「ギャハハ!うめぇ酒だったなぁ!」
アルヴェは千鳥足で、しかしほぼ直線的に(彼にしては珍しく)歩を進めながら、上機嫌で鼻歌を歌っていた。
完全に「昼間から出来上がってる困ったおっさん」そのものだが、見た目は麗しい青年なので違和感が拭えない。
なお、本人としては「上品な英雄様の優雅な散歩」のつもりらしい。
「なんか道がキレイになってきやがったなぁ……気のせいかぁ?」
足を進めるにつれ、街並みは大きく変化していく。
先ほどまでの雑多な通りとは打って変わって、今や石畳は隙間一つないほど整然と敷き詰められ、街路樹は芸術品のように刈り込まれている。
空き瓶の代わりに花壇が並び、物乞いの代わりに小奇麗な通行人が行き交う。
「おぉ……なんだあの城みてぇな建物は?でけぇなぁ……」
そして、アルヴェの視界の遥か彼方にそびえ立つ巨大な建造物。
それこそがアルサス都市の中心街に鎮座する「アルサス学園」──。
かの偉大なる平和の象徴として建てられた、市営とは思えない豪奢な学び舎である。
空に向かって伸びる尖塔群。純白の巨大な壁。一体、市の予算のどれほどをこの建物に注ぎ込んだのか。
さすが税金で運営される公立学園、使途を気にする必要などないのだろう。
「ふぅん。今のガキはこんな豪勢な場所で「平和」に学べるってわけか」
アルヴェは、校門から巨大な建造物を眺めながら、毒気の混じった笑みを浮かべた。
学園──なんとも聞こえの良い言葉だ。
子供たちを一ヶ所に集めて、机の前に縛り付け、頭に知識を詰め込む場所。
そこそこの教養と、それなりの社会常識を身につけさせる「効率的」な施設。
アルヴェにとって、こんな悠長な場所は知識としてしか存在しなかった。
大戦中は生き延びるのに精一杯で、そんな優雅な建物など爆薬の材料にもならなかった。
平和になってからは……まぁ、酒に溺れる生活の方が性に合っていたというわけだ。
「机の前でお利口に座って、お勉強かぁ……」
過酷な戦場を生き抜いた英雄には、まるで別世界のような光景。
敵を倒すか倒されるか、殺すか殺されるか──そんな極限状態でしか生きられなかった彼にとって、この学園という存在は、童話の中の城のように非現実的なのだ。
そして、それは自分が育てたクルファも同じはずだ。血と泥にまみれた戦場で育ち、殺戮の術しか知らない筈の存在が、今や教育者になっているとは……。
「笑っちまうぜ……。世の中変わるもんだな」
子供たちが安全に勉強できる場所。
アルヴェは嘲笑うように鼻を鳴らした。数え切れないほどの犠牲の上にようやく得られた平和……。それは尊いのか、それとも偽り故に価値がないのか。
そんな皮肉めいた感情を胸に秘めながら、アルヴェは千鳥足で正門をくぐっていった。
まぁ、例え偽物だろうと平和を噛み締めてやるとするか──。
酔っぱらいの妄想かもしれないが、この手の優雅な芝居くらいは付き合ってやろうじゃないか。アルヴェはそんな「大人の余裕」を見せながら、悠然と校門をくぐった。
その瞬間。
「てめぇの首をブチ抜いてやるからな!この糞野郎!」
「上等じゃねぇか!かかって来いよ、雑魚ぉ!」
実に「平和的」な怒声が、アルヴェの耳をくすぐった。
彼の目の前には、まるで戦場のような光景が広がっていた。
広大な校庭には数百人の生徒達が集結し、それぞれが「あれ本物じゃね?」と目を疑いたくなるような凶器を手にしていた。
巨大な戦斧を担ぐオークの生徒、魔導銃を構えるエルフ、曲刀を振り回すラミア、そして刃の生えた尻尾を振り回す悪魔の生徒──。
まさに「共生」を体現するかのごとき殺伐とした集団である。
「???」
さすがの英雄様も目の前の光景に絶句していた。
これが噂の「平和な学び舎」というやつか?冗談はよしてほしい。
子供の喧嘩にしては規模が大きすぎるし、なにより「殺意」が本物すぎる。
人間も魔族も、男も女も関係なく──まるで百年前の戦場のような混沌そのものだ。
「なんだここは……」
アルヴェの酔った脳裏に、次々と疑問が浮かんでは消える。
ここは本当に学園なのか?それとも魔界の何処かが空間転移でもしてきたのか?
