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第22話

 酔ってふわふわとしてきた気分にまかせて、私はグラスをもったままソファーに移動する。


「菜月、恋バナ、しよ」


 耳元でささやく。


「はあぁあぁ!?」


 びっくりして変な声を出す菜月が珍しくて、笑ってしまう。


「そんなに嫌がらなくてもいいじゃん。たまには菜月の恋バナも聴かせてよ。片想いでも昔の話でもいいから、なんかないの?」

「なんかって、私はべつに何も……」

「好きな人、いたこと、ないの……? それとも、そんなに私には話したくないの……?」


 明らかに困惑したようすの菜月を、泣き落としにかかるのだけど。


「美優の知らないひとだよ」


 菜月は、さらっと、そんなことを言う。


「同じ会社の人とか?」

「まぁ……ね」


 そんなこと、初めて聞いた。胸の奥に小さな痛みを覚えながらも精一杯テンションを上げて言う。


「そっか。……でも、そしたら、書けるよね? 片想いの歌詞!」


 そう、私の本来の目的はそういうことなのだ。余計な感情に気を取られて、見失ってはいけない。


「ねえ、その人、どんな人? かっこいい? イケメン?」


 私にできることは、菜月に語らせて、恋の詞を書けるようにサポートすることだけだ。


「美優と違って、見た目だけで好きになるわけじゃないから」


 ひとの気も知らず、菜月はそんな言い方をする。


「えー、私だって別に、見た目だけみてるわけじゃないもん」

「どうだかねぇ」


 確かに、手当たり次第に彼氏を作ってきた私は、傍からはそう見えるだろう。だけど。


 どんなに会話を尽くしたって、その人の心の内なんてわからないのに、見た目以外のどこに、人を選ぶ基準があるんだろう。


「……菜月は、その人に告白とか、しないの?」

「しないよ。私そういうの、諦めてるから」


 そう言う菜月の顔はどう見ても何かを堪えているようにしか見えなくて。


「そんな、もったいないよ。菜月、せっかく可愛いのに」


 つい、そんなふうに言ってしまう。


「諦めないで、アタックしてみようよ! 当たって砕けたら、今度は私がなぐさめてあげるから!」


 心にもないことを。


 本当は、菜月がこのまま誰にも恋をしなければいいと、思っていた。誰とも付き合わないでいてほしかった。だけど、自分はちゃっかり彼氏をつくっておきながら、そんな都合のいいことが言えるはずもない。


「とりあえず、まずは歌だね」


 精一杯のごまかしをする。何事もなかったかのように、音楽の話をする。今の私には、それだけが救いなのだ。



 キーボードを勝手に広げて、酔った勢いにまかせて、さっきできたばかりのメロディを弾きながら歌う。隣の部屋の人に怒られてしまったから途中で終わりになったけど、その時間はいつにも増して幸せなひとときに感じられた。


 こんなふうに菜月と過ごせるのは、あとどれくらいあるだろう。そう思うといても立ってもいられなくなった。


 無理を言って、菜月のベッドに入り込んで、二人で一緒に寝ることにした。あのときみたいに。胸の鼓動が、知らず知らず、はやくなっていくのを感じる。


「ねぇ菜月……まだ、起きてる?」

「……早く寝なさい」


 困らせているのはわかっているけれど。私は聞かずにはいられない。


「ごめん……あのときのこと、覚えてる?」


 わざわざ言葉を省いたのは、怖かったから。残酷な次の言葉の衝撃を和らげるためだ。


「私、記憶力ないからさ。……昔のことは、忘れちゃったよ」


 その言葉で、よくわかった。私には一縷いちるの望みもないってことが。菜月はそれが『なんのことか』すら聞かなかった。それが何かが明らかだったからだ。そのうえで「忘れた」と言う。


 それがどういうことかなんて、もう確認しなくても明らかだった。


「……そっか。ごめん、なんでもない。寝よっか」

「うん、おやすみ」


 その夜、私が泣いていたことになんて、菜月が気づくわけもなかった。


 くしゃくしゃになった顔を見られたくなくて、菜月よりも早く起きた。顔を洗って、メイクを厚く塗ってなんとかごまかして、それでもまだ時間が余ったから、勝手に朝ご飯を作ってみることにした。


 私は相変わらず、料理が得意じゃないけど、菜月の好みだけは、なんとなく把握していた。ベーコンはカリカリで、目玉焼きの黄身は、蒸し焼きでピンク色に。

 学生の時と好みが変わっていないといいんだけどな、と思いながら作っていると、菜月が起きてきた。


 菜月は私の作った目玉焼きを褒めてくれた。言葉はクールだけど、表情を見れば、喜んでくれているのは明らかだった。なんだか照れくさくて、昔、目玉焼きのことで彼氏と喧嘩したことなんかを話したら、笑ってくれた。


 そんなやりとりがまた、本当に楽しくて。いつまでもこうしていられたらという思いが、私にまた新たなアイデアを降らせる。


 気づいたらもう、口走っていた。


「ねえ、菜月はさ。……私のこと、好き?」

「え……?」


 菜月は困惑しているようだった。私の妙な質問に。それでもなんとか、答えてくれる。


「いや、まぁ、好きじゃなかったら、こんなに長く一緒にいないよね?」


 それはまぁ、なんともずるい答えだ。だけど私は間髪入れずに言う。


「うん! 私も、菜月がいちばん好きだよ? だから、あのね。……一緒に暮らさない?」


 それが私の今の、一番の願いなのだ。


「……また、いきなりだね」

「昨日みたいにさ、歌うと、普通は怒られちゃうじゃない? だから二人でルームシェアして、防音の物件借りようよ! それで、一緒に夜じゅう歌うの!」


 話しているうちに、想像はどんどん膨らんで、なんだか楽しくなってきた。

 菜月は私の勢いに押し切られるようにして、ルームシェアの誘いをOKしてくれた。善は急げと動き出す私に、菜月は言った。


「心配しなくても、逃げないから大丈夫だよ。不動産屋さんも、私も」

「菜月、ありがとう!!」


 嬉しくて、思わず手を握ってしまった。その言葉、信じてみても、いいのかな。本当に、私の前から逃げ出したりしないだろうか。だけどそんな不安をよそに、躍り出す心はもう止められなかった。


 私達は一緒に不動産屋さんに行き、防音の物件を探すことにした。そして見事に素晴らしい物件を見つけて、念願だった私達の二人暮らしがスタートしたのだった。

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