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第8話

戦争です!



戦争です……



戦争……



戦……



「……」


アルヴェは、目の前のサキュバスの言葉を理解できずに黙り込んでいた。

弱肉強食の世界を終わらせるために、さらなる殺し合いを?

その論理の飛躍に、アルヴェは一瞬自分の脳が酒で溶けてしまったのではないかと疑うほどだった。


(酔いすぎて幻聴でも聞こえたのか……?いや……だが……)


だがその時、彼の脳裏に閃きが走る。


「──あぁ、なるほど。わかったぞ」


表情が変わり、意地の悪い笑みが浮かび上がる。


そうか、ここは「平和な学び舎」なんかじゃない。

ガキ共が己の力を試し、高め、そして──誰かをぶっ殺すための技術を身につける場所。

要するに、戦場へと続く階段なのだ。


そして、その果てに──。


「なるほどなぁ!」


アルヴェは机の上で高笑いを上げる。


「他の学校に戦争仕掛けて、外敵作って内部の団結を図るってわけか?ギャハハハ!相変わらずエグい事考えやがるじゃねぇか!」


彼は意地の悪い笑みを浮かべながら、クルファの方を向いた。


「安心したぜ、クルファよぉ!テメーが100年前と変わらずクズのままで、なぁ!!」

「……違う!お前みたいなクソジジイと一緒にするな!」


クルファは咆哮を上げる。


「ふざけた事ほざくと、マジで生首引っこ抜いてぶっ殺すぞ!このクソ老害が!!」


その瞬間──。


「はっ!」


我に返ったクルファは、慌てて口を押さえた。

ゆっくりとナジャの方に視線を向けると、彼女は震える手で口を押さえ、信じられないものを見るような目でクルファを見つめていた。


「が、学園長……?」


小さな声で絞り出されたナジャの言葉に、クルファは血の気が引いていくのを感じた。

しまった、と思い慌てて口を閉ざすが後の祭りである。


「あ、あの、ナジャさん」


クルファは慌てて愛らしい笑顔を作り、天使のような声色で言い訳を始める。


「今のは違うんです。この邪悪な魔術師が、私を操って言わせた言葉なんです」


いかにも「私は聖人です」という顔で、アルヴェに罪をなすりつける作戦に出た。


「まぁ!そうだったんですか!?」


ナジャは手を叩きながら、まるで子供のように目を輝かせる。


「てっきり学園長がマジの殺人鬼……じゃなくて、恐ろしい人だと思っちゃったけど……ホッとしました〜」

「いや待て待て待て!」


アルヴェは机から転げ落ちそうになりながら、必死に突っ込む。


「あんな出来の悪い言い訳で説得できると思ったテメーのセンスも大概だが、マジで信じ込んじまったナジャの頭の中身も大概じゃねぇか!おい!聞いてんのか!?」


クルファは気まずそうに窓の外の氷漬けになった生徒達に目を向け、ナジャは相変わらず無邪気な笑顔を浮かべている。


「まぁ、話を元に戻しましょう」


クルファは咳払いをして取り繕いながら、机の引き出しから一冊の雑誌を取り出した。


「戦争と言っても、本当の戦争ではないのよ。ほら、これを見て」


表紙には派手な文字で『月刊・学園戦争』と書かれている。

装飾過多な文字の下には、カッコよく決めポーズを取る生徒達の写真が並んでいた。


「なんだこりゃあ……?」


アルヴェは雑誌を開くなり、思わず眉をひそめる。


「これは世界中で大人気の雑誌なんです。今や知らない人がいないってくらいの」

「人気、ね……」


アルヴェは怪訝な表情で、ページを捲っていく。

そこには……。




【緊急特集!魔族名門校VS人類名門校!新時代の幕開け!】

血で血を洗うような戦場の写真の下に、笑顔でピースサインを作る生徒達が写っていた。


【今年の注目株!強豪戦争部一覧】

【卒業生がプロ入り常連の学園はここだ!】

鎧に身を包んだ生徒達が、まるでアイドルのように撮影に収まっている。


【加熱するウォーゲーム人気!】

【人気解説者、エルマー女史に聞く昨今のウォーゲーム事情!】

妖精のような小柄な女性が、戦術論を熱く語るインタビュー記事。


【勇者候補と魔王候補、今年の軍神はどっち!?】

派手な見出しの下で、人間と魔族の若者が背を向けて佇んでいる。




「……こんなもんが、売れてんのか?」


アルヴェは呆れた表情で雑誌を眺める。


「まぁ、貴方は百年近く引きこもってお酒ばっかり飲んでたから知らないでしょうけどね」


クルファは得意げに説明を始める。


「今、世界的に『ウォーゲーム』というスポーツが大人気なんですよ」

「ウォーゲームだぁ?」


アルヴェの困惑した声が、静まり返った学園長室に響く。


「ええ、簡単に言うと戦争を模したスポーツですね」


クルファは嬉しそうに説明を続ける。


「百人単位でチームを組んで戦うの。ルールは至極単純よ。陣地を奪い合って、最後により多くの陣地を制圧した方が勝ち……というだけ」


アルヴェは黙り込んだ。

100対100の模擬戦?

要するに、戦争「ごっこ」というわけか。


「戦争……か」


不意に。


記憶の片隅に仕舞われていた戦場の光景が頭を過る。


血に染まった大地、友の断末魔、そして永遠に消えない憎しみ。


オーガの一団が人間の陣地に突っ込み、その巨体で兵士達を文字通り踏み潰していく光景。

ハーピーの群れが空から魔法の雨を降らせ、それを避けきれなかった者達が肉片となって散っていく様。

人間の魔術師がドラゴンのブレスに対抗し、互いの魔力が激突して辺り一帯が消し炭と化す瞬間。

エルフの狙撃手が放った矢が、数百ものサキュバスの翼を貫いて地面に叩きつける凄まじさ。


戦場に満ちる血の匂い、焦げた肉の臭い、そして耳を劈く悲鳴。

種族同士の憎しみと殺意が渦巻く地獄。


アルヴェも闘争は嫌いではない。否、むしろ好きな方だ。

血が沸き立つような戦いは、彼にとって至福の時ですらある。


だが──。


あの大戦を、もう一度経験しろと言われたら?

