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第5話

 それから、私のアパートの狭いキッチンで、美優の料理の特訓が始まった。私は一応、ある程度の料理はできるから、適当にアドバイスなんかもしながら、ひたすら味見係をこなしていた。


「煮物ってなんか難しい」

「そう? 材料鍋に入れて、あとは放置でいいから、むしろ楽だと思うけど」

「はあ。菜月みたいに目分量でできるには、どれくらいかかるんだろ」

「あんまり真似しないほうがいいと思うけどね、これ。ただズボラなだけだし」


 なんだかんだとしゃべりながら、美優と一緒に夕食をとれるのは、楽しかった。私たちは違う地域の出身だけど、二人とも海に近い街の出身で、そういう共通点があるからか、なんとなく食の好みが近かった。私の教えるレシピは、作るもの作るもの、美優のツボにぴったりみたいで、反応が良かった。その都度大袈裟に喜んでくれるものだから、こちらも教えがいがあるというものだった。


 同じ学年で、同じサークルで、そのうえ夕食時まで一緒にいるなんて、ずいぶんべったりだな、と自分でも思うけれど、美優が相手だと、不思議と嫌じゃなかった。


「ねえ、今夜、菜月の家に泊まってもいい?」

「いいけど、明日デートでしょ。大丈夫なの?」


 デート前日の金曜日の夜も、サークルの練習のあと、美優は私の家で料理の最終確認をしに来た。しかもそれだけじゃなく、泊りたいなどと言う。


「なんか、ひとりだと興奮して寝れなくなりそうだから。誰かにいてほしいんだ」

「はぁ。しょうがないなあ」


 美優の頼みは、やっぱり断れない。我ながらつくづく、お人好しだなと思う。

 夕食を食べ終わったあと、順番にシャワーを浴びて、部屋着に着替えた。


「ねえ、音楽聴こうよ」


 そう言って美優は、私のパソコンの電源を勝手に入れる。無料の動画サイトで、クラシック音楽の演奏を探すのだ。


「早く寝なくて大丈夫? 明日朝、早いんでしょ」

「大丈夫、大丈夫」


 こうなってはもう、美優は止まらない。わかりきっていたことだけど、私はすっかり美優のペースに呑まれていた。


 音楽を聴きながら、好きな作曲家の話になる。今、練習しているのは、ヘンデルの曲だけど、美優は本当はバッハのほうが好きらしい。鍵盤音楽を何曲か聴きながら、少しうとうとしてきたので、適当にプレイリストを流したまま、私たちは布団に入ることにした。


 といっても、一人暮らしの私の部屋には、ちゃんとした来客用布団なんてないものだから、なんとなく一つの布団を二人で分け合うことにする。雑魚寝っていうんだろうか。でも二人きりだから、なんだかちょっと違うような気にもなる。


 でも、女の子同士だし、特に深い意味はないと思う。私は、頭の中に浮かんだ妙な意識を蹴り飛ばす。


 けれど、同じシャンプーとボディソープを使ったはずなのに、隣に横になっている美優の身体からは、なぜかいい匂いがしてきて、困惑してしまう。


「菜月……起きてる?」

「……うん」


 一瞬、寝たふりをしようか迷ったけれど、美優の甘い声と香りに、私は返事をせざるをえなかった。近すぎる距離が恥ずかしくて、後ろを向いたままの姿勢で、会話をした。


「実は、明日さ、お泊まりになると思うんだよね、多分」

「……もう? 早くない?」


 先輩、それはまた、思ったよりも手が早いんだなと思う。ヴァイオリンなんか弾いてるから、勝手に紳士的なイメージを持っていたけど、まあ年頃の男なんだから、そんなもんなのかもしれない。なんだか、胸のあたりがモヤモヤした。


「菜月ってさ。経験者だよね?」

「……なに、言ってんの。私、そういう話しないからね」

「えー、いいじゃん別に。減るもんじゃなし」


 美優は不満そうな声を出す。その声がいちいち、艶々しているものだから憎らしい。変なことを聞かれたせいで、私は顔が熱くなる。今まで誰とも付き合ったことのない私は、正直、そういう話に免疫がなかった。


「美優こそ。別に初めてってわけじゃ、ないんでしょ」

「まあ、そうだけどさ」


 そんなやりとりをしながら、美優はなぜか私の首筋に触れてくる。この至近距離でそんなことをするの、反則だ。


「……ねぇ、菜月。こっち向いて」


 美優がそう言うので、仕方なく体勢を変えて、美優のほうを向いた。

 次の瞬間、彼女の顔が私の視界を覆った。あっという間のことだった。初めての唇の感触に、身体が熱くなる。小さく声が漏れた。


 どれくらいの間、触れていたのか、わからない。だけどその時間は、私にとっては永遠にも感じられた。唇の向こうで、美優の吐息にも音が混じる。それはBGMに流れるソプラノ歌手の歌声よりも、艶めいていて美しかった。

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