もしかして軍事訓練所の偽装施設か?いや、それにしては生徒たちの笑顔が生き生きとしすぎている。
「今日はティアマトのヤツがいねぇぞ!ぶっ殺したるわぁー!」
「姉御がいなくともテメェ等みたいなゴミ共瞬殺じゃあ!」
そんなアルヴェの思考を遮るように、実に「可憐な」叫び声が響き渡る。
声の主は、清楚な制服に身を包んだ女学生──。少なくとも制服からそう判断できる。ただし、その肉体は屈強な魔族のものであるため、性別を判断できない。
しかも、その「清楚な制服」は明らかに体格に合わず、布地が悲鳴を上げんばかりに引き裂かれそうになっていた。
「……」
だが、そんな光景に呆然としている暇もない。
突如、空からドラゴニュートの炎が降り注ぎ、妖精たちの魔法の光が虹のように飛び交う。
ハーピーの群れが風を巻き起こしながら空中戦を展開し、アラクネの糸がキラキラと日光に輝きながら校舎を覆っていく。
アルラウネの巨大な蔦が地面を這い、生きた要塞のように蠢いていた。
「お、おい……まさか、この英雄様が時空を超えて大戦の時代に戻っちまったのか?」
アルヴェは思わず目を擦る。だが、これは紛れもない現実。目の前で繰り広げられる混沌とした戦場は、確かに「学園の校庭」という名の空間で起きているのだ。
かつての戦場と違うのは、全員が制服を着ているという点と、妙に楽しそうに戦っているという点だけ。むしろ、昔の戦場より殺気立っているかもしれない。
「キャハハハ!空の上で何グダグダしてんのよ、トリ野郎共!」
その声の主は、掌に乗るほどの小さな妖精の少女。
ミニマムサイズの制服のスカートが風に揺れる姿は一見愛らしいのだが、その表情には邪悪な笑みが浮かんでいた。
彼女が両手を広げると、突如として巨大な旋風が発生。空中戦を繰り広げていた生徒達を、まるでゴミのように巻き込んでいく。
竜巻と化したそれは、校舎の窓という窓を粉々に砕きながら、轟音と共に突き進んでいった。
「このバカ野郎!味方も巻き込みやがって!」
誰かが怒鳴る声が響く。だが──。
「あれに巻き込まれるようなノロマは味方じゃないよ、キャハハ~!」
妖精の少女は首を傾げて、虫を観察するような冷たい瞳で竜巻に飲み込まれていく「同級生」たちを眺めていた。
「う~む、なかなかいいことを言うな。あの妖精」
アルヴェは思わず感心してしまう。確かに、巻き込まれても無事な奴だけが仲間──この理論に間違いはない。
ただし、それを笑顔で実践する狂気には少々引いてしまう。いや、むしろ懐かしさを感じる。そう、まるで昔のクルファのように──。
「死ねやぁッ!」
轟音と共に、巨大な岩石が空中に浮かび上がる。
人間の生徒が必死の形相で魔力を注ぎ込み、それを敵陣へと投げ込んだ。
だが──。
「チッ、この程度かよ!」
巨石は、一人の「生徒」の掌で見事にキャッチされ、まるでスイカでも潰すかのように粉々に砕かれた。
その姿は圧巻──額から生える鋭い角、人間の倍はある巨躯、そして制服の下から覗く筋骨隆々の肉体。紛れもないオーガの戦士……もとい、「生徒」である。
「オーガが学園になんぞ通ってんのか……」
アルヴェは複雑な表情を浮かべる。
大戦時代、オーガは殺すか殺されるかの世界を体現したかのような誇り高き戦士だった。
一族の誉れを賭けた死闘の果てに、その多くが散っていった。
アルヴェですら「マジでしんどい」と認めざるを得なかった化け物じみた種族である。
それが今や、制服を着て学園に通っているとは。
……まぁ、今やってることは「勉強」というより「戦争」に近いが。
「……お?」
喧騒の中、アルヴェの目が一点に釘付けになった。
群衆の中を縦横無尽に駆け回る一人の人間の青年。他の種族が派手な技を繰り出す中、彼の動きだけが妙に冴えていた。
「ほう……」
青年は短刀を携え、水面を滑るように戦場を駆けていく。
その一歩一歩から無駄が削ぎ落とされ、斬撃の一振り一振りが風を巻き起こしていく。
「くそっ、ゼノンだ!!誰か止めろぉ!」
数人の男達が青年……ゼノンの前に立ちはだかる。
