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n回目のラブソング
n回目のラブソング
霜月このは
恋愛現代恋愛
2025年01月13日
公開日
4.8万字
連載中
レズビアンの菜月とヘテロセクシャルの美優は、学生時代からの親友で、同じ音楽サークルの仲間だった。いつも長続きしない美優の恋が終わる度に、菜月は一緒にカラオケに行って歌う。涙を流す美優の横で、歌い続ける菜月は、10年もの間、美優に片想いをしていた。28歳のあるとき、突然美優は、菜月にある提案を持ちかけてきた。それにより、長年膠着状態だった二人の関係がついに動き出していく……。

第1話

 四畳半ほどの狭いスペースの中で、聴き慣れた歌声が響く。美優みゆの声はいつにも増して切なげな色をまとっていて、美しくて。その声でまた、私の頭の中はくらくらする。いつまでも聴いていたいと思ってしまう。


「次、菜月なつきの番ね。あー、疲れた」


 そんなことを言いながら、彼女は私にマイクを手渡す。二人きりでカラオケに来るのはもう、慣れたもので。学生時代からの、一種の定例行事のようなものになっていた。


 ほどなくして、私が先ほど入れた、流行りの曲が流れ始める。アップテンポな明るい曲調でありながら、実は歌詞は失恋のことを歌っているという、少し変わった曲だった。


「それだけ歌えば、そりゃ疲れるだろうね」

「ほんとだよ。なのに見た? 今の。六キロカロリーとか、絶対おかしいでしょ!」

「意外と少ないもんだよね。そりゃ、歌っても歌っても痩せないわけだ」


 前奏の間にそんな会話をする。それから、今のうちに飲んでおこうと、目の前にあるグラスの烏龍茶に手を伸ばす。と、その瞬間に、白くてふわふわした手が、すーっとそれをさらっていく。


「なんか、喉乾いちゃった」


 美優はなんのためらいもなく、ひとの烏龍茶をストローからひと口吸う。暗くてよく見えないけど、私のストローは今、美優の口紅のせいでほんのり赤くなっているだろう。だけど彼女はそんなことを気にする様子はみじんもなく、ただ満足したというように、にっこりと私に微笑みかけた。


 その表情のせいで、うっかり烏龍茶を飲みそびれた私は、ちょっぴり渇いた喉で、流行りの歌を歌い出す。


 別れた恋人に会いた過ぎて震えてしまう、というような、有名な失恋ソングだ。ありきたりと言ってはなんだけど、会いたいとか大好きだとか、君じゃなきゃ駄目だとか、最近の歌はどれも似たり寄ったりだ。


 いや、べつに今に始まったことでもない。大学時代に歌ったクラシックのオペラの曲だってそうだった。結局、色恋を歌った詞である以上、どれも大差はないのだ。


 そんなことを思いながら、一曲を歌い終わって、私はひと息ついた。


「菜月の歌って、やっぱいいよね。なんかぜんぶ自分の持ち歌にしちゃう感じ」


 美優はさらっとそんなことを言う。


「いやいや、そんなこと言って。美優には敵わないよ」

「そうかなぁ」


 実際、美優は子供の頃から声楽を習っていたから、発声の美しさでは、そこらの素人が太刀打ちできるレベルではなかった。だからそんな美優に、こんな風に褒められるというのは、実のところ、けっこう嬉しかったりする。


 だけど、素直じゃない私は、ついつい話をそらしてしまう。


「今回の記録は五ヶ月か。まあ、美優にしては、長続きしたほうなんじゃないの」

「なにそれひどいー。気にしてるのに」


 言葉とは裏腹に、美優は元気そうに笑った。恋人に振られたのは、たったの二時間前だというのに、びっくりするほどあっけらかんとしている。


「でもさ。ほんと、別れて良かったんだ、あんな男。よく考えたら顔も好みじゃないし、タバコ臭かったし」

「それで、なんで付き合ったんだか」

「ほんと、わかんない」


 そう言って、楽しそうに笑う。まるで、その人のことなんか、初めから好きじゃなかったみたいに。


 だけど、次の瞬間、表情が一転して曇り、美優は深く長いため息をついた。それが何を物語っているのかくらい、聞かなくてもわかっている。


「菜月……。ねぇ、泣いても、いい……?」


 許可なんか出す前に、美優の目は既に真っ赤になっていた。私は黙ってうなずく。次の瞬間、目の前が薔薇の香りに包まれた。長い髪が私の肌に張り付く。


 夏のわりに少しひんやりとした手が、私の首のうしろにまわされる。上半身の重みが、私の肩にのしかかってきた。


 美優の肩は、可哀想なくらい、小刻みに震えていた。


「君を振るなんて、ろくな男じゃなかったってことさ。……次行こ、次」


 ぎゅっと抱きしめて、髪を撫でる。さらさらのストレート。薔薇の香りのフレグランスは、デートのためにわざわざつけ直したのか、一日の終わりにしては新鮮な香りだ。


「うぅ……」


 言葉にならない声をあげて、美優は泣き続ける。いつもの光景だ。こうして、ふられるたびにカラオケに来るのも。そしてそのたびに、傷ついた彼女を抱きしめるのも、私の役割であり、特権であり、使命だった。


 しばらく、私達はそのまま、そうしていた。歌のない音楽が終わって、ディスプレイにはCDやゲームなどの広告映像が流れ出す。


「なんか……眠くなっちゃった」


 鼻声の美優が、そう言い出すものだから。そろそろカラオケは終わりにして、それぞれの自宅へ帰ることにする。


 私が声をかけると、美優は、寄りかかっていた身体を起こした。肩に乗っていた重みがなくなって、少しだけほっとしたのも束の間、美優は聞き捨てならない言葉を発した。


「菜月が、私の彼氏だったら、よかったのに」

「馬鹿、何言ってんの」


 動揺を悟られないように、言葉を返す。


「うそうそ。菜月は友達だからいいんだよー。ずっと友達でいてね」


 元の姿勢に戻った美優の顔を見てみれば、いつもの笑顔を浮かべていた。


「はいはい」


 美優に聞こえない程度に小さく、私はため息をついた。


 ふらふらの後ろ姿を心配しながら見送って、家路につく。やっぱり、知らず知らずのうちに出てくるのは、ため息だった。


 私は幸せなはずだった。いつまでもここで、美優の隣で。


 美優が誰かとうまくいって、幸せになれる日までずっと、隣で歌をうたっていようと、あの時、そう決めたのに。そのはずだったのに。


 更けていく夜を見送りながら、いつまでも眠らないリビングで目を閉じる。私を包んでいるのは、彼女の柔らかい肌ではなくて、言いようのない孤独感だった。


 ぬるい涙が、ほおを伝った。



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