガ達が一斉に襲いかかる。
だがルナリアの動きは、それよりも早かった。
最初の一人の拳を軽やかにかわし、その勢いを利用して壁に叩きつける。
次の男の蹴りをステップで躱すと、その足を掴んで宙を舞わせ、三人目に投げつける。
最後の一撃は、まるで蝶が羽ばたくように優美に繰り出され、オーガの巨体を廊下の端まで吹き飛ばした。
「──え?」
わずか数秒。
廊下には三人の巨漢が、人形のように転がっている。
「お、おい……マジかよ……」
最後の一人が、震える声を漏らす。
その表情には、もはや恐怖しか残っていなかった。
「おや」
ルナリアは金色の髪を軽く揺らしながら、微笑みかける。
その仕草は、旧知の友人に出会ったかのように穏やかだった。
「もしかして、ナサラオくんではありませんか?2-Aの」
ティーファは呆然とその光景を見つめていた。
そして、ルナリアの言葉に、オーガの顔をまじまじと見る。
確かにその顔に見覚えがあった。どうやら3年生の群れに2年生が紛れ込んでいたらしい。
「な……なんで、俺の名前を……」
オーガの声が震える。
まるで幽霊にでも出会ったかのような、青ざめた表情。
ルナリアは金色の髪を優雅に靡かせながら、こめかみを人差し指でトントンと叩き、そして言った。
「同級生の顔と名前は、ちゃんとここに記憶していますから」
その言葉に込められた意味に、ティーファとオーガの二人は背筋が凍る思いだった。
優しい笑顔の裏に隠された、何か底知れない恐ろしさを感じたのだ。
「う、うそ……」
震える声が、静まり返った廊下に響く。
「ル、ルナリア……アンタ……そんな強かったの……?」
ティーファがそう言うと、ルナリアは何事も無かったかのように笑顔で振り返った。
「父のシゴキが厳しかったもので」
苦笑いしながら紡がれた言葉にティファニーはなんとも言えない表情になり、オーガの青年は呆然とルーナを見つめていた。