馬鹿なことを考えていたら、美優が突然言った。
「ねえ、菜月はさ。……私のこと、好き?」
「え……?」
一瞬、時が止まったように感じた。誤解してはいけない、そう言い聞かせながら、急いで言葉を並べる。
「いや、まぁ、好きじゃなかったら、こんなに長く一緒にいないよね?」
「うん! 私も、菜月がいちばん好きだよ? だから、あのね。……一緒に暮らさない?」
また時間が止まる。さっきからなんなんだ、この女は。魔法少女でもあるまいし。いや、もう少女じゃないから、魔女の方か。
「……また、いきなりだね」
「昨日みたいにさ、集合住宅で歌うと、普通は怒られちゃうじゃない? だから二人でルームシェアして、防音の物件借りようよ! それで、一緒に夜じゅう歌うの!」
なるほど、そういうことか。それなら納得だった。夜じゅう歌うつもりはさすがにないけど。
「いいけど、防音物件なんて、そんなにあるもの?」
確かそういう部屋ってすごく高いんじゃなかったっけ。
「これから探せばいいんだよ! ね、今日休みだし、不動産屋さん行ってみようよ。善は急げだよ!」
美優は、捕まえた獲物をもう離さないぞ、とでもいうような、前のめりな態度になっていた。
「心配しなくても、逃げないから大丈夫だよ。不動産屋さんも、私も」
そう言ってやったら、ようやく安心したみたいで、ぎゅっと手を握られた。
「菜月、ありがとう!!」
また、満面の笑顔。この顔に、私は弱いのだった。
結局私たちは、その日のうちに、不動産屋さんをまわることにした。出かける前に、家のパソコンである程度情報を調べておくことにする。すると、防音物件に特化したエージェントが近くに何軒かあるとわかったので、早速電話して、相談の予約をとった。
「住む場所、どこがいいかな?」
移動の最中、電車に乗りながら、美優が楽しそうに言う。
「私はそこまでこだわりないけど。ふたりの通勤の路線考えると、ある程度絞られてくるね」
現実的なことを考えているように見せて、私の心の中は踊っていた。美優と暮らすことで、これまで以上にそばにいられることが嬉しくて。たとえ結ばれることがないとしても、美優が誰かと結婚したりするまでのことだとしても、それでよかった。
「やっぱり、オートロックは必須だよね」
「うん。それでなるべく三階以上がいいかな。セキュリティ的に」
私たちの希望を聞きながら、不動産屋のおじさんは、目の前の端末に条件を打ち込んでいき、プリンターで物件情報を出力する。
何件か候補が見つかったみたいなのだけど、なんだかちょっと渋い顔をしている。
「これはちょっと……大変だな」
「私たち、贅沢言い過ぎました……?」
「いやね、防音で良い物件はたくさんあるんですが、単身者向けが多くて、ルームシェアとか友達同士が大丈夫、っていうのはあまりないんです」
「友達同士ってだめなんですか……?」
「いやほら、失礼ですけど、友達同士だと喧嘩別れとかが多いので。大家さんが嫌がるんですよね。同棲とかも同じで、たとえば、婚約者とかだったら、大目に見てもらえるかもなんですが」
「そうですか……」
「でもとりあえず、大家さんに直接交渉してみますよ。ちょっと待っててくださいね」
そう言うと、印刷された紙を持って電話をしに行った。
その間に、美優は変なことを言ってくる。
「もういっそ、私たち婚約者ってことにしちゃう?」
「何言ってんの、馬鹿」
馬鹿みたいな冗談。だけどそれがまた、恥ずかしいくらいに嬉しくて。クールを装いながらも私の心は弾んでしまうのだ。
その後、大家さんとの交渉に成功した不動産屋さんは、私たちを車で内見に連れて行ってくれた。三軒ほどまわって、それだけでもへとへとになってしまったけど、私たちはその中の一軒に決めたのだった。
*
「ただいま」
「おかえり。夕飯、できてるよ」
残業でくたびれて家に帰ると、美優が夕食を作って待っていてくれる。」
「ありがとう」
「お風呂とごはん、どっち先にする?」
「とりあえずご飯食べる」
まるで新婚夫婦のようなやりとりに、くたびれた心も途端に元気になってしまう。選択肢に『わたし』がないあたりが残念だけど、などと馬鹿なことを考えてしまうくらいには。
築五年以内、駅徒歩十分の2LDKの防音物件を見つけたのは、奇跡としか言いようがなかった。
私たちのお給料にしては、ちょっと背伸びしたお家賃ではあったけれど、それでも少しずつ家具を買い揃えたりして、二人暮らしは順調にスタートしていた。
「菜月、聴いて! 曲の続き」
私がご飯を食べているそばで、美優はキーボードを持ってきて曲を弾き始める。いつもの光景だった。
「いいじゃん。あとは歌詞つけるだけか」
「そうそう。今それを悩んでるんだけどね」
美優の作曲ペースは、素人の私から見れば驚くほどの速さだった。もともと鍵盤が弾けるから、イメージした曲を形にしていくのも速いのだろう。
「曲ができたら、どこかで弾き語りライブとかしたいな」
「気が早い早い。……でも、楽しそうだね」
ふたりして夢を膨らませて笑う。まさか、アラサーになってまでこんな楽しみができるとは思っていなかった。音楽活動ももちろんだけど、こうして今美優とふたりで暮らして、そばにいられることが何よりの幸せで。
たとえ恋人になれなくても、自分の本当の気持ちが伝わらなかったとしても、こうしていつまでもいられるなら、それでいいと思っていた。だけど。
当たり前だけど、そんな日々は長くは続かなかった。