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第10話

「ここが2-Aクラスか」


アルヴェは教室の表札を見上げながら、退屈そうに息を吐いた。


「さーて、最初が肝心ってわけだ。生徒を『手なずける』なら、一発派手な花火を打ち込むのが手っ取り早いよなぁ。あわよくば皆殺し……って、あぁそうだった。学園じゃ生徒は殺しちゃいけねぇんだったな。くそっ、つまんねぇ規則だぜ」


彼は不満げに舌打ちをしながらも、この物騒な「作戦」については至って真面目だった。

子供……特に不良と呼ばれる連中を従えるには、恐怖による支配が最も手っ取り早い。それは戦場で学んだ鉄則だ。

たとえ学園という「平和」な場所であっても、力で黙らせるという原則は変わらない。

むしろ、最初に徹底的に叩きのめしておけば、後々面倒な事にはならないはずだ。


「へへっ……」


アルヴェは魔導外套に魔力を込めながら、派手に引き戸を開け放った。

ここぞとばかりに全員の視線が集まる瞬間を待ち構える。

なお、直前まで頭に浮かんでいたはずの「殺してはいけない」という規則など、彼の頭の中からは既に都合よく消え去っていた。


「──邪魔するぜぇ……!」


そうして教室に颯爽と踏み込んだ瞬間。


「……あぁ?」


アルヴェの間の抜けた声が、空っぽの教室に虚しく響き渡った。

机も椅子も整然と並んでいるのに、そこには生徒の姿が一人もない。


「う~ん……?」


アルヴェは不思議そうに首を傾げながら、教卓の上に名簿を放り投げ、その上に腰を下ろした。

確かにここは2-Aの教室のはずなのだが……。まさか全員風邪でも引いて休んでいるとでもいうのか?

いや……そんな都合の良い事があるはずもない。


そんな時だった。


「誰ですか?」


誰もいないはずの教室から、突如として声が響き渡る。

思わず身を浮かせたアルヴェだったが、目を凝らすと教室の後方に人影が見えた。

アルヴェは目を細める。後ろの席に、誰かが座っていたようだ。


「んん……?」


そこにいたのは、静かに本を広げ佇む青年。

金色に輝く髪と、深い紅を湛えた瞳。整った顔立ちは見る者の目を奪うほどの美しさを持ち、その一挙手一投足からは品格が漂っていた。

彼の周りだけ、時間が止まったかのような静寂が広がっている。


「お前は……」


アルヴェが声をかけると、青年はゆっくりと顔を上げた。

その尖った耳が、彼がエルフであることを物語っている。


「僕はルナリアと言います。貴方様は一体どちら様でしょうか?服装からして、学生の方ではなさそうですが」


アルヴェは思わず拍子抜けした。

突如として教室に踏み込んできた、怪しげな外套を纏った男に対し、青年は実に丁寧な物腰で応対してきたのだ。

この無法者の巣窟と化した学園には、似つかわしくない上品さである。


「あー……。俺は今日からこのクラスの担任になったアルヴェ・ローレンスってもんだ。……他の連中はどこ行った?」


教室に入る時に考えていた『恐怖による支配』作戦は、この青年の前では何故か口に出せない。


「担任……このクラスの?しかも、アルヴェ・ローレンスとおっしゃいました?」


アルヴェの言葉を聞いた瞬間、青年の碧眼が僅かに見開かれる。

彼は何かを思い出すように、小さく呟きを漏らした。

だがそれも束の間、すぐさまアルヴェの方に向き直ると、立ち上がって深々と一礼する。


「これは失礼いたしました、先生。まさか2-Aに新しい担任がいらっしゃるとは……」

「は?」


アルヴェは思わず間の抜けた声を上げた。担任が来るのがそんなに異常なのか?