突如、ゼノンの体が宙を舞う。通常であれば自殺行為となるはずの宙返り。
しかし彼は、逆さまになった体勢のまま、空中を舞いながら両手の短刀を投げ放った。狙いすました矢のように、刃が風を切って飛んでいく。
「はぁっ!」
そして更に──。
まだ空中にいる状態で、ベルトから二振りのナイフを抜き放ち、追撃の投擲。
その一連の動作には、戦場の荒々しさとは無縁の、優雅な美しさがあった。
「うわっ!?」
「くそ、上か!?」
空から降るナイフに気を取られた男達は、致命的な隙を見せてしまう。
その一瞬の間に、青年は猫のように優雅に着地。手にした剣が一閃し、男達は息もつけぬまま地面に倒れ込んだ。
青年は倒れた相手には一瞥もくれず、まるで散歩でもするかのような足取りで次の相手へと向かっていく。
「へぇ……」
アルヴェは思わず目を細める。その姿は、かつての戦友を彷彿とさせた。
人間という種族の、圧倒的な肉体的劣勢を技量で覆す者。
アルヴェが唯一「友」として認めた男の面影が、この青年の中に確かに息づいていた。
「──やるじゃねぇか」
アルヴェの懐かしみを帯びた呟きは、戦場と化した校庭の喧騒に呑み込まれていった。
だが、彼の血が次第に熱を帯びていくのを止めることはできない。
単なる勉強しかできないガキ共だと思っていた自分が恥ずかしくなるほどの戦いっぷり。
校庭では、翼を持つ悪魔の少女が炎の渦を操り、巨人の青年が大地を踏み砕いて突進する
。尖った耳を持つエルフの少年は、渾身の魔法で天空に虹を描き、獣人の女生徒は牙を剥き出しにして敵を追い詰めていく。
その光景は、まさに百年前の戦場のようでありながら、どこか違っていた。
種族という垣根を超え、純粋に戦いを楽しむ狂騒の宴。
「いやぁ……なんてもんを見せてくれやがる」
アルヴェの体が疼く。何十年ぶりだろう、この感覚を覚えるのは。
酒に溺れた日々で完全に忘れていた、血が沸き立つような興奮。
すっかり醒めた頭で、アルヴェは確信した。これだけの「ご馳走」を見せてくれた彼らには、きちんとした「お返し」をしなければならない。
なんといっても自分は礼儀正しい英雄なのだから──。
だが、どんなお返しが相応しいだろうか?
金か?いや、そんなものはない。
酒か?いや、それは自分が飲むものだ。
アルヴェは腕を組んで、真剣に考え込む。
すると突如、絶妙な「アイデア」が閃いた。
「あぁそうか!」
そうだ。彼らは自分に素晴らしい"武"を見せてくれたのだ。
ならば、お返しもまた"武"でなければならない。しかも、ただの"武"ではないく……百年前、世界を股にかけた大戦を生き抜いた"英雄様"の──本物の殺戮の技を。
彼等にとってこれほどの「ご馳走」はないはずだ。きっと感動で泣いて喜ぶに違いない。
「うへへへ……きっと喜ぶよなぁ」
アルヴェは意味ありげな薄笑いを浮かべながら、乱闘の中心へと歩を進めていく。
ゆっくりと……無人の荒野を往くが如く……。
「あん?なんだあの男?」
「制服着てねぇぞ?教師か?」
何人もの生徒が、突如として現れた異質な存在に目を留める。
黒い魔導外套に身を包んだアルヴェの姿は、制服姿の生徒達の中で異彩を放っていた。
その瞬間。
「うおぉっ!」
オーガの一団が魔法の余波で吹き飛ばされ、アルヴェの方へと飛来する。
だが彼は、ちらりとも振り向かず、左手の人差し指でデコピンを一発。
吹き飛んできた巨漢たちが、まるで紙風船のように弾き飛ばされていった。
「ぐあっ!?」
次は空からハーピーの群れが急降下してきた。
「おら、邪魔だ!どけクソ野郎──って、うぎゃあ!?」
アルヴェは軽く指を鳴らすと、魔法の光が瞬く。途端、空を舞っていた生徒たちが爆散し、遥か彼方に吹き飛んでいった。
「邪魔なのはてめぇらだろぉ……」
そう呟きながら、アルヴェは歩みを止めることなく、どこか愉快げな表情で進み続けた。
彼の周囲だけ、まるで目に見えない結界でも張られているかのように、戦いの余波すら寄せ付けない。
