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第12話

「ひっ……!」


バルドは思わず悲鳴を漏らし、その場にへたり込んでしまう。

この男に名前を呼ばれただけで、膝から力が抜けてしまったのだ。

アルヴェはゆっくりと、倒れた獲物を眺めるかのような目つきでバルドを見下ろしていた。


「ふぅん……テメェ、なかなかの善人じゃねぇか?あんな社会のクズ共に道を譲るなんてよぉ。と~っても良い子なんだなぁ?えらいえらい」


アルヴェは指をくるくると回しながら、笑みを浮かべる。

その皮肉めいた台詞に、バルドの背筋が凍り付いた。

見られていたのか──不良としてのプライドを捨て、異種族の不良に道を譲ったあの瞬間を。


「へへっ……リーゼント立てて、首からチンピラみてぇなネックレス下げといて、中身はお利口さんかぁ。人は見かけによらねぇもんだなぁ!ぎゃはははは!」


アルヴェの嘲笑が響き渡った直後。


「──!?」


──鋭い蹴りがバルドの腹を貫いた。


「がはっ……!?」


予期せぬ一撃に、バルドは腹を抱えて地面に倒れ込む。

痛みと共に湧き上がる疑問。

──なぜ蹴られた?何が気に食わなかったというのか?


「あん?なに不思議そうな面してやがる?あぁ、分かんねぇのかぁ?俺がテメェを蹴った理由が……」


アルヴェは意地の悪い笑みを浮かべながら、地面に這いつくばるバルドを見下ろす。


「へへっ……」


アルヴェは腹を抱えて蹲るバルドの耳元まで顔を寄せ、低い声で呟いた。


「俺はなぁ……テメェみてぇな『偽物』を見るとイライラすんだよ。外見だけイキがって、中身は情けねぇクソ雑魚。へっぴり腰で逃げ回るゴミクズが……なぁ!」

「!?」


再び放たれた蹴りが、バルドの体を貫く。

彼は抵抗する間もなく、人形のように廊下を転がっていった。


「まぁ、本来ならテメェみてぇな中途半端なクソゴミは、即座にぶっ殺して消し炭にするとこだが」


アルヴェは意地の悪い笑みを浮かべる。


「運がいいことに、テメェは2-Aの掃きだめクラスの生徒らしいじゃねぇか。幸運に思うんだなぁ?底辺クラスに所属していたことをよ……」

「な、なにを……言って……」


バルドは血を吐きながら、意味不明な言葉を呟く。

この狂った男が何を言いたいのか、理解しようとする前に──。

今度はアルヴェの拳が、バルドの腹を貫いた。


「ぐはぁっ……!?」

「へへっ……じゃあな。目が覚めたら『天国』だぜ?2-Aっていう素晴らしい楽園だ。ぎゃははは!!」


薄れゆく意識の中で、バルドは悟っていた。

この男が言う『天国』なんて、きっと地獄そのものなのだと。

狂人が支配する、まさに生き地獄──。

そんな確信と共に、バルドの意識は暗闇へと沈んでいった。

床に転がる彼の横で、アルヴェは実に満足げな笑みを浮かべていた




♢   ♢   ♢




「へへっ、平和ボケした学園も案外楽しいもんだなぁ」


アルヴェは千鳥足で学園内を徘徊していた。

時折、不良どもが道を譲らない様子を見て歯指一本で吹き飛ばし、魔導外套を光らせては炎上させ、実に愉快そうに破壊の限りを尽くしている。


「元気が有り余ってるゴミ共にこの英雄様が『正義の教育』をしてやってるだけだァ……有難く思え社会の底辺どもぉ~♡」


廊下の角から獣人の不良が飛び出してきたと思えば、デコピンで天井まで吹っ飛ばし。

校舎の裏で奇妙な草を吸っていたドワーフの集団には火をつけてやらぁと言って熱い炎をばら撒き。

屋上でサボっていたハーピーの群れは、雷撃一発で見事に丸焼き状態──。


「ぎゃはははは!段々とわかってきたぜ。教師ってのは実に素晴らしい職業じゃねぇか!ストレス解消にはもってこいだなァ!」


そんな「教育者」が貯水槽の前を通り過ぎた時、ふと足を止めた。


