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第10話

 美優がお風呂に入っている間に、私はキッチンに立って料理を作り始める。安売りしていたパプリカと茄子があったので、ラタトゥイユでも作ることにした。さっき美優が、ワインが飲みたいと言って、安い小瓶を赤と白の一本ずつ買ってきていたから、ちょうどいいかもしれない。


 豚ひき肉があったから、レンジでできるレシピで、ミートローフっぽいものも作った。即興で作ったわりには、我ながらなかなか頑張っているほうだと思う。


 ミートローフができあがった頃に、ちょうど美優がお風呂から出てきて、リビングに入るなり歓声をあげる。


「わー! いい匂い! 美味しそう!!」

「つまみ食いしちゃだめだよ」

「しないよ! 失礼な」


 入れ替わりにお風呂に向かいながら、そんなやりとりをして笑った。

 美優を待たせているからと、いつもよりも少しだけ急いでお風呂に入って出てくると、美優はイヤホンをつけて何やら聴いていた。長い髪を全部乾かすのが面倒だったのか、まだ半乾きのままだった。


 驚かせてみようかと、後ろから近づいたら、逆に腕をつかまれてしまった。作戦失敗。


「おまたせ。なに聴いてたの?」


 美優は無言でイヤホンを片方渡してくる。私も片耳にはめて、一緒に音楽を聴いた。バッハだった。ブランデンブルク協奏曲第五番。私も美優も大好きな曲だ。学生のときは本当によく聴いたし、みんなで演奏したこともあった。


「チェンバロ、好きなんだよね。やっぱり」

「うん」


 昔を思い出しているだろう美優が、ちょっとだけ寂しそうに見えたから、私はそろそろ食事にしようと促した。美優はぱっと笑顔になって、食卓についた。


「ワイン、ワイン!」

「はいはい」


 子供みたいなテンションで喜ぶから、コンビニの店員みたいに年齢確認でもしてやりたくなったけど、やめておいた。同い年の私が虚しくなるだけだ。


 しかし、美優も二十八歳にもなるというのに、結婚とかは考えないのだろうかと、ふと疑問に思ったけど。そもそも、それ以前に、男女交際自体が五ヶ月しか続かないんじゃ、結婚を考えるどころじゃないな、と思い直した。


 美優には悪いけど、その方が私にとっては都合がいいのは事実だった。このままずっと、美優が男の人とうまくいかなければいい。そうしたら今みたいにずっと、美優の隣にいられるのに。


 そんなずるいことを思ってしまう自分は、なんて性格が悪いのだろうと思う。美優の幸せを望むことができないなんて。こんなの、友達失格かもしれないとも思う。


 私の身勝手な思いになど全く気づかない美優は、私の作った料理を美味しそうに口に運ぶ。お風呂上がりのくちびるは、何も塗っていないのに綺麗な色をしていて、つい目がいってしまう。


「やっぱり、菜月の料理は美味しい! 世界一! お嫁さんにしたい!」

「なに、彼氏じゃなかったの」


 馬鹿なことを言う美優に、この間の発言を引っ張り出す。どうせ冗談で言っているのだから、こんなの気にするだけ無駄なのだ。


 だけど、ほんのちょっとだけ、泣きたくなってしまうのはなんでなんだろう。


 ワインをちびちびと飲みながら、上機嫌になった美優は、こっちがいい、と、ワイングラスを持って勝手にソファーに移動する。


 仕方がないので、空になった皿を片付けつつ、まだ残っているおつまみセットのチーズと自分のグラスを持って、隣に座る。


「どうしたの急に」

「近いほうがいいなと思って」


 それは、私との物理的な距離ということらしかった。確かに、さっきまではテーブルを挟んでいたから、少し距離があったけど。思わぬ接近に、顔が熱くなってしまう。


「菜月、恋バナ、しよ」

「はあぁあ!?」


 急に寄ってきて耳元でささやくものだから、思わず、変な声をあげてしまった。


「そんなに嫌がらなくてもいいじゃん。たまには菜月の恋バナも聞かせてよ。片想いでも昔の話でもいいから、なんかないの?」

「なんかって、私はべつに何も……」

「好きな人、いたこと、ないの……? それとも、そんなに私には話したくないの……?」


 美優は途端に悲しそうな顔をする。


「そういうわけじゃないけど……好きな人くらいはいるけど」

「ほんと? だれ誰?」


 美優は興味津々といった様子で聞いてくる。誰なんてそんなこと、言えるわけないじゃないか。だから私は、適当な作り話をすることにする。そう、酔った勢いということで話せばいいのだ。


「美優の知らないひとだよ」

「同じ会社の人とか?」

「まぁ……ね」

「そっか。……でも、そしたら、書けるよね? 片想いの歌詞!」


 なるほど、そう言うことか。だからわざわざ、私の家に来たいなんて言ったのか。恋バナをするために、アルコールまで飲ませて。


「ねえ、その人、どんな人? かっこいい? イケメン?」

「美優と違って、見た目だけで好きになるわけじゃないから」

「えー、私だって別に、見た目だけみてるわけじゃないもん」

「どうだかねぇ」


 そんなふうに、のらりくらりと、はぐらかす。いい塩梅に酔っている美優は、それでも気分良さそうに聞いてくれていた。


「……菜月は、その人に告白とか、しないの?」


 しばらくして、美優はそんなことを訊いてくる。


「しないよ。私そういうの、諦めてるから」


 嘘で塗り固められた話でも、その部分だけは、本当のことだった。


「そんな、もったいないよ。菜月、せっかく可愛いのに」


 美優はそんなことを言う。恥ずかしくて仕方なくなる。


「諦めないで、アタックしてみようよ! 当たって砕けたら、今度は私がなぐさめてあげるから!」


 そう言って美優は笑った。毒気のない笑顔は、私には眩しすぎる。


「とりあえず、まずは歌だね」


 言うが早いか、美優は持ってきていたキーボードを勝手に広げ始めた。私は慌てて、テーブルの上のグラスやら皿を片付ける。本当に、危なっかしい。

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