「もう、だめだよ。別れよう」
「……うん、そうだよね。ごめんね」
夜のホテル街で、私は突然フリーになった。別に突然ってほどでもない。もともと予兆はあったのだ。『送って行こうか』という男の誘いを丁重に断り、私は駅へと向かう。
さっきまで、恋人だった男と一緒に歩いていた道のり。カップルたちに加えて、黒服を着た、夜のお店のお兄さんたちや、お客さんを待っている派手な化粧のお姉さんたちが目に入る。
一人で歩いていると、少し心細く感じる反面、私の足取りは思っていたよりも軽かった。
きらきら光る歓楽街を足早に抜けて、駅前までたどり着いたところで、見慣れた後ろ姿を見つける。
「菜月!」
思わず、声をかけた。肩まで伸ばしたセミロングの髪が揺れて、彼女は振り返る。
「あれ、美優。デートじゃなかったの」
「それがね、また……」
テンションの低い声を出すと、菜月は自然な流れで私の肩に手を乗せる。
「そっか。……うん、よし。カラオケでも行くか」
ポン、と肩を叩きながら、そう言った。みなまで言わずとも、彼女はわかってくれたみたいだ。
菜月に手を引かれ、駅前のカラオケボックスに入る。もう慣れたものだ。四畳半ほどのスペースの個室に入り、適当に曲を入れる。耳慣れた、アップテンポな前奏が流れ出す。いきなりキーの高い曲を入れてしまったけど、まあいいや。テンションをあげていこう。
曲は、女性アイドルグループが歌う、定番の失恋ソング。私や菜月が小学生くらいのときに流行った曲だけど、いまだに歌えるから、不思議なものだ。『もう一度抱いて…』なんて、心にもない歌詞をうたう。
もう一度も何も、あの男に抱かれたことなんてない。
最長記録、五ヶ月。私の男女交際期間。恋の始まりには苦労しないけど、長続きがしない女の典型だった。今年で二十八になるから、付き合った人数が片手には収まらない、なんて言っても驚かれないだろうけど、私の場合はそんなもんじゃ済まない。
具体的な数を考えるのは虚しくなるからやめるけど、どの人ともたいてい三ヶ月も保たなくて、相手から振られてしまう。原因は自分でも大体わかっているけど、辛抱できない男のほうも悪い、なんて言ったら怒られるだろうか。
今、隣で静かに私の歌を聴いている菜月は、私が彼氏と別れるたびに、一緒にカラオケに来てくれる。大学生のころからだから、もう十年来の付き合いだ。サークルも専攻も同じで、ずっと一緒にいて、卒業して、就職して社会人になってからもまだ一緒にいる。よくもまあ、飽きないものだなと自分でも思う。
「次、菜月の番ね。あー、疲れた」
歌い終わってスッキリした気持ちで、私は菜月にマイクを手渡す。話しながらさりげなく、菜月の烏龍茶をもらう。子供みたいについついメロンソーダなんて頼んでしまったせいで、余計に喉が渇いていた。
次の曲が始まって、菜月が歌い出す。独特の芯のある声が、聴いていて心地いい。菜月はお仕事帰りのスーツ姿で、暑いからジャケットを脱いでいるけれど、パッと見てきっちりした格好をしている。
今日はお客様と打ち合わせがあったのだそうだ。外回りの仕事があるって大変だなと思う。私は内勤の一般事務職だから、定時退社して彼氏とデートなんかもしやすい、わけだけど。振られてしまった今日みたいな日は、むしろ残業でもしていたかったなどと思う。
菜月は昔から、将来設計をしっかりしている。ずーっとフリーを貫いている菜月は、私と違って、『一生独り身でもちゃんと生きていけるように』なんて言って、しっかり稼げる仕事についたし、貯金もちゃんとしている。本当に、菜月と比べると、私はしょうもない人間に思えてくる。
ため息をつきながらも、そのままぶっ通しで、何曲かを歌う。二時間ばかり歌った頃、曲の合間に、菜月が話しかけてきた。
「今回の記録は、五ヶ月か。美優にしては、長続きしたほうなんじゃないの」
「なにそれ酷い。気にしてるのにー」
思わず、笑って答える。さっきのブルーな気分と比べれば、自分が歌ったのと、菜月の歌を聴いている間に、なんとなく元気になってきてはいた。……だけど。
ここらで、ちょっとだけ、甘えたい気分だった。
「菜月……。ねぇ、泣いても、いい……?」
言うが早いか、私は菜月に抱きつく。菜月は、黙って私の体重を受け止めた。細身の体に似合わないふくよかな胸が、私を包み込む。柔らかくて、ずっとこうしていたいなぁ、なんて不埒なことを思いながら、嘘泣きをする。こんなろくでもない女だから、いつも振られてばかりなのかもしれない。
「君を振るなんて、ろくな男じゃなかったってことさ。……次行こ、次」
そう言って、菜月は私の頭をポンポンしてくれる。耳元でいつもの声が囁くのがくすぐったい。ふんわりした胸の感触と、ベビーパウダーのような甘い香り。いつもの感覚に包まれて、少しだけ眠くなってくる。
「なんか……眠くなっちゃった」
「なあに、ほんと子供みたいだな。んじゃ、そろそろ帰ろっか」
「うん」
マイクをテーブルに置いて、食べ終わった皿を重ねてから、席を立った。珍しくアルコールを摂取したからか、ちょっとだけ、ふらつく。
「はいはい、しっかりして」
菜月の肩を借りる格好になる。毎度のこととはいえ、なんだか情けない。悲しくて、やるせなくて、なによりもう帰らなければならないことが寂しくてたまらなくて、思わず口走る。
「菜月が、私の彼氏だったら、よかったのに」
「馬鹿、何言ってんの」
私の発言に、菜月は笑う。
「うそうそ。菜月は友達だからいいんだよー。ずっと友達でいてね」
「はいはい」
すぐに誤魔化したけど、自分の口から漏れた思わぬ言葉に困惑する。本当に、そうだったらいいのに、なんて思ってしまったらダメだろうか。
きっとダメだよね。今まではそういうのに興味がなかったみたいだけど、菜月だってもう二十八歳の大人の女性なわけだし、多分私に言わないだけで、好きな人くらいはいるはずなのだ。
ふわふわした頭のままそんなことを考えて、帰路についた。