「なにあの男〜?……ん……?なんか光って……ゲェ!」
先ほどまで竜巻を操り、仲間すら巻き込んで笑っていた妖精の少女が、アルヴェの姿を認めた瞬間、真っ青な顔で逃走を開始した。
しかも見事なまでに仲間への警告も無し。ただ全速力で遠ざかっていく。
「やるねぇ」
アルヴェは妖精への好感度を更に上げた。身勝手な逃亡は、戦場を生き残るための鉄則だからだ。
あの妖精は魔術に詳しく、そして魔術兵器にも通じていたのだろう。
外套に刻まれた魔術紋章が発光している時点でこれから爆弾が爆発しますよと言っているようなものだからだ。
大戦中ならば敵の紋章が光った瞬間に全力で離脱するのが常だったのだが……。
「はぁ……平和ボケもここまでくると罪だなぁ」
アルヴェの周りに集まってきた生徒達は、ポカンとした表情で彼を見つめている。
本物の戦場なら、こんな間抜けな真似をした瞬間に息の根を止められるというのに。
──だからこれは御礼と、教育を兼ねた行為なのだ。
アルヴェは自分はなんと慈悲深い存在なのだろうと自画自賛した。
「アンタは……?」
気がつけば、先程まで見事な剣舞を披露していた青年の前に立っていた。
その青年の冷静な眼差しに、アルヴェは心底嬉しそうな笑みを浮かべる。
「よぉ……お礼参りってやつだぁ……あ、そりゃ意味が違うか?」
ぎゃはは!と笑うアルヴェ。突如として現れた青年に、生徒達は困惑の色を隠せない。
そんな彼らを見渡して、アルヴェは言った。
「この英雄様を感動させてくれたお礼だ。──取り合えず、くたばれガキ共」
アルヴェが掌を広げると、魔導外套に刻まれた金の紋様が眩い輝きを放ち始めた。
その光は徐々に強さを増し、やがて太陽のような輝きとなって校庭を包み込んでいく。
突如として、アルヴェの周囲の空間が歪んだ。まるで空気が凝固したかのように、世界の色が一瞬にして失われる。
そして──。
「なっ!?」
誰かが発した驚愕の声と共に、血のように赤い稲妻が天から降り注ぐ。
その一撃は、神の裁きのように大地を引き裂いていった。
「ヒッ!空から雷が!?」
「さ、避け……ぎゃあーっ!?」
空を飛んでいた生徒達が雷に打たれ、次々と墜落。
地上にいる巨漢のオーガの集団にも雷が落ち、まるでボウリングのピンのように吹っ飛ばされていく。
それを目の当たりにした生徒達の表情が、一瞬で恐怖に染まった。
「うぇっへへ!お次は世にも珍しい火傷しない、つめた~い炎だぁ!かぁーっ!ガキが火傷したら大変だからなぁ!」
アルヴェが両腕を広げると、空気が凍てつくような冷気と共に、青白い炎が彼の周囲で渦を巻き始めた。
その炎は、触れたものを瞬時に氷の彫刻へと変えていく。
花壇も、ベンチも、木々も、そして逃げ遅れた生徒たちも──。
「さぁて、お前らの自慢の炎で溶かしてみせろやぁ!」
彼の挑発的な高笑いに、ドラゴニュートの集団が応える。
喉から放たれる業火は校舎を焼き尽くすほどの熱量を持っていたが、青白い炎に触れた途端、まるで蝋燭の火のように消え去っていく。
「なんだこの炎!?いや、氷……!?」
「な、なにしても消えねぇ!」
サラマンダーの少女たちが必死に炎を放つが、その一撃すら意味を為さない。
炎を制する種族の誇りが、一瞬にして木っ端微塵に砕かれていく。
「げぇっ!こいつ、やべぇって!?」
「うわぁぁ!逃げろぉ!」
先程まで得意げに暴れていた火を操る種族たちは、自慢の炎が通用しないという事実に青ざめ、尻尾を巻いて逃げ出していく。
だが青白い炎は容赦なく追いすがり、校庭は見る見るうちに氷の地獄絵図と化していった。
エルフもオークも、ドラゴンもサラマンダーも、皆一様に恐怖に染まった表情で逃げ惑う。
先程まで威勢よく戦っていた連中が、まるで獲物となった小動物のように四散していく。
魔法の嵐が学園を覆い尽くし、かつての戦場さながらの惨状が広がっていく中、アルヴェはニコニコと笑みを浮かべていた。
「う~ん、喜んでくれてるようでなにより……」
アルヴェ呟きは、生徒達の悲鳴に掻き消され、誰の耳にも入らなかった。