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第3話

人族領域と魔族領域の狭間に広がる巨大都市、アルサス。

100年前の大戦後、『平和の象徴』として建設されたこの境界都市は、今や様々な種族の混在する珍しい街となっていた。

人間の商人が魔族の客と値切り合い、エルフの魔道具店でオークが買い物をする。一見すれば平和な日常かもしれない。


そんな都市の通りを、一際目を引く青年が歩いていた。

風に揺れる炎のような赤髪、黒い外套には金糸で魔導の紋様が刻まれている。


「ここがアルサスか……ふぅ~ん」


彼の名はアルヴェ・ローレンス。100年前、世界を救った英雄の一人である。

アルヴェは辺りを見回しながら、呟いた。


「へぇ、人間と魔族が普通に商売してやがるとはな」


道路の両脇には様々な店が立ち並び、賑やかな通りを作り出している。

飛行型の魔族が頭上を行き交い、巨人族の商人は周囲を気にしながら慎重に歩を進めていた。


「おいおい、あの巨人族、人を踏まないように必死じゃねぇか」


路地の角では小柄なドワーフの鍛冶職人が、エルフの客に武具の品定めをしてもらっていた。


「ドワーフの武具をエルフが買うとはなぁ。時代も変わったもんだ」


露店では人間の八百屋が、角の生えた魔族の主婦と野菜の値段を交渉している。

その横では猫耳の獣人の子供たちが、人間の子供たちとかくれんぼに興じていた。


「ほぅ……ガキたちにとっちゃ種族なんてどうでもいいみたいだな。純粋なもんだ」


通りの向こうでは、巨大な翼を持つドラゴンが屋台のラーメンをすすり、店主の人間と世間話に興じている。


「まさかドラゴンが人間の作った飯を食うとはな……面白え街じゃねぇか」


そんな光景を見ていると、不意にアルヴェの足が止まった。

そして、昔を懐かしむように目を細める。


「そういえば、この都市は……人魔境界線に建てられたんだっけな」


人族領域と魔族領域の境目……。

この大地は、かつて人間と魔族との壮絶な戦いが繰り広げられた場所なのだ。


「......」


アルヴェは黙って地面を見つめた。

その目に映るのは、今や異種族が行き交う賑やかな都市。

戦いの記憶と現実の光景が、アルヴェの胸の中で静かに交錯する。


英雄の一人として人間の軍を率い、戦友たちと共にこの地を駆け抜けた日々。

喜び、悲しみ、憎しみ……全てがこの土地に刻まれている。


悪鬼のようなオーガを魔法で焼き尽くし、翼を持つ凶悪なハーピーの群れを雷霆で打ち落とした。

巨大な蛇のような下半身を持つナーガとの死闘、氷の魔法で襲いかかるイエティの軍団との戦い。

鋭い牙で襲い掛かるヴァンパイアの群れ、そして魔力を纏い疾走するワーウルフたちとの激戦。ケンタウロスとの気高き決闘……。

戦場で体験した数々の魔族との死闘が、アルヴェの脳裏に走馬灯のように蘇る。


(──あぁ、そうだ。俺は……ここで確かに……)


