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第13話

 美優が曲のラフをひととおり完成させた頃、私たちは都心にあるミュージックバーに行ってみることにした。そこは飛び入りで演奏をしたりできるところで、アマチュアで音楽活動をしている同志たちがたくさん集っているらしかった。


 とりあえず飲み物を注文して、ふたりしてバーの隅っこで他の人の演奏を聴いていた。すごく良いな、と思う演奏もあれば、ちょっと心配でドキドキしてしまうような演奏もあった。


 初めは『今日はまず、聴くだけだよ』なんて言っていたのだが、美優はちゃっかり楽譜を持ってきていた。隙を見て、他の人の演奏の合間に滑り込ませてもらうことにした。


 マイクとキーボードが備え付けてある小さなステージに上がり、いい塩梅に酔っ払っている音楽好きの人たちの前に出る。緊張で心臓がバクバク鳴る。


 美優のキーボードの伴奏で、私がメインボーカルを担当し、サビのところでは美優がハモリも入れてきた。大学を卒業してからご無沙汰だったから、人前でちゃんと歌うのは五年ぶりくらいだった。


「菜月、おつかれ! すごいよかった!!」

「ありがとう。楽しかったね」


 演奏後は美優にベタ褒めされた。思えば練習中もそうだった。大学時代と違ってダメ出しなんてほとんどなくて、美優はただひたすら私の歌を褒めてくれる。なんだか不思議な感じだ。


 ステージを降りた後は飲み物を頼んで、またバーの隅っこで一緒に飲む。ふたりで演奏後の高揚感に浸っていると、演奏を聴いてくれた人たちに声をかけられた。なかでも、ギターを抱えたひとりの男性は、美優のキーボード演奏をすごく気に入ったみたいで、『今度うちのバンドの練習、見にこない? 実はキーボード募集してるんだよね』なんて言ってきた。


「え、行きたい! ぜひ!」


 ノリのいい美優はすっかりその気になって誘いに乗る。『菜月も一緒に行かない?』なんて誘われたけど、誘われているのはもともとキーボードの美優だけなんだし、ちょうど仕事の入っている日だったから遠慮しておいた。


 話によると彼も、ふだんは普通の会社員をしているそうだ。でも若い頃からやっているバンド活動や、ひとりでも弾き語りなんかを続けていて、こうして時々ミュージックバーに遊びにきたりすることもあるのだそうだ。


 初対面のわりになんだかんだと話が盛り上がり、結局帰るタイミングまで一緒になった。私と美優とその人の、三人で夜道を歩きながら、音楽の話をする。美優と私がクラシック出身だということを知ると驚いていたけど、『だから音程とかあんなに綺麗なのかなー』なんてひとりで納得したりもしていた。


 別れ際に連絡先を交換して、自宅に戻った。美優は音楽仲間ができてすごく嬉しそうで、私もつられて楽しくなった。


 それからほどなくして、美優は彼の誘いに乗ってライブを見に行ったり、バンドの練習に顔を出したりしたようだった。相変わらず、平日の夜は私と一緒に曲の練習や作曲に勤しんでいたけれど、週末には彼と音楽関係のイベントに参加することが多くなっていった。


 私の方は、別に乗り気じゃなかった、というわけではないのだけど、どうしても平日の仕事の疲れが抜けなくて、土日のイベントはパスすることが多かった。そんな事情もあって、私のいない間にふたりは交流を深めていたようだった。


 美優に彼氏ができるのは、時間の問題だった。それは私たちが初めてミュージックバーに行ってから、わずか一ヶ月後のことだった。



 *



「今日もデート? 行ってらっしゃい」

「うん。行ってきます!」


 ふわふわの可愛い服に身を包んだ美優が家を出ていく。頬を赤らめて、さらさらの髪をなびかせて。


 美優が今の彼氏と付き合い始めてから、一ヶ月が経とうとしていた。今度の彼氏は趣味も合いそうだし、なんとなく美優のことも大切にしてくれそうだなと勝手に思う。毎度その予想は外れるけれど、わざわざ傷つく美優を見たいわけではないから、今度こそはうまく行って欲しい。


 だけど、と、ふと思う。


 二十八歳の美優が、このまま順調に彼と交際を進めていくとしたら、多分向かうその先には、『結婚』の二文字が見えてくるだろう。そうなったら、私たちの今の同居生活は終わりにせざるをえない。


 わかっていたことだけど、そのことを考えるだけで、やはり胸が苦しくて、身体がばらばらになってしまいそうになった。

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