「ん?」


貯水槽の中から、何かの気配が漂ってくる。


「妙だな……あんなところから気配を感じる……」


アルヴェは目を細めて貯水槽を見上げる。

普通なら、あんな場所に生命の気配を感じるはずがない。


「まぁでも、ここは色んな種族が集まる『学び舎』だからなぁ……」


彼は嘲笑うように言葉を紡ぐ。


「いや、どっちかっつーと世界中のゴミクズを一箇所に集めた、立派な『ゴミ集積場』って感じだな。そんな場所なら貯水槽の中に気配がするってのも、まぁ納得っちゃ納得か」


アルヴェは不吉な光を放つ魔導外套に身を包んだまま、そっと空中へと浮かび上がる。


「さーて、どんなゴミが隠れてやがるのかなぁ?」


錆びついた貯水槽の扉を開けると、中からは冷たい水の匂いが漂ってきた。

内部は薄暗いが澄み切った水が溜まっている。恐らくこまめに手入れされているのだろう……。

しかし、貯水槽は貯水槽だ。幾ら綺麗だからと言って普通の生物が住める場所ではない。


だが、そこにいたのは──


「……人魚?」


アルヴェは目を見開いた。

そこには制服を着た人魚の少女が浮かんでいたのだ。

肩まで届く青色の髪が水中でゆらゆらと揺れ、腰から下は美しい魚の尾を持つ。

制服の裾は水に濡れて重そうに沈んでいるが、彼女自身は優雅に水中で身体を保っていた。

人魚族──人の上半身と魚の下半身を持つ、水棲の種族である。


「はぁ……?人魚のクソガキが貯水槽でサボってやがんのか。まぁ、人魚らしい発想ではある……魚は水の中が居心地いいもんなぁ!ぎゃははは!」


アルヴェは嘲笑うように高笑いを上げる。

なるほど、と彼は納得したように頷いた。水中でこそ力を発揮する人魚にとって、この場所は最高の隠れ家なのだろう。

さすが不良、サボり場所の選定が実に的確である。

いや、むしろそこまで考えてサボる場所を選んでいるなら、その頭を勉強に使えばいいものを──。


「ったく、世の中には色んなゴミがいるもんだぜ」


アルヴェは呆れたように溜め息をつく。

今日一日で様々な「社会のゴミ」を目にしてきたが、こんな場所でサボる不良は初めてだった。


「んぁ〜……まぶしいっス……扉、閉めてよ〜?」


人魚の少女は、顔だけ水面から出して、すやすやと眠りこけていたらしい。

突然の来訪者に対して、寝ぼけながらそう言った。

実に図々しい態度である。


(この生意気なクソガキが……サボり中のゴミクズの分際で偉そうに……)


アルヴェの額に青筋が浮かぶ。

こいつは教育的指導が必要かもしれない。いや、必要に決まっている。


……だが待て。


よく見れば、そこまで不良っぽい雰囲気でもない。

むしろ、ただの「おバカ」という印象だ。

そうだ、このアルヴェ・ローレンスは紳士なのだ。高潔なる英雄様が、ただの馬鹿な生徒に手を上げるわけにはいかない。


「おいおい、魚ちゃんよぉ。そろそろ目を覚ましたらどうだ?つーか、貯水槽で寝てたら水が濁るだろうが。お前の体から出る汚れで、この水飲めなくなっちまったらどうすんだよ?」


アルヴェは極めて紳士的に、実に丁寧に接していた。

普段なら即座に相手を消し炭にするところを、ここまで言葉で諭すなんて──

さすがは高潔なる英雄様である。アルヴェは自分で自分を褒めてあげた。


だが──。


「はぁ〜?何言ってんスかこいつ〜。アタシの綺麗な身体は、アンタみたいなゴミとは違うから水は全然汚くならないっスよ〜?つーかアンタ誰っスか?まさか人魚の乙女の眠りを覗きに来た変態?キモッ!」

「──」


その瞬間。

アルヴェの表情が、見事なまでに一変した。

彼の額に浮かぶ青筋は今にも切れそうなほどに膨れ上がり、目は血走り、魔導外套の紋様が不吉な輝きを放ち始める。


──変態、だと?


この高貴なる英雄様に向かって、変態とは?

しかも、ゴミ呼ばわりまでして?

