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第7話


「な、なんだこりゃあ……!?じゃなくて、なんてこと……!」


クルファは凍てついた窓の外を唖然と見つめていた。

この規模の魔術、この破壊力、そしてこの「雰囲気」──。

自分の知る限り、このような魔術を扱えるのは、たった一人しかいない。

まさか……。

その考えが脳裏を過ぎった、まさにその瞬間。


「お〜う、クルファ〜!久しぶりだなぁ〜!何年ぶりだぁ?何十年?それとも何百年……?」


突如として開け放たれた扉から、赤髪の青年が千鳥足で現れた。

自分の家にでも入るかのように気軽な足取りで、学園長室の机の上に腰を下ろす。


「へへ〜、お前はな~んにも変わってねぇなぁ~」


彼はどこからともなく取り出した酒瓶を片手に、クルファの大切な書類の山を蹴り散らしながら、にやにやと笑っている。


クルファは、目の前の非現実的な光景を呆然と見つめるしかなかった。


──まさか本当に、この男が、ここに……。


いや、確かに、自分が呼びつけたのは事実だ。だが、まさかこの自堕落な大酒飲みが、本当に学園にやってくるとは。

むしろ「絶対に来ない」と思い込んでいた。

ナジャから「アルヴェ様が来ると仰っていました」と報告を受けた時など──。


『マジで!?』


思わず「はしたない」叫び声を上げ、彼女が洗脳魔法でも受けて帰ってきたのではないかと真剣に心配したほどだ。

なにしろアルヴェと言えば、百年近く引きこもって酒びたりの生活を送り続けた男。その彼が、自分の誘いに乗ってくるはずがない。


「うぃ~……ひっく……♡あの酒場のマスターから『貰った』酒、うめぇ~♡」


しかし、窓の外に広がる氷獄と、目の前で悠々と酒を飲む男を見比べ、ようやく現実を受け入れた彼女の額に、青筋が浮かび上がる。


「貴方、よくもこれだけの事をしでかしておめおめと私の前に顔を出せましたね」


その声には、殺意すら滲んでいた。

だが──。


「あ〜?俺が何したって?」


アルヴェは完全に酔っ払った目で首を傾げながら、さらに酒瓶を煽る。

机の上の大事な書類が酒でびしょ濡れになっているのも、まるで気にする様子もない。


「あぁ〜……」


ダラダラと酒を飲み続けていたアルヴェが、突然何かを思い出したように手を打った。


「あっ、そうか!もしかして学園じゃ酒を飲んじゃいけないって決まりがあんのか?悪かったなぁ!でもそんなもん守るわけねーだろバーカ!ぎゃはははは!!」


アルヴェは完全に出来上がった顔で高笑いをする。

だが──。


「……」


クルファは一切の感情を押し殺したような無表情で、静かに手を翳す。

その指先から、微かな魔力の光が漏れ出る。

次の瞬間。

アルヴェが握っていた酒瓶が、まるで幻のように消え去った。

粒子となって空気中に溶けていく様は、幻想的でもあった。


「うおっ!?俺の酒がぁ!てめぇ何しやがる!この外道がぁ!」


アルヴェは机を叩きながら、まるで子供のように駄々をこねる。


「この光景を見て、なんとも思わないんですか?」


クルファの冷たい声が響いた。

そして彼女は無言で窓の外を顎でしゃくる。

アルヴェは「めんどくせぇ」とでも言いたげな表情で、ようやく窓の外に目を向けた。

そこには氷漬けとなった学園の姿。生徒達は逃げ惑う姿そのままに凍りついており、中には涙を流しながら固まった者まで──。


「おっ?なんだこりゃ!雪まつりか?」


アルヴェは上機嫌で酔った目を細める。


「へぇ〜学園でお祭りとはご苦労なことだ。しかもあの氷像、泣き顔まで再現してやがる。本物そっくりだぁ」

「ふざけないで!!」


クルファの怒声が響く。


「こんな事が出来るのは、貴方しかいないでしょう!アルヴェ・ローレンス!」


エルフの少女の姿をした学園長の声には、もはや取り繕う余裕すらない怒りが滲んでいた。

だが当の本人は、へらへらと意味ありげな笑みを浮かべているだけ。

