「菜月、お願いがあるんだけど」
「どうしたの」
「……このあと、一緒に寝てもいい?」
彼氏に旅行に誘われたその日、私は菜月に精一杯の甘え声で、そう頼んだ。あのときみたいに、二人で一つのベッドに入り込んだ。
「……どうしたの。急に」
私に背を向けたまま、菜月が尋ねてくる。心配してくれているのが、なんだか嬉しい。でも、今夜の私は、なんだかそれだけでは満足できなくて。
「菜月は、どうして恋人、つくらないの?」
嫌がられるのをわかっていて、ついついそんな質問をしてしまう。言いながら菜月の背中に頭をくっつける。菜月の、お風呂上がりの香りがする。あのときと同じ、ベビーパウダーみたいな、甘い香り。
守ってあげたくなるような、優しく抱きしめてあげたくなるような、そんな香り。
なのに今日は、その香りが、私の胸をきゅううっと締め上げてくる。
「……どうしてって、ただモテないだけだよ。美優と違って、そんなに簡単に恋人なんてできないよ」
「そっか」
そんなことないのに。菜月はすごく可愛いし、本当はモテるのに。だけどあまりに投げやりな菜月の言い方に、私はそれについて何も言い返すことができなかった。でも、だけど。私には、どうしても訊いておきたいことがあった。
「菜月はさ……その……したことあるの? ……えっちなこと」
言いながら、恥ずかしくて、顔が熱くなってきてしまう。いい歳してなに言ってるんだろう、もう。
「何言ってんのもう。……学生じゃないんだから」
呆れた、というような言い方で、菜月は返答する。わかっていたことだけど、その反応を聞いて、なぜだかすごく苦しくなる。
「そうだよね……変だよね。私……実は、その、こわくて……そういうの」
勇気を振り絞って言う。だって、こんなこと今まで、誰にも言えなかったのだ。
「え……だって、美優、今まで何人と付き合って……」
菜月は驚いた様子だった。
「うん……たくさん付き合ってきたけど、誰ともしたことない……キスも」
もうどうにでもなれと、カミングアウトをする。すごく恥ずかしくて、もう泣きそうだった。自分が情けなかった。
「じゃあもしかして……あれ」
菜月が何のことを言っているのかなんて、すぐにわかった。
「うん。私がキスしたの、菜月だけだよ」
一度だって、忘れたことなんかない。忘れられるわけがなかった。
「なんで……そんな」
「わかんないよ……私だって」
そんなの、こっちが教えてほしいくらいだった。なぜだか、涙が出てきてしまう。あとから、あとから、止められなくなってしまった。
もう、どうにでもなればいい。
「ねえ、菜月……こっち、向いて……?」
震える声でそう言えば、菜月はこちら向きに、体勢を立て直してくれる。
「美優……どうしたの、もう」
仕方ないな、というような口ぶりでそう言うと、菜月は私の身体をぎゅっと抱きしめてくれた。やわらかい胸が当たって、菜月の体温が伝わって。お腹の底の方が、じんわり、あたたかくなる。またあの、感覚だった。
「菜月。もう一回だけ、してみたら、だめ……?」
菜月の顔を見る。まっすぐ見つめて言う。
「だめだよ……だって美優は……」
困ったような顔で菜月は言う。そうだ、菜月の言うとおりなんだ。私は今、彼氏がいる身なのだ。それなのに、こんなことしたら、だめだ。
それに、菜月の困惑した表情を見て、わかった。やっぱり迷惑だったんだ。甘えて迫れば、菜月が応えてくれるだなんて、期待した私がどうかしていた。
「……そうだよね。私、何言ってんだろ。ごめんね、もう寝るね」
息が苦しくなって、逃げるように菜月に背を向けた。
「うん。そうしよう。……おやすみ」
「おやすみ」
苦しくて、身体が熱くてどうしようもなくて。自分が馬鹿みたいで。
そんな気持ちで眠りについたせいか、その夜は菜月の夢を見た。夢の中の菜月はやっぱり優しくて。
『もう……しかたないな』
そう言って、菜月のほうからキスをしてくれた。やわらかい感触に、声が漏れた。身体が熱くなって苦しくなって、菜月に抱きついた。もう限界だった。今更になって、わかってしまった。もう観念するしかなかった。
ずっとずっと、菜月のことが好きだった。私は菜月のことだけを、好きだったのだ。