彼は一瞬の躊躇もなく拒否するだろう。それほどまでに、あの戦争は酷いものだった。

全ての種族を巻き込み、誰一人として救われることのなかった、あの地獄の日々は……。


「くだらん。そんなもんに熱中するほど暇なのか、今の奴らは」


アルヴェは雑誌を机に投げ捨て、吐き捨てるように呟いた。

その言葉を聞き、クルファは静かに目を伏せる。

彼女の表情には、何か複雑なものが浮かんでいた。


「アルヴェ……貴方の気持ちはよく分かります」


彼女は窓の外に広がる氷の光景を見つめながら、静かに続けた。


「最初は私も同じ気持ちでした。あの大戦を経験した者なら、誰もがそう感じるでしょう。……でも」


クルファは一瞬言葉を切り、深いため息をつく。


「中には、純粋にこの競技を楽しんでいる人達もいるの。戦争を知らない世代は、純粋な気持ちでこれを見ているのよ」

「だからそれが理解できねぇって言ってんだよ」


アルヴェは酒を求めるように部屋を見回しながら、苛立たしげに言い放つ。


「本当の殺し合いを知らない奴らの戦争『ごっこ』。そりゃ結構。──で?それの何が面白いんだ?」


知らず知らずのうちに、アルヴェの全身から濃厚な魔力が漏れ出していく。

その圧倒的な殺気に、部屋の空気が凍りつく。


「俺もテメェも、あの地獄を生き抜いてきた……なら、知っている筈だ……」


アルヴェの目が、血のように赤く輝いた。


「隣にいた仲間が、目の前で原型を留めないほどに引き裂かれた光景を。頭を半分吹き飛ばされた敵が、それでもなお這いずり寄ってきて首に噛みつこうとした瞬間を」


その言葉の持つ重みと、漏れ出す魔力の威圧感に、ナジャは思わず背中の小さな翼を震わせた。

彼女は机の影に身を隠すように震え、この場から逃げ出したい衝動に駆られている。

だが、アルヴェは容赦なく言葉を継ぐ。その瞳には、百年前の戦場が未だに焼き付いていた。


「憎しみも、狂気も、悲しみも……そして痛みも……消えてくれやしねぇ。いくら酒を飲もうがな」

「……」


アルヴェの声が、低く重く響く。


「それは俺もそうだし、魔族共だってそうなんだろう」


その言葉に、クルファは深く俯いた。彼女とて、同じなのだから。

その碧い瞳には、消し去ることのできない光景が焼き付いている。


山のような死体の中を進み、アルヴェと共に敵陣へと突っ込んでいった日々。

巨人族の首を刎ね、オーガの腹を裂き、ラミアの胸を貫いた。その度に返り血を浴び、その血生臭い匂いが今でも鼻についている。


魔族の群れを薙ぎ倒しながら進む度に、彼女の手から放たれた魔法は、無数の命を奪っていった。

アルヴェの魔術に導かれ、彼女は「殺戮者」へと成長していった。だからこそ、戦場の光景は決して消えない。

敵の断末魔が耳に残り、血飛沫が目に焼き付き、焦げた肉の匂いが鼻をつく。

それは百年経った今でも、彼女の心に深く刻み込まれている悪夢だった。


「だがまぁ……」


アルヴェは急に声のトーンを変え、意地の悪い笑みを浮かべる。


「お前は綺麗さっぱり忘れられたようで何よりだ。さっすがエルフ様だねぇ。人間の貧弱な脳味噌とは『出来』が違うってわけか。羨ましいぜ、ギャハハハ!」


