目次
ブックマーク
応援する
いいね!
コメント
シェア
通報

第12話

 馬鹿なことを考えていたら、美優が突然言った。


「ねえ、菜月はさ。……私のこと、好き?」

「え……?」


 一瞬、時が止まったように感じた。誤解してはいけない、そう言い聞かせながら、急いで言葉を並べる。


「いや、まぁ、好きじゃなかったら、こんなに長く一緒にいないよね?」

「うん! 私も、菜月がいちばん好きだよ? だから、あのね。……一緒に暮らさない?」


 また時間が止まる。さっきからなんなんだ、この女は。魔法少女でもあるまいし。いや、もう少女じゃないから、魔女の方か。


「……また、いきなりだね」

「昨日みたいにさ、集合住宅で歌うと、普通は怒られちゃうじゃない? だから二人でルームシェアして、防音の物件借りようよ! それで、一緒に夜じゅう歌うの!」


 なるほど、そういうことか。それなら納得だった。夜じゅう歌うつもりはさすがにないけど。


「いいけど、防音物件なんて、そんなにあるもの?」


確かそういう部屋ってすごく高いんじゃなかったっけ。


「これから探せばいいんだよ! ね、今日休みだし、不動産屋さん行ってみようよ。善は急げだよ!」


 美優は、捕まえた獲物をもう離さないぞ、とでもいうような、前のめりな態度になっていた。


「心配しなくても、逃げないから大丈夫だよ。不動産屋さんも、私も」


 そう言ってやったら、ようやく安心したみたいで、ぎゅっと手を握られた。


「菜月、ありがとう!!」


 また、満面の笑顔。この顔に、私は弱いのだった。


 結局私たちは、その日のうちに、不動産屋さんをまわることにした。出かける前に、家のパソコンである程度情報を調べておくことにする。すると、防音物件に特化したエージェントが近くに何軒かあるとわかったので、早速電話して、相談の予約をとった。


「住む場所、どこがいいかな?」


 移動の最中、電車に乗りながら、美優が楽しそうに言う。


「私はそこまでこだわりないけど。ふたりの通勤の路線考えると、ある程度絞られてくるね」


 現実的なことを考えているように見せて、私の心の中は踊っていた。美優と暮らすことで、これまで以上にそばにいられることが嬉しくて。たとえ結ばれることがないとしても、美優が誰かと結婚したりするまでのことだとしても、それでよかった。



「やっぱり、オートロックは必須だよね」

「うん。それでなるべく三階以上がいいかな。セキュリティ的に」


 私たちの希望を聞きながら、不動産屋のおじさんは、目の前の端末に条件を打ち込んでいき、プリンターで物件情報を出力する。


 何件か候補が見つかったみたいなのだけど、なんだかちょっと渋い顔をしている。


「これはちょっと……大変だな」

「私たち、贅沢言い過ぎました……?」

「いやね、防音で良い物件はたくさんあるんですが、単身者向けが多くて、ルームシェアとか友達同士が大丈夫、っていうのはあまりないんです」

「友達同士ってだめなんですか……?」

「いやほら、失礼ですけど、友達同士だと喧嘩別れとかが多いので。大家さんが嫌がるんですよね。同棲とかも同じで、たとえば、婚約者とかだったら、大目に見てもらえるかもなんですが」

「そうですか……」

「でもとりあえず、大家さんに直接交渉してみますよ。ちょっと待っててくださいね」


 そう言うと、印刷された紙を持って電話をしに行った。

 その間に、美優は変なことを言ってくる。


「もういっそ、私たち婚約者ってことにしちゃう?」

「何言ってんの、馬鹿」


 馬鹿みたいな冗談。だけどそれがまた、恥ずかしいくらいに嬉しくて。クールを装いながらも私の心は弾んでしまうのだ。


 その後、大家さんとの交渉に成功した不動産屋さんは、私たちを車で内見に連れて行ってくれた。三軒ほどまわって、それだけでもへとへとになってしまったけど、私たちはその中の一軒に決めたのだった。



 *



「ただいま」

「おかえり。夕飯、できてるよ」


 残業でくたびれて家に帰ると、美優が夕食を作って待っていてくれる。」


「ありがとう」

「お風呂とごはん、どっち先にする?」

「とりあえずご飯食べる」


 まるで新婚夫婦のようなやりとりに、くたびれた心も途端に元気になってしまう。選択肢に『わたし』がないあたりが残念だけど、などと馬鹿なことを考えてしまうくらいには。


 築五年以内、駅徒歩十分の2LDKの防音物件を見つけたのは、奇跡としか言いようがなかった。


 私たちのお給料にしては、ちょっと背伸びしたお家賃ではあったけれど、それでも少しずつ家具を買い揃えたりして、二人暮らしは順調にスタートしていた。


「菜月、聴いて! 曲の続き」


 私がご飯を食べているそばで、美優はキーボードを持ってきて曲を弾き始める。いつもの光景だった。


「いいじゃん。あとは歌詞つけるだけか」

「そうそう。今それを悩んでるんだけどね」


 美優の作曲ペースは、素人の私から見れば驚くほどの速さだった。もともと鍵盤が弾けるから、イメージした曲を形にしていくのも速いのだろう。


「曲ができたら、どこかで弾き語りライブとかしたいな」

「気が早い早い。……でも、楽しそうだね」


 ふたりして夢を膨らませて笑う。まさか、アラサーになってまでこんな楽しみができるとは思っていなかった。音楽活動ももちろんだけど、こうして今美優とふたりで暮らして、そばにいられることが何よりの幸せで。


 たとえ恋人になれなくても、自分の本当の気持ちが伝わらなかったとしても、こうしていつまでもいられるなら、それでいいと思っていた。だけど。

 当たり前だけど、そんな日々は長くは続かなかった。

この作品に、最初のコメントを書いてみませんか?