魔族が自分に向ける恐怖と憎しみの視線を百年ぶりに思い出し、アルヴェが無言で空を見上げていると──。


「ウェーイ!」


突如、身長3メートルはある筋骨隆々のオーガが千鳥足で歩いてきて、アルヴェに肩をぶつけた。

真っ赤な顔で、牙をむき出しにしたニヤけ顔を見せながら、アルヴェの肩に分厚い腕を回してくる。


「うひひ……飲んでるかちびぃ!?」


その背後では、翼の生えたハーピーの一団が街灯にぶつかりながら空中で千鳥足……というか千鳥翼でフラフラと空中散歩を楽しんでいる。


「ぎゃはは!仕事サボって飲む酒はうまいなぁ~」

「お前無職じゃん!ウケる~!」


路地裏では長い蛇尾を持つナーガが、通行人の財布を狙ってスリの機会を伺っていた。

その隣では、毛むくじゃらのイエティが暑さに弱いくせに、この暑い中に地べたで爆睡している。


「な、なんだこのゴミ共は……」


突如として視界に入ってきた情けない魔族の姿。アルヴェは呆れた目で周囲を見回した。


「今日も昼飲みっすか~?」

「俺、夜型だからさー。昼間飲まないと調子でないんだよなー」


高貴なはずのヴァンパイアの一族は、日傘を片手に「お昼のパブ飲み」の看板を掲げた居酒屋に吸い込まれていく。

その気だるそうな足取りは、明らかに「昨日の夜からずっと飲んでる」パターンだ。


「くっそー、また負けた!」

「今月もドッグフードしか食えねぇよ……うっうっ……」


誇り高き戦士のはずのワーウルフたちは、路地裏でサイコロ賭博に興じている。

尻尾を垂らして借金の相談をする姿は、まさに負け犬そのものだ。


「サーセン!渋滞で間に合わなくてぇ。いや、マジなんすよ。馬車が行列してて、マジヤバっていうか~」

「お前いつも言い訳ばっかりしてんな!四本足あるんだからもっと早く走れよ!」


荒野を駆けるはずのケンタウロスは、荷車を引きながら必死に弁解している。

かつての勇姿は、どこにも見当たらない。

これが、あの大戦で人類を追い詰めた魔族の末裔たち──。

アルヴェは目の前の光景に絶句する。ここは夢か?それとも地獄か?


「まさかこんな社会の底辺の巣窟が平然と存在してるとは……この路地はスラム街かなんかか?」


もしやこの巨大都市全体が、このようなゴミみたいな連中のたまり場になっているのでは?

そんな恐ろしい想像が頭をよぎる。英雄様としては見るに堪えない光景だ。

アルヴェは「こんなゴミクズ共を見てたら目が腐る」とばかりに、上品に目をそらしながら歩を進めようとした。


その瞬間──。


「おいおいぃ!無視しなさんな、人間さんよぉ!」


筋肉の無駄遣いことオーガが、学生のような軽いノリで声をかけてくる。


「一杯どうだぁ!?」


アルヴェとしては、「高貴なる英雄様」が路上の酔っ払い共と飲むなど、もってのほか──。

そう思っていた矢先、彼の鼻腔をくすぐる芳醇な香り。


「……」


そういえば……今朝方、愛しの我が家(壊れかけの廃墟)を出てから、一滴も口にしていない。

そんな彼の目は、オーガが片手に抱える巨大な酒瓶に釘付けになっていた。なるほど、あの無駄な筋肉は重たい酒瓶を持ち歩くための進化の賜物か。


「おぉ……いい匂いしやがるなぁ……?」


アルヴェの目が輝く。


「それ地酒か?いいねぇ……♡」


その瞬間、我に返るアルヴェ。


「って、違う違う!この英雄様がテメェらみてぇな社会のゴミクズと一緒に飲むわけねーだろうが!ぶっ殺すぞ筋肉野郎!」


必死に首を振って誘惑を振り払おうとするアルヴェ。

しかし、その目は既に酒瓶から離れる気配がない。


「まぁそう言うなよ!がははは!まぁ飲めや!」


オーガは豪快に笑いながら、その場に胡坐をかく。そして、どこからともなく杯を取り出して酒を注ぎ、アルヴェに差し出した。


「チッ……下品なゴミめ。さすが社会の底辺だな。大通りで地べたに座って酒なんか飲んでやがる。恥という概念は持ち合わせてねーのかテメーは」


アルヴェは高貴な英雄らしく、上から目線で毒づく。


そして優雅に立ち去ろうとした……。


……が、気がつけばアルヴェは地べたに胡坐をかき、酒の入った杯を手にしていた。


「……あれ?」


高貴なる英雄様の脳裏に、混乱が走る。


(な、なんでこんな無様な真似を……まさか洗脳魔法?いや、この俺様がそんなチンケな魔法にかかるわけが……)