その瞬間、アルヴェの周りの殺気が消え、いつもの酔っ払いの雰囲気に戻っていた。

クルファは静かに拳を握り締める。

その小さな手に力を込めながら、ゆっくりと口を開いた。


「──そうかもしれない。だけど……」


彼女は窓の外の氷漬けになった生徒達を見つめる。


「だからこそ、私はこの学園でウォーゲームという目標を子供達に持って貰いたいの。ただ無意味に暴力を振るうだけじゃない……観客を熱狂させ、人々に夢を見させる。そんなウォーゲームを通じて、彼らに自分の存在意義を認識させたいのです」


クルファの言葉に、アルヴェは思わず酔った目を見開いた。

大戦時代、自分に劣らず血に飢えていた娘のような存在が、こんな……理想めいた言葉を口にするなんて。


「お前は……変わったな」

「え?」


クルファは思わず声を上げる。


「昔はもっとこう……そう、そうだ……」


アルヴェは懐かしむように目を細める。


「俺達みてぇな頭のネジが外れた連中に向かって、『殺し合いを楽しめ!もっと血を見せろ!』なんて叫んでたじゃねぇか」

「い、いや……それは……」


クルファは慌てて言い訳しようとするが、言葉が詰まる。


「──まぁ、いいんじゃねぇか?」


アルヴェは机から降り、窓の外を眺めながら言った。


「昔のお前より今のお前の方がずっとマシだ。俺は嫌いじゃないぜ?そういうの……」


彼は一瞬言葉を切り、不機嫌そうに付け加えた。


「まぁ、戦争を遊びにすりゃいいって発想は気に食わねぇがな」


その予想外の言葉に、クルファは目を見開いた。

かつて彼女を「殺戮者」へと仕立て上げた男が、こんな……まともで優しい言葉を口にするとは。


「それで?」


アルヴェは話題を変えるように、酔った目でクルファを見る。


「わざわざ俺をここに呼び出した理由は?まぁ、なんとなく予想はついてるがな」

「……今度、この学園にウォーゲームの部活──戦争部を新設します」


クルファは真剣な眼差しで言葉を続けた。


「アルヴェ、貴方にはその部活の顧問になって欲しいのです。大戦時代、貴方は新人を育てた経験が豊富でしょう?だから……」


クルファの言葉が終わる前に、アルヴェは即答した。


「断る」

「……一応、理由くらいは聞かせてもらえます?」

「ガキは嫌いなんだよ。殺したくなるくらいにはな」


アルヴェは意地の悪い笑みを浮かべる。


「まぁ、それ以前にめんどくせぇ。この英雄様が、ガキの遊び相手なんかするわけねぇだろ」


クルファは思わず頭を抱えた。

この男は100年経っても何一つ変わっていない。実力は確かにある。

だがそれ以外は……ただの怠け者という他ない。信念も理念も持たない、ただ酒を飲んで生きているだけの男なのだ。


「そ、そんなぁ〜!」


ナジャが突如として泣きべそをかき始めた。


「この学園の生徒達は強い人の言うことしか聞かないんです!せっかく戦争部を作っても、誰も入ってくれなさそうで……アルヴェさん、貴方強いんですよね?ね?お願いします〜!」


