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第19話

 社会人になってから、私も菜月も、音楽活動からは離れてしまった。理由は忘れてしまったけれど、多分私が少ない給料からのお金のやりくりができなさすぎて、活動費が捻出できなくなったことがきっかけだったような気もする。


 私たちのやっていたようなジャンルは、楽器そのものもお高いし、日頃のメンテナンスにも相当気を使う。お金はいくらあっても足りないくらいだったから、私は泣く泣く、チェンバロの演奏を諦めた。


 そのあたりのことは、あまり考えないようにしていたけど、やはり菜月と一緒に歌えないのは寂しくて。私は理由をつけては菜月をカラオケに誘っていた。


 幸いというかなんというか、失恋を言い訳にすれば、会う理由には事欠かなかったから、結局、二、三ヶ月に一回は菜月とカラオケに行っていた。


 その日の夜も、私は彼氏に振られてすぐに、菜月に電話をかけて、カラオケの予約をとった。優しい菜月は、明日行こうすぐ行こうと、時間を空けてくれる。


 明日のカラオケが楽しみすぎて、自分を振った彼氏のことなんかすっかり忘れて、上機嫌でテレビの歌番組を観ていた。


 ぼーっとしながら流行りの歌を聴くうちにひらめいた。アコースティックの楽器だと場所やメンテナンスの問題が悩ましいけど、電子楽器ならどうだろう、と。 思いつくが早いか、私はクローゼットの奥にしまい込んでいた古い電子キーボードを引っ張り出した。


 そのキーボードは、昔、家でもチェンバロの練習ができないかと買ったものだった。


 残念ながらチェンバロの代わりになんかは到底なれないけれど、歌うための音をとったり、簡単に和音を鳴らして作曲するのには使えそうだ。


「コードネームも覚えておいてよかった」


 ポップスの音楽に関しては完全に独学だけど、コードさえわかれば、だいたい伴奏はつけられる。


 とりあえずさっき聴いたアーティストの曲を耳コピで弾いてみた。久しぶりだからあまり指は動かないけれど、耳はそこまでなまっていないと思う。そのまま、このメロディにはこの和音をつけたりしてもおしゃれかも、なんて思ったりして、楽しく遊ぶ。


 そのうち、自分でも歌詞を作ってみたくなって、適当に失恋ソングっぽいフレーズを作ってみた。歌ってみたら、すごくすっきりした。


 夢中で歌っていたら、隣の部屋の人に壁を叩かれた。ごめんなさい、と手を合わせて、その日はやめにした。


 次の日は菜月とカラオケに行った。土曜だったから、昼間から歌えた。菜月の声はいつも通りキラキラしていて。なんの曲を歌っていても、素人とは思えないくらい、独特の世界観を作り出していた。


「ねえ、一緒に歌わない?」


 気づいたら、私はそんなことを言い始めていた。


「ん、デュエットってこと? いいよ。何歌う?」

「ええと、今とかそういうんじゃなくて」


 また菜月と歌いたい。そんな思いばかりが先行して、私はまた後先考えずに思いつきを披露する。


「私と菜月で、また演奏しない? っていうお誘い」

「え、演奏って、学生のときみたいな? 楽器とかどうするの? レンタルだって高いよね?」

「ううん、違うの。今度はちょっとジャンルを変えたいなって」


 私は菜月に、二人きりでのポップスの音楽活動を提案したのだった。もちろん、メインボーカルは菜月でだ。


「私、そういうの未経験なんだけど」

「大丈夫だって。学生のときもそう言ってたけど、さまになってたでしょ?」 


 不安そうに言う菜月を、押し切る。多少のわがままなら、彼女は私の言うことを聞いてくれる。それに乗じていつでも私は、菜月を振り回す。学生の時から、今でも、ずっと。


 ちょっと困った顔をしながらも、まんざらでもない様子の菜月が可愛くて、ちょっと笑ってしまった。


 とにかく、こうして私と菜月は、二人きりでユニットを組むことになった。


 音楽活動、と言っても、二十八歳の会社員である私たちがやるのは、単純に趣味としての活動であって、別にプロになるとかは全く求めていない。


 だけどせっかくなら色んなところで演奏してみたいね、と菜月も話していた。なんだかんだ私たちは、この時代に至っても、生演奏の魅力には勝てないのだ。


「しかし、美優が作曲してたなんて、知らなかったよ」


 菜月は、意外、というような、感心した口ぶりで言う。そんな素直な菜月にはやっぱり勝てない。


「でしょー? 実は、昨日作り始めたんだよね!」


 私はすぐに白状した。


「なにそれ、大丈夫なの?」

「いいの。趣味なんだからさ! 楽しくやろうよ!」


 菜月は思い切り心配そうにしていたけれど、それでも楽しそうにはしていたから、いいんだと思う。私も、ポップスの音楽活動なんて初めてだけど、菜月と一緒なら、ジャンルの壁を超えてでもチャレンジしてみたいと思うのだ。


「とりあえず、先に菜月に詞を考えてほしいな。私はそれに合わせて曲をつくるから」

「え、作詞って……」


 困っている菜月に、無理矢理、役割を振る。何より、菜月の作る歌を、彼女の本当の想いみたいなものを聞いてみたかった。


「大丈夫、菜月ならできるよ! それに、やっぱり詞は、歌う人が考えたほうがいいと思うし」

「まあ、確かに。とりあえず、なんとかやってみるか……」

「わあい、ありがとう! 最初はできたら恋愛ソングでお願いしたいな。菜月の作る恋の詞、聞いてみたいんだ!」


 菜月は昔から、年齢のわりに、冷めたような大人びた態度をとることが多かったし、恋愛話も結局ずっと私にはしてくれないままだ。そんな菜月がもし恋の歌とかを書くとしたら、どんな歌詞になるのか。すごく興味があった。

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