紳士的に接してやった自分の慈悲の心が、今、音を立てて崩れていくのが聞こえた。


「……」


アルヴェは一切の言葉を発することなく、ただ純粋な怒りに顔を染めながら、指先を水面へと向ける。

その指から迸る紫電は、まるで雷神の怒りのように周囲を這い回っていく。


「ていうかぁ、さっさと出てってくれないっスか?ここはアタシのプレイスなんでぇキモいおっさんはお呼びじゃ……って、うぎゃあーーーーッ!?」


人魚の侮蔑的な言葉は、悲鳴へと変わった。

アルヴェの放った電撃が水面を走り、貯水槽全体が紫色に輝き出す。


「こ、この魚のガキが……テメェ、この俺様が誰だか分かってて言ってんのかぁ?」


アルヴェは怒りに震える手で顔を覆いながら、低く唸るように言った。


「ぎ……ぎゃぁ……い、いえ、誰なんスか?アンタ……ぎょえーーーッ!?」


更なる電撃が水面を走る。

貯水槽の水が沸騰し始め、人魚の少女は文字通り、煮え湯に浸かっているような状態に──。


「へへっ……焼き魚になりたいってんなら、この英雄様が特別にサービスしてやるよ!」


アルヴェの魔導外套がこの日一番の輝きを放つ。

紫電は更に強さを増し、貯水槽の水は文字通り沸騰し始めた。水蒸気が立ち昇り、人魚の悲鳴が響き渡る。


「やべ……あちゅい!!びりびりする!!いでぇ!?うきゃーーーー!!」


やがて「お仕置き」を終えたアルヴェは、ぐったりとした人魚を魔術で宙に浮かせ、水から引き上げた。

制服はボロボロで、白目を剥いた人魚は、まるで干物のように力なく宙を漂っている。


「うーん……ちょいとばかし、やり過ぎたかねぇ?」


アルヴェは首を傾げながら、魔術で浮かせた人魚を眺める。


「まぁいいか。この程度で死ぬような奴は、最初から生きる価値なんてねぇんだよ。ギャハハハ!」


周囲に焼き焦げたような匂いが広がる中、アルヴェは気怠そうに手をくるくると振り翳す。


「さて、と」


アルヴェは魔力を操って、近くに「置いていた」他の生徒たちを浮遊させ、自分の周りに集める。

アルヴェの眼前には、気絶した生徒たちの体が宙に浮かんでいた。


──蜘蛛の糸を操るアラクネの不良女。

──不良の皮を被った腰抜けの人間男。

──生意気な口を利く人魚の女。


「ようやく三匹目ってとこか」


人形のように宙を漂う三人を眺めながら、アルヴェは深いため息をつく。


「はぁ~……この糞デカい学園、腐るほど広すぎやがる。時間食っちまうぜ」


アルヴェは気絶した三つの「戦利品」を眺めながら、溜め息をつく。

この学園は、まるで一つの街のように広大な敷地を誇っていた。

税金の無駄遣いも甚だしいが──まぁ、そんなことはこの英雄様には関係ない。


「これだけ頑張ってたった3匹とはな……。このペースじゃ50匹全員確保するのに、どんだけ時間かかるんだよ」


アルヴェは不機嫌そうに呟く。

クラス全員を回収するという壮大な目標に対して、あまりにも進捗が悪い。


「しかもよぉ……」


彼は意地の不機嫌な表情を浮かべ、気絶した三人を見つめた。


「捕まえた順から見ても、この学園のゴミの質が段々と落ちてきてやがる。最初はまだマシなゴミだったが……」


三人の不良は、無造作に宙に浮かんでいた。


「はぁ……」


アルヴェは気絶した生徒達を見つめながら、どこか遠い目をする。


──このザマじゃあ、戦場なんて生き残れるはずがない。


何しろ戦場は、地獄以上に残酷な場所なのだ。アルヴェ自身、生きているのが奇跡と言えるほどの修羅の世界。


甘やかしていては、こいつらのためにならない。

新兵は、甘い考えを持ったまま戦場に出れば、すぐに死んでしまう。


そう……あの時の、若き兵士たちのように。


──だから、もっと厳しくしないと。


「……!」


ハッと我に返ったアルヴェは、慌てて周囲を見回した。

そこには平穏な学園の風景が広がっているだけ。


もう戦場も、死体の山も、悲鳴も、何もない。


「そうか……今は、もう殺し合いなんてしなくていいんだっけ」


アルヴェは自嘲するように呟く。

今はあの地獄のような時代じゃない。平和な学園で、生徒達を「教育」する必要なんてない。

もう……殺し合いは、しなくていいのだ。


「ちっ」


不機嫌そうに舌打ちをすると、手元の酒瓶を傾ける。

だが、既に中身は空。最後の一滴さえ残っていなかった。


「……肝心な時に、酒がねぇとはな!役立たずが、消えろ!」


アルヴェは空になった酒瓶を高々と放り投げ、指先から魔力の光線を放った。

バリンッ!という音と共に、酒瓶は粉々に砕け散る。

硝子の破片が、キラキラと光を反射しながら雨のように降り注ぐ。


「……くそっ」


その破片の雨の中、アルヴェは気絶した三人の生徒を魔力で浮かせながら、よろよろと歩を進めていった。

まるで、百年前の亡霊に追われるかのように──。


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