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第20話

「とりあえず、次会う時までの、宿題ね! 一週間後にまた会おう?」


 まるで、学生みたいなノリだな、と自分でも思う。だけど菜月といるとつい楽しくて、はしゃいでしまうのだ。歴代のどんな彼氏といるときよりも。


 もしもこのまま、私の恋愛が誰ともうまくいかなくても、菜月だけは一緒にいてくれるだろう。私は勝手にそう思っていた。


 だけど現実はそうもいかない。私と同じ二十八歳の菜月は、そろそろいい加減誰かと付き合ったりするだろうし。その相手は男性か女性かはわからないけれど、きっと人柄のいい菜月は、恋愛をしてもちゃんとうまくいくに違いないのだ。私と違って。


 だから、この音楽活動は、せめてもの思い出作りのつもりだった。菜月がいつか誰かと結ばれるまでの間の、束の間の夢。いつか覚めてしまうその前に、私はやれることは全てやっておきたかった。



 さて、勢いよく菜月に提案してみた手前、私のほうもがんばらないといけない。

 家に帰った私は、早速電子キーボードを出して、ちゃらちゃらと適当なフレーズを作っては、ああでもない、こうでもないとブツブツ言っていた。


 作曲、なんて大層なもの、本当に自分にできるだろうか。自分から言い出したくせに、今になって不安になっていた。だけど菜月を巻き込む以上は、失敗するわけにはいかないし、中途半端なものを外に出すことだけはしたくない。 だから、今できる精一杯のことをするだけだった。


「……でも、やっぱり、難しいなぁ」


 思わず、そんな呟きが漏れる。私はこの間のアーティストの曲を耳コピして、パソコンの楽譜ソフトにメモしていた。そのままそれを、ネットで拾える楽譜と照合して、簡単に答え合わせをしようと思ったのだけど、ついついノリで全ての楽器を網羅したくなってしまう。


 なんとなく雰囲気でコードはわかるけど、実際エレキベースの音とか、楽譜に起こすのは難しそうだなあと思う。


 ずっとクラシックしかやってこなかったから、電子楽器の音に馴染みがないっていうのもあるんだろうけど、中でも特に低音は聞き取りづらかったし、ドラムに至っては、もう何をやっているのかさっぱりわからない。そもそもドラムセットがどうなっているのかも知らなかったから、ネットでたくさん調べて、なんとか楽譜に起こした。


 どうしてもわからないときは、誰かの演奏動画を参考にして、視覚を頼りに音を探ったりもした。世の中にはすごい人たちがたくさんいるもので、色々な動画を見ながら、上には上がいるものだなと思い知らされた。


 そういう作業を、一日に一曲ずつ、正確には一曲弱、仕事が終わって家に帰ってからやって、それから眠りについた。単調な作業ばかりの会社の仕事だけをしていた頃よりも、圧倒的に充実していた。


 約束の一週間後が、待ち遠しくて仕方なかった。五曲ほど耳コピを終えたところで、ふと頭に浮かんできたフレーズを捉えて、楽譜にメモした。弾いてみて、なんとなく、クラシックっぽいなと思う。でも、まあいいか、と思う。ずっとクラシックを一途にやってきたわけなんだから、そういう私にしかできないような曲も、きっとあると思うし。


 そんなことを思いながら、ほんの少しだけオリジナルのフレーズを作って、菜月との約束の日を迎えた。


 土曜日のこの日は、昼間から電子キーボードを背負って、いつものカラオケボックスに向かった。真夏の昼間なんだから当然だけど、外はすっかり暑くなっていた。


 調子に乗ってノースリーブなんて着てしまったけど、よく考えたらこの後室内に入るんだから、一枚上着でも羽織ってくればよかったと思った。


 菜月は会うなり、笑顔を見せた。いつもながら、菜月のくしゃっとした笑顔にはやられてしまう。私のわがままを聞いてくれるときの顔だ。菜月はさりげなく私のキーボードを持つのを手伝ってくれたりした。


 なんだかずるいと思う。こういうところで、実は女の子からモテていること、本人は全く気づいてないんだろうな。つい恥ずかしくなってしまったから、「彼氏力高い」なんて言って、冷やかしておいた。


 カラオケの室内に入ると、さっそくテーブルの上にキーボードを乗せて、電源を入れた。


「聴いて」


 そう言って、唐突に弾き始める。私の作ったオリジナルの曲。


「作詞、待ちきれなくて、作っちゃった」

「……すごいね。一週間で、もうできたの?」

「昨日の夜、作ったんだ。どうかな? まだ前奏だけだけど」

「すごい素敵だけど、このメロディなら、こっちの音色のほうがいいかも」 


 菜月はキーボードのつまみをいじって、音色をいろいろと変えてくれる。


「あ、これ、しっくりくる!」


 私が反応したのは、『ハープシコード』つまり、チェンバロの音色だ。


「全然、チェンバロっぽくないけどね」

「ほんとだね。でも、なんか可愛いよね」


 私たちはそう言って笑い合う。なんとなく学生のときを思い出して、懐かしくなる。


「ポップスにチェンバロの音ってのも、なんか逆に新しくていいかもね。本物はなかなか難しいとしても、チェンバロもどきの電子音ならさ」

「確かに。ヴァイオリンとかは普通にバックに入ってること多いし、そんなノリでもいいのかも」


 菜月と話していると、どんどんアイデアが浮かぶ。正直、こうして色々考えているだけでも満足してしまいそうなくらいだった。


「さて、そろそろ」

「ん?」

「菜月の詞もみてみたいんだけど」

「あぁ……あんまり自信ないんだけどさ」


 菜月は、持ってきたメモ帳を広げる。まだそれは詞とまではいかない、キーワードのメモのようなものだったけれど、所々ドキッとするような言葉もあった。


 こういう言葉のセンスに関しては、さすが菜月はすごいな、と思う。


「やっぱり難しいね、詞をつくるのって。恋愛ものだから特に、全然思いつかなくてさ」

「うーん、そっか……」


 それでも自信のなさそうな菜月から、さらに言葉を引き出すためには、やることは決まっていた。


「あ、そうだ!」


 私はわざとらしく膝を打った。


「今から、菜月の家に行ってもいい?」

「えっっ」

「お酒、買って、お泊まり!」

「いいけど、何考えてるの……?」


 菜月の家に言って、たくさん恋バナをするのだ。学生の時みたいに。そしたら、堅物の菜月でも何か思いつくかもしれないし、なんならどういう人が好きとか、そういう話も聞けるかもしれない。


 十年も親友をやっているくせに、私は菜月の恋愛話に関してだけは、正直何も知らないのだ。 時間が来るまで、勿体無いからとカラオケを続けていたら、受付からの電話が鳴ったので、荷物をまとめて外に出た。

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