しかし彼の体は、既に「いつもの酔っ払いモード」へと移行し始めていた。


「ふ、ふん。一杯だけな。たまにはゴミどもと付き合うのも英雄の器ってやつだからよォ……」


アルヴェは高貴ぶった態度で杯を口元に運び──




♢   ♢   ♢




「ギャハハハッハ!!アルサス最高だぜぇー!!」

「ウェーイ!!」


いつの間にか大通りの片隅が、底辺な宴会場と化していた。

筋肉ダルマのオーガに加え、昼間から賭け事してたワーウルフ、バイトをサボったケンタウロス、そして昨夜からの飲み続けで真っ赤になったヴァンパイアまでもが集結。


「おい!もっと持って来いよ!この英雄様に酒を奢るチャンスだぞぉ!?」


アルヴェは完全に出来上がっていた。先程までの高慢な態度は何処へやら。


「おい自称英雄!一緒に『我ら社会の穢れ』の歌を歌いましょうや!」

「おぉ!?いいねぇ!歌おうぜ!」


魔族と人類の歴史的和解の場であるはずのメインストリート。


「我らぁ〜社会の〜ゴミクズぅ〜」

「仕事はサボりぃ〜昼から酒を飲むぅ〜」


そんな歴史ある場所で──種族の垣根を超えた最低最悪の酒盛りが繰り広げられていた。



「英雄様さぁ!実は俺、今月家賃が払えねぇんすよ〜」

「あぁん?なんだそんなことかぁ……酒を奢ってくれたら、家賃の取立人をぶっ殺してやるよぉ~!ぎゃはははは!!!」

「さっすが英雄様!太っ腹!」


ケンタウロスの金髪の不真面目そうな青年が言った。


「あ~だり~仕事クビになっちまったぁ~。10時間くらいサボってただけなのによぉ~」

「甘いねぇ!俺なんて今月で十回目のクビだぜ!」


ワーウルフが尻尾を振りながら自慢げに宣言。


「俺の借金、三桁万ヴァルいっちまった!まぁどうでもいいか!どうせ踏み倒すしよぉ!」


オーガが筋肉自慢と共に借金自慢。

それを聞き、ヴァンパイアが日傘の下で優雅に杯を傾けながら、言った。


「フッ……甘いな……我は四桁万ヴァルだぞ。これでも貴族の末裔なんだがな〜」


さらに、ハーピーの失業者グループ、ゴブリンのニート集団、そしてトロルの債務者コミュニティまでもが続々と集結。

アルヴェを中心に、まさに「社会の穢れ大集合」という様相を呈していた。


「明日から本気出す!」

「仕事探すぞ!」

「借金返すぜ!」


誰も信じていない約束の言葉が飛び交う中、アルヴェは既に30杯目を傾けていた。


そんな中、通行人……この都市に住む『まとも』な人々はアルヴェ率いるゴミ集団を通りすがりに視界に入れ……そして足早に立ち去っていく……。

身なりの良い服を着たオークの勤め人が、カバンを持ちながら眉をひそめて、言った。


「また底辺が集まってやがる……税金はちゃんと払ってんのかあいつら」


豪華な馬車が通りかかる。中からは、上品な着飾りをしたラミアの貴婦人が覗き見ていた。


「まぁ!あの汚物の集まりは一体なんなの?」


蛇の尾を優雅にくねらせながら、扇子で鼻を押さえる。


「奥様、目に毒でございます。あちらをご覧になられませぬよう」


メイドのメドゥーサが慌てて車のカーテンを引く。

仲良く買い物帰りの人間親子は……。


「ママー、あの人たち楽しそう!なにしてるの?」

「見ちゃダメ!」


母親は慌てて子供の目を隠す。


「勉強しないとあんな風になっちゃうのよ!ほら、さっさと帰るわよ!」

「そうなんだぁ。あの赤い髪の人間さん、すっごく頭悪そうだねー」


通行人たちの冷ややかな視線も、既に出来上がった宴会の参加者たちには届かない。


「この薄汚れた街でダメ人間やってりゃ酒が湧いて出てくるとかよぉ……ここはもしかして天国か!?」


アルヴェは酒瓶を振り回しながら叫ぶ。


「しょうがねぇなぁ!ここに住んでやるかぁ!この大英雄アルヴェ様がなぁ!カッー!!!」

「マジか!?英雄様が我らの仲間になるってよぉ!」


オーガが筋肉を震わせて喜ぶ。


「へへ〜」


ワーウルフが尻尾を振りながらニヤリと笑う。


「自称英雄様なら、先週だけで3人来たけどな。全員ポンコツだったぜ」

「あぁ、あいつらのことか?まだ公園のベンチで寝てるマジモンのゴミクズだがね」


ヴァンパイアが日傘の下で高笑い。


「英雄様ごっこの酔っ払い部門は、もう満員御礼だってのに!ひゃははは!!」


底辺たちの笑い声が大通りに響き渡る中、アルヴェはまったく気にした様子もなく、新しい酒瓶に手を伸ばしていった。


「ギャハハハ!!もっと酒持って来いやぁ!この英雄様が全部飲み干してやるぜぇ!!」



その叫びは、大通りの遥か彼方にまで届き──。



「……?」


遠くの大通りを歩く一人の女性が立ち止まった。

金色の長い髪が風に靡き、尖った耳には宝石の耳飾りが揺れる。

深い碧の瞳を持つその美しいエルフは、遠くから聞こえてきたような声に首を傾げ、呟いた。


「今、あのクソ野郎の声が聞こえたような……」


彼女は一瞬考え込むように空を見上げて、呟いた。


「……まさかね」


そう言って、彼女は静かに歩みを進めた。 大通りの喧騒が、彼女の姿を飲み込んでいった。


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