学祭が閉会して、私たちサークルのメンバーは、打ち上げということで、駅前の居酒屋へなだれ込んだ。
「なにあれ、デレデレしちゃって、やな感じ」
「ほんと、彼女持ちのくせに」
打ち上げの最中、サークルの女の先輩たちがひそひそと話していた。視線の先には、美優の彼氏である工藤先輩がいた。美優はよくわかっていないみたいだけど、彼ははモテる人で、他の後輩の女の子からも頻繁に声をかけられている。
美優が席を立っているのをいいことに、他の女の子をまわりにはべらせて、ベタベタくっついてボディタッチしてみたり、下ネタなんかまで言って笑っていた。
私はもともと工藤先輩のそういうところが好きじゃなかった。わざわざ後輩の女の子の手をとりながら、『ビールを注ぐときは、グラスをちょっと傾けるといいよ』なんてドヤ顔でアドバイスしてるのも、なんとなく腹立たしい。
私も美優とのことがあって、全く何かを言える立場ではないのだけど。それでも彼は美優のことをあまり大事に思っていないんじゃないか、などと勘繰ってしまうのだ。
ちょっとだけ不快な気分でいたら、工藤先輩が急に私のほうに近づいて、話しかけてきた。
「菜月ちゃんて、レズビアンなの? 美優といつも一緒にいるけど、もしかして美優のこと好きなの?」
人前で平気でそんなことをのたまう。図星だから、一瞬だけ言葉が止まった。でも、なんてデリカシーのない男なんだろう。
「……嫉妬ですか。先輩、意外と余裕ないんですね」
無遠慮な質問には無遠慮な態度で返させてもらう。
「美優は僕に惚れてるからね。残念ながら、君の出る幕はないよ」
「そうですか。それはどうも」
美優が先輩に惚れていることなど知っている。つくづく、余裕のない男なんだと思う。
「菜月ちゃんもさ、女の子なんてやめて、たまには男と遊んでみたら? ものは試しだよ」
吐き気のするような捨て台詞を吐いて、先輩はまたどこかへ行ってしまった。美優がこんなクズ野郎と付き合っていると思うと、本当に気分が悪くなる。
しばらくして美優が帰ってくると、先輩は何事もなかったかのように、美優を自分の隣に座らせ、また談笑を楽しんでいた。
打ち上げがお開きになって、美優は当たり前のように、先輩と手をつないで、先輩の家の方角へ帰って行こうとする。『待って、行かないで』と、言いそうになる心をぐっと堪えて、私は美優を見送った。
翌日は朝から、美優の電話で起こされた。今から私の家に来たいと言う。正直、昨日の疲労が抜けていなかったけれど、休みの日だったから、まあいいかと思って、受け入れることにした。
昨日の夜がよほど楽しかったのだろうか。今度は先輩との夜の惚気話まで聞かされるのだろうかと、うんざりした気分になりながら、来客用のコーヒーを準備した。
すぐに美優は現れた。だけど、様子がおかしい。表情は暗くしぼんで、うつむいた目は赤く、目の周りにも跡ができていた。
「どうしたの、その顔」
聞かなくても、泣き腫らした顔であることは明白だったけれど。
「菜月、あのね。私……先輩に振られちゃった」
「そんな、なんで……」
唐突すぎる展開に、私は驚いた。
「ねえ、泣いてもいいかな……?」
それだけ言って、美優は泣き始める。泣きながら、ぽつりぽつりと経緯を話し出した。
美優は昨日の打ち上げの後、先輩の家に泊まりに行った。お風呂に入って、当然の流れのように身体を求められたけど、気分が乗らなかった美優は、それを拒否してしまったのだそうだ。
「元々、さ。……そういうことするの、よくわからなくて。先輩のことは好きだけど、側にいて一緒に音楽やってて、この人しかいないって思ってたけど、でも……」
私は今になってやっと、唐突にわかってしまった。
美優には、恋愛感情と憧れの区別すら、ついていなかったのだ。ましてや、それを利用して近づいてくる輩を見抜けるわけがなかった。
「嫌だって言ったら、先輩、怒っちゃって。……私、殴られちゃって。泣いちゃったら、追い出されちゃった。もう会わないって、別れようって……」
ひどい話だった。
だけど何よりひどいのは、そんな目に遭ってもなお、美優がまだ先輩のことを好きな気持ちがあるということだった。
私は美優を止めなかったことを、激しく後悔した。先輩のことを疑いながらも、自分の後ろめたさのせいで、そんな男はやめろと言い出せなかったことが情けなかった。
私は黙って美優を抱き寄せ、頭を撫でた。少しは落ち着くだろうか、と思って。
「菜月……おねがい」
美優は、私の耳元で甘い声でささやく。何を言いたいのか、彼女が何をしたいのか、わかってしまった。だけど私はもう、そうするわけにはいかないのだ。
「そういうのは……ちゃんと次の好きな人ができるまで、とっておきな」
私の言葉を聞いて、美優は不満そうな顔をしたけれど。私は続けて言った。
「それよりさ。……歌おうよ。私、美優の声、好きなんだよ。泣いてダメにするくらいなら、歌ってすっきりしよう」
ストレートに想いを伝えたら、美優は途端に笑顔になった。私たちはそのあとカラオケに行って、何度も一緒に歌い、そして結局、一緒に泣いた。
それからというもの、美優が失恋をするたびに、一緒にカラオケに行くようになった。何度も、何度も。私たちは、もう何回そうしてきたか、わからない。傷ついた美優を抱きしめるのも、髪をなでて、その甘い香りを感じるのも、私の役目で、特権だった。
私たちはすごく近かった。近すぎた。美優は私が他の女の子を好きになれる暇なんて、与えてくれなかった。
だけど美優に自分の気持ちを伝える気はなかった。彼女を困らせたり、傷つけたりしたくなかったから。今の関係を崩すくらいなら、永遠に片想いでいい。ずっと嘘つきでいい。そう思っていた。