どういうことだ、とアルヴェが首を傾げていると、ルナリアというエルフの青年はおずおずと口を開いた。


「この2-Aは、学園の中でも特に……その、問題のある生徒が集められたクラスでして」


彼は言葉を選ぶように、慎重に説明を続ける……。


「彼らには、そもそも『授業に出席する』という概念が欠落しているようで……。登校してきたとしても、どこかで喧嘩をしているか、サボっているのが日常なのです」


彼は一瞬言葉を切り、申し訳なさそうな表情を浮かべる。


「前任の教師の方も……着任してわずか三日で音信不通になってしまいました」

「ほぉほぉ、なるほどねぇ」


アルヴェは意地の悪い笑みを浮かべた。つまりこのクラスは完全に腐り切ってる、と。

高潔なるクルファ様が、わざわざこんな地獄のような場所を用意してくれたというわけか。さすが性悪エルフ、やることが実に上品である。

殺そうかな。


「それで」


アルヴェはゆっくりとルナリアの元へと歩みを進める。


「そんな『優秀』なクラスにいるオメーは一体何者なんだ?見た目も態度も、この学園には不釣り合いな上品さだが……」


アルヴェの目には疑惑の色が浮かんでいた。

見た目は高貴なエルフそのものだが、このクラスに配属されたということは……もしかして表の顔と裏の顔を使い分ける、とんでもないクソ野郎なのか?

だとしたら演技力の上手さを喝采するところだが……。


「いえ……僕は家庭の事情でこのクラスに入れられてしまって……」


その言葉に含まれる複雑な響きに、アルヴェは思わず目を細めた。


「ふぅん……」


アルヴェは何か深い事情を感じ取りつつも、今は追及するのを止めた。

この青年のどこかで見た事があるような気もしなくもないのだが……。

彼の既視感のある見た目も、酒の回った頭では思い出せそうにない。


「オメーも色々と苦労してそうだが……まぁいいや。──それよりよぉ」


アルヴェの声のトーンが急激に下がる。


「せっかく、この偉大なる英雄様が教えに来てやったってのによ。お前以外は全員サボりか。ふぅん」


アルヴェの外套の紋様が、彼の怒りに呼応するように、徐々に光始めた。


「ガキの分際で、俺の有り難い御言葉から逃げようってのかぁ。ふんふん、なるほどなるほどぉ……」


彼の全身から、今にも爆発しそうな怒りが漏れ出していた。

このままでは憤怒のあまり、学園を灰にしてしまいかねない。


──いや、そうだ。今、この瞬間にでも消し炭にできる。全部焼き尽くしてしまえば、もう誰も授業をサボることはできない……。

あぁ、でも学園も燃えたら授業も出来ないか。

ならば……。


アルヴェの目が、徐々に狂気の色を帯びていく。


「せ、先生……?」


ルナリアは困惑の表情を浮かべた。目の前で、アルヴェの魔導外套が不吉な紫電を纏い始めている。

その光は徐々に強さを増し、教室の空気が重く澱んでいく。


「許されねぇよなぁ……ガキの分際で、この英雄様をここまで怒らせるってのは。お前もそう思うだろ?ルナリアとやら……」


アルヴェの声は低く、そして危うい。

百年前の戦場で敵を追い詰めた時のような、殺意すら帯びた声色だ。


「え?そ、そうですね。はい……」


ルーナは慌てて相槌を打つ。

目の前で暴れ出しそうな猛獣を、なだめるかのように……。


「だろぉ?くくくっ……。ルナリア、オメーはほんっと良い子だよなぁ。誰もいない教室で一人お勉強なんて……」


アルヴェは意地の悪い笑みを浮かべながら、甘ったるい声を上げる。

実際のところ、この怒りはただの我が儘だ。サボり癖のあるガキどもが気に食わない、それだけの話。

だが今、目の前にいるエルフの青年が一人寂しく勉強している姿を見せつけられ、彼は都合の良い大義名分を見出していた。

これは、真面目で良い子の為になんとかしてやらないとなぁ。本当は暴力的行為なんて嫌いなんだけどなァ。……と。


「あぁ〜、健気すぎて涙が出るぜ。そんな可哀想なオメーの為に、クラスメートを用意してやるよ……49人分くらいかなぁ!」


アルヴェの魔導外套から放たれる紫電が、一際強く教室を照らし上げた。


「!?」


その光に目を眩まされ、ルナリアが瞬きをした瞬間、英雄の姿は既に消え去っていた。

取り残されたエルフの青年は、呆然とアルヴェのいた場所を見据える。

濃厚な魔力の残り香が、その場所に漂っていた。


「……まさか、あのアルヴェ・ローレンス様がここに来るだなんて」


両親から何度も聞かされた、あの伝説の英雄アルヴェ・ローレンス。

目の前の男が、紛れもなくその本人だと確信した瞬間だった。


「……大丈夫でしょうか?」


その呟きには、これから起こるであろう惨事への予感が込められていた。


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