確かにアルヴェは強い。それは紛れもない事実だ。なにせ英雄なのだから。

しかし、彼はその事実を口には出すが、内心では全く誇れることではないと思っている。

何故なら──彼にとって強さは、ただの手段でしかないのだから。


「嫌なもんは嫌なんだよ!そもそも俺様にメリットがねぇじゃねぇか」

「メリット?……貴方ね、伝えた筈ですけど……お酒飲みすぎて忘れたのかしら、このジジィ。まぁいいわ、もう一度説明しますけど」


クルファは思わせぶりに手を打つ。


「アルヴェ……貴方、借金があるみたいですね。主に……飲酒代の」

「それがどうしたってんだ」


アルヴェは突っ張るものの、その声にはほんの僅かな動揺が混じっていた。


「この学園は市営でしてね」


クルファは意味ありげな笑みを浮かべる。


「戦争部の設立も、アルサス都市の上層部が関わってるの。どうやら都市の新たな興行にしたいみたいで……その一環として、学園の戦争部関連には莫大な予算が付いたんです」

「……ふーん?」


アルヴェは急に姿勢を正す。


「いや、別にそんな話に興味は無いけどね?あ、いや、続けたまえ」


その態度は、まるで「興味ないけど聞いてやる」という建前と、「金の話なら死ぬほど興味がある」という本音が見事に混ざり合っていた。


──良し、釣れた。


クルファは内心で満足げに笑う。

アルヴェの態度は見事に豹変していた。先程まで退屈そうだった目は輝きを帯び、背筋も自然と伸びている。

全身から「金金金」というオーラが漏れ出ていた。


「つまりですね……」


クルファは悪魔のような笑みを浮かべながら続ける。


「もし貴方が戦争部の顧問になってくれれば、その膨大な借金も経費として肩代わりできるかもしれないんです。その上で、更に二千万ヴァル以上の報酬を……」

「借金を肩代わりした上で、二千万ヴァル!?マジで!?」


思わず素の声が漏れ出たアルヴェは、慌てて咳払いをする。


「うぉっほん。いや、なんでもない。なんでもないぞ。この俺様は金なんぞに釣られないから勘違いしないように」


完全に動揺を隠しきれていない様子で、アルヴェは虚勢を張る。

餌に食いついた魚が、まだ食いついていないフリをしているようで、クルファは呆れたように肩を竦めた。


「……だがまぁ」


アルヴェは、できるだけ格好をつけようと背筋を伸ばす。


「せっかく、くれるって言うんだ。貰ってやらないのも失礼ってもんだよなぁ。よく考えたら、ガキ共の面倒見る代金としちゃ、まぁ……妥当な線かもしれねぇ。なにせ俺様は英雄だし?あ、勘違いするんじゃねぇぞ?俺はあくまで……」


見事な掌返しである。

金が絡むと、この男の決断は実に素早い。単に金に目が眩んだ小物とも言えるが、その実力だけは本物なのだ。


「それにしても水臭いぜ、クルファよぉ」


アルヴェは、突如として「親バカ」モードに切り替わる。


「俺とお前の仲じゃねぇか。可愛い娘のお願いなら、二つ返事で引き受けるに決まってんだろ?ギャハハハ!」

(……誰が娘だ)


クルファは内心で毒づく。

こんな酔っ払いに娘呼ばわりされると、背筋が凍る思いだ。


「そう……そうなんだよなぁ。俺ってば、家族想いの男だからなぁ~かっー!!」


アルヴェは意地の悪い笑みを浮かべる。


「親バカの俺様からすりゃ、金なんて二の次……いや、お金は大事だけど……うん、でも可愛い娘の為なら……あぁでもやっぱ金も大事だけどよぉ~」

「もういいです。話が進まないので」


クルファは深いため息をつく。

もう少し悩むフリくらいはして欲しかった。金に目が眩んで即決するのは分かっていたけれど、これじゃただの馬鹿だ。まぁ馬鹿なのだが。


「へへ……まぁ仲良くやろうじゃねぇか……」


アルヴェはふらふらと立ち上がり、クルファの方に手を伸ばす。

彼女は即座にその手を払い、顔をしかめた。

息が臭い。アルコールと錆びた鉄のような匂いが混ざった、まさに「酔っ払い英雄」の体臭である。


「ち、今更反抗期か?……まぁいい、具体的には何すりゃいいんだ?」

「そうですねぇ……」


クルファは窓の外を見やる。

氷漬けになった生徒達が、今も立ち並んでいる。中には泣き顔のまま凍りついている者もいれば、逃げ出そうとした姿勢で固まっている者も。

その中を雪女達が、スケートリンクのように滑っていた。


「じゃあまずは」


クルファは静かに、しかし明確な殺意を込めて言った。


「氷漬けになった生徒と校舎を元に戻してください」


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