その態度にクルファの青筋は更に膨れ上がり、今にも切れそうになっていた。


「なぜこんな事をしたんですか!?一体何を考えて──」

「おいおい、お前こそどうしたんだよ?」


アルヴェは酔った目で、面白そうにクルファを見つめる。


「昔はもっと殺伐としてたじゃねぇか。『全部ぶっ殺す』が口癖だったクセによぉ。今じゃ敬語だぁ?どこでそんな『お上品』な口調覚えたんだ?」

「ふざけないでくださいッ!!」


ついに限界が来た。

クルファの指先から魔力が漏れ出し、殺意すら帯びた光が宙を舞う。

だがその瞬間、ガチャリと学園長室の扉が開かれ、一人の女性が慌てた様子で飛び込んできた。


「学園長!大変で……あ」


女性は息を切らせながら叫びかけたものの、机の上でくつろぐ赤髪の男を見た瞬間、言葉を失った。

しかし、すぐに気を取り直すとクルファに向かって叫ぶ。


「た、大変です!学園中が氷漬けになって、生徒達が凍りついて……!」


女性の狼狽える声が部屋に響く中、クルファとアルヴェの視線が交差した。

一方は殺意に満ちた視線。もう一方は、どこか楽しそうな酔っぱらいの目。


「ん?おっ、ナジャじゃねぇか!」


アルヴェは酒臭い息を漂わせながら、にやにやと笑う。


「相変わらずデカいな〜その乳は。ほら見ろよクルファ、お前みたいな貧相な体つきとは大違いだぜ?ギャハハハ!」


ナジャは両腕で胸元を必死に隠しながら、涙目になって後ずさる。

一方、クルファは激怒のあまり卒倒しそうな勢いで震えている。その小さな体からは、今にも爆発しそうな殺気が漏れ出していた。


「えっちなのはダメですよぅ!それより今は学園が大変なんです!」


ナジャが必死に訴えかけるが──。


「──大変?何が大変なんだ?」


アルヴェは呑気に窓の外を指差す。


「ほら見ろよ。校庭じゃ雪女や氷精が楽しそうに遊んでるじゃねぇか」


確かに校庭には氷の彫像がいくつも並んでいた。

アルヴェの言葉に、クルファとナジャは思わず窓の外に目を向けるが……。


『わぁい!楽しー!』

『涼しくてちょうどいいわぁ~』


確かに、氷漬けとなった校庭を、雪女や氷精たちが楽しげに駆け回っている。

凍りついた生徒達の間をスケートのように滑りながら、はしゃぎ回る姿があった。


「あ、本当です!みんな楽しそう!」


ナジャが無邪気に声を上げる。


「そりゃそうでしょう。彼女達は寒いのが大好きな種族ですから……って」


クルファは我に返り、目の前のアルヴェを睨みつける。


「そういう問題じゃありません!他の生徒達はどうするんですか!?」


だが、アルヴェはその視線にも退屈そうな表情を浮かべるだけだった。

「なんでそんなに怒ってんの?」とでも言いたげな、実に呑気な酔っ払いの顔である。


「なに言ってんだ?俺はただ、ガキ共に魔術の「お手本」を見せてやっただけだ」


アルヴェは酒瓶を探しながら、愉快そうに笑う。


「くっくくく……マジで傑作だったぜ?俺が魔導外套の紋章光らせてんのに、奴等ときたら口開けてポケーっと突っ立ってやがる。これじゃ明日にでも死ぬぞ?ギャハハハ!!」


確かに、先ほどの騒動の中で正しく危険を察知し、避難行動を取れた生徒は一握りだった。

妖精の少女のように即座に逃げ出した者もいれば、アラクネの生徒のように蜘蛛の糸で身を守った者も。

だが、ほとんどの生徒は、アルヴェが魔導外套を光らせているのを、「なんか光ってる……」とでも呟くかのように、呆然と眺めているだけだった。

百年前なら、そんなゴミ共は朝日を拝む事は出来ずに即死してるだろう。


しかし、それも無理はない。

彼らは戦火を知らない世代なのだ。魔導外套の紋章が光る意味も、その時に取るべき行動も、知るはずがなかった。


「なぁクルファよぉ」


アルヴェは机の上で足を組み、意地の悪い笑みを浮かべる。


「テメェが教師だろうが何だろうが、正直どうでもいいんだがよ……あのガキ共に一体何を教えてやがる?あんなへっぽこ共、戦場じゃ肉壁にすらならねぇぞ?敵の魔術の餌食にされて終わりだ」

「ここは軍人養成所じゃありませんからねぇ!貴方みたいなテロリストへの対処法なんて教えてないんで!!私の学園は、平和な学びの場なんです!」


息を切らしながら必死に言い返すクルファ。

その様子は自分の理想を必死に守ろうとしているかのようだが──。


「ギャハハハ!」


アルヴェは下品な笑い声を上げながら、ますます意地悪な笑顔を浮かべる。

まるで、弟子の理想を面白がっているかのように。


「まぁいいじゃねぇか!今時のガキは平和ボケしてるんだ。ちょうどいい刺激になったはずだぜ?」


アルヴェは机の上で酒瓶を探しながら、呑気に言い放つ。


「……やはり貴方は危険人物です」


クルファは深いため息をつく。


「呼んだ私が馬鹿でした。もう結構です。さっさと帰ってください」

「はぁ!?帰れだぁ?」


アルヴェは突然、酔った目を見開いた。


「テメーが俺を呼び出しておいて、なんだそりゃ!?二千万ヴァルくれるって約束だろうが!早く金寄越せや!」

「うるさい!お前なんかに一ヴァルたりとも渡すもんか!」


クルファは机の上に山積みになっていた書類の束を掴むと、アルヴェめがけて思い切り投げつけた。

しかし彼は避けるどころか、微動だにしない。

紙束が彼に触れる寸前、パッと赤い光が走り、書類は灰となって散っていった。


「はぁ……これじゃいつまで経っても話が進まねぇな」


アルヴェは大げさなため息をつきながら、机の上で寝転がる体勢を取った。


「おいナジャ、この発狂寸前のミニサイズ・エルフの代わりに説明してくれや。俺は疲れた。この高齢エルフの相手は体力使うからなぁ」

「は、はい……わかりました」


ナジャは「ガルルル……」と獣のような唸り声を上げて威嚇するクルファを押しとどめながら、説明を始める。


「アルヴェさん、この学園をご覧になってどう思われましたか?」

「どうって……説明が必要かぁ?」


アルヴェは退屈そうに天井を見上げる。


「てっきり100年前にタイムスリップでもしたのかと思ったぜ。戦場かよってくらいガキ共が殺し合ってやがる。そこのエルフに言わせればこれが『平和』な学園の光景らしいが」

「はい……それが、この学園の日常なんです……」


アルヴェは首を傾げた。

あんな修羅場が日常?それじゃあもはや学園というより、戦場の練習場じゃないのか?


「元々この学園は、魔族と人間の相互理解の場として設立されたんです」


ナジャは静かに説明を続ける。


「アルサス都市自体が、種族間の壁を取り払うという理念で作られましたから。……なのに今では」


彼女は悲しそうな目で窓の外を見やった。


「血で血を洗うような抗争の日々。極悪な不良達が好き放題に……」

「……まぁでも、当初の理念は達成されてんじゃねぇのか?」


アルヴェは皮肉めいた笑みを浮かべる。


「人間も魔族も仲良く殺し合ってたぜ?種族の垣根なんてとっくに越えちまってる。むしろ手を組んで別の集団と戦ってやがった」


そう……確かにアルヴェですら目を見張るような光景だったのだ。

オークと人間が肩を組み、エルフとサキュバスの集団に殴り込みをかける。ドワーフと巨人が手を取り合って、ドラゴンと悪魔の群れと戦う。

ある意味、ここは世界一「種族の壁」を超えた場所なのかもしれない。

それが良い意味なのか悪い意味なのかは、誰にも分からないが。


「種族なんて関係なしに、損得で群れを作って弱いヤツをブン殴る……これぞ真の平等ってやつだろ!差別も偏見もねぇ理想郷じゃねぇか!」


彼は意地の悪い笑みを浮かべる。


「連邦平和賞にでも応募したらどうだ?『種族の壁を越えた理想の学園』……ってな。くはははは!!」

「……そこで、私達は考えたんです」


ナジャはアルヴェの嘲笑など耳に入らないかのように、真剣な表情で語り始めた。


「このままではいけないと。確かに今はまだ小規模な争いで済んでいますが、これからもっと激化していくのは明らかです」


アルヴェは思わず目を見開く。

小──規模な争い?先ほどの百人規模の殺し合いが?

あれを"小規模"と形容するナジャの感覚にもそこはかとなく狂気を感じるが……今はそっとしておこう。


「ですが、これを止めるには学園全体の意識改革が必要なんです!」


ナジャは両手を握りしめ、熱に浮かされたような表情で力説する。


「なぜ彼らは争うのか?それは目標を見失っているからです!思春期という多感な時期に自らの道を見失い、それゆえに非行に走っているんです!」

「いや……」


アルヴェは面倒くさそうに首を傾げる。


「ただ単に本能のまま暴れまわってるようにしか見えねぇが……」

「そうなんです!まさにそれです!!」


アルヴェの言葉を完全に無視し、ナジャはさらに熱を帯びていく。


「彼らは無意識のうちに助けを求めているんです!我々大人に!あぁ、なんて可哀想な子達なの……うっうっ……」


ナジャは自分の妄想に感動して、目を潤ませ始めた。

こいつは将来とんでもない大物になる……というか、もう既になっているのかもしれない。

他人の言葉を完全スルーして自分の理想を語り続けるその姿は、まさに"大物"の風格すら漂わせていた。


「だからこそ私達は決心したんです。彼らに目標を……いえ、魂を燃やす大義を与えるのです!」


ナジャは拳を握りしめ、政治家のように力強く宣言する。


「──ほぅ」


アルヴェはようやくまともな話が出てきたとばかりに、酔った目を細める。

まぁ、全く期待はしていないが。


「それで?その『目標』ってやつは、どんなもんなんだ?」

「はい!それは……」


ナジャは深く息を吸い込み、両手と、サキュバスの翼を大きく広げて宣言した。


「『戦争』です!」















「──はぁ?」


アルヴェの呆然とした声が、静まり返った学園長室に響き渡った。


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