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第17話 高天原の貴公子、邇邇義尊様がやってきた

「邇邇義様?」

 高星は声が裏返った。白兎が先ほどから何回か口にしていた名前だ。

 邇邇義と呼ばれた男が辺りを見回して口を開いた。唇までもが美しい。

「お父様、お母様、そして桜琴様、お久しぶりです。皆様、お元気ですか?」

 思わず聞き惚れるほど、音吐朗朗おんとろうろうとした物言いだった。

邇邇義尊ににぎのみこと様、ご無沙汰しておりました。いきなり来られてびっくりしましたよ」

 幸三は満面の笑みだったが、一生はその笑顔にどこか胡散臭さを感じていた。

「邇邇義尊様、三年ぶりですね。久々に邇邇義尊様のお顔を拝見できて嬉しいんですがね、先ほどうちの店は潰れてしまっていかんせん、お茶の一つも出せないんですよ~。すいません~」

 吟子は先ほどとはまた違った距離感で邇邇義尊に接している。色々な使い分けをしているらしかった。

「気は遣わないでください。皆様と積もる話もありますが、火急を要するゆえ、いきなり本題に入ることをお許しください。白兎が暴走して大怪我をしたと、土地神から連絡がきまして、慌てて飛び出してきたところです。それは本当ですか? 白兎は今どこに?」

 邇邇義尊は壊滅的な状態の月縁堂を見て、目を見開いた。そして再び辺りを見回している。

「白兎さんはここにいますよ」

 桜琴が声を発した。彼女は笑顔を無理やり貼り付けたような表情だった。

 桜琴のすぐ後ろに、白兎がいるのが邇邇義尊の目に入った。邇邇義尊はすぐさま白兎に駆け寄った。

 白兎がビクッと体を強張らせた。

「……大丈夫か、白兎……」

 邇邇義尊の声は例えるなら、まるでシルクのような優しい話し方だった。

「……大丈夫です、邇邇義尊様。少し怪我をしただけですから心配ご無用です。このような無様な姿で、面目ありません」

 白兎が申し訳なさそうに唇を噛んだ。

「お前が生きていてくれて何よりだ……」

 邇邇義尊は白兎を抱きしめた。緑の蓑虫を抱っこしているような格好になっている。

「よかった。本当によかった……」

 邇邇義尊は涙を浮かべて、白兎を抱きしめている。桜琴は困惑した表情で邇邇義尊に話しかけた。

「あ、あの邇邇義尊様、白兎さんは腹部を怪我しておりまして、あまり強く抱きしめられると、傷口が開く恐れがありますので」

 涙を浮かべていたのは白兎もだった。白兎は傷口の痛みをこらえての涙である。

「腹部をどうしたんだ。誰にやられたんだ? お前ほどの手練てだれが傷を負わされるとはな。くそっ! 人間の仕業か?」

 邇邇義尊が険しい顔つきになった。

「…………」

 一生はその様子を黙って見ていた。

「あの~、先にこちらに爆弾を投げてきたのは白兎さんです。そのせいでこんなことになってるんですけど?」

 高星はこちら側だけが悪く見られるのは嫌だった。そもそも種目が違うような人に話かけるには勇気がいったが、一生が悪いわけじゃない。

 邇邇義尊は素早く振り向き、高星を見つめた。長いまつ毛に金色の瞳、邇邇義尊のあまりの美しさに、高星は少したじろいた。

「……おかしいな。白兎は高天原で修行して、精神面も鍛え、そう易々とこんなことをするはずがないのに……」

 邇邇義尊は困惑しているようだった。

「白兎さんの暴走はけがれのせいだと思います」

 口を開いたのは桜琴だった。

「穢れ?」

 邇邇義尊が怪訝な顔をして聞き返す。桜琴は言葉を続ける。

「そうです。ここ最近、あたしの店にも妖怪や悪霊といった物怪の類が頻繁に現れるようになり、ここに氏神様が助けを求めてやってきましたが、氏神様は毒に侵された上に、すでに穢れに多く触れ、氏の泥手という妖怪になっていました。もはや手の施しようがないほどにです」

「なんと氏神が? 妖怪に堕ちたか?」

 邇邇義尊の顔が曇る。桜琴も悲痛な面持ちだった。

「氏神様が神社からいなくなり、ここいら一帯には穢れが充満しています。白兎さんは強い穢れにあたってしまったのではないですか? 穢れは霊力の強いものに寄っていきますから。その可能性は十分にあると思います」

「どうして、氏神は妖怪なんぞになってしまったんだ……」

 邇邇義尊は顔面蒼白だった。氏神はこの辺りの守護神だったはずなのだ。そう簡単にやられるわけもない。

 鳥居という神域があり、結界に守られてもいる。物怪のような穢れを持ったものはまず、入れるはずがないのだ。

「先ほど氏神様と話をしました。突然、鬼に襲われた、と話しておられました。凄まじい霊力を持っていて、結界などなんの力も持たなかったと。その鬼に腹部をえぐられ、傷口から鬼の毒をもらってしまったと、氏神様はそう話しておられました」

「……なんということだ。鬼が氏神を攻撃するなど……。そこまで葦原中国あしはらのなかつくに現代社会ここは落ちぶれているのか……!」

 邇邇義尊は握り拳を作って、唇と肩を大きく震えさせた。


 高星は隣にいる一生に問いかけた。

「ねぇ、神谷田さん、氏の泥手のあの殺気や遺恨の感情って、氏神様を襲った、その鬼に向けられたものなんじゃないですか? 白兎さんはその鬼の仲間だと思われたんじゃ……。あくまで僕の予想ですけどね」

「……なんでそう思う?」

 一生が高星を見る。高星の瞳は真剣そのものだった。

「なんていうか、白兎さんって、子供みたいじゃないですか? 確かに僕らを殺そうとしましたが、桜琴さんの言うように穢れを受けてしまって、あんな暴走したんなら、なんだか納得できるっていうか。白兎さんからは殺気が感じられなかったというか……。そんな悪い鬼だとも思えなくて……。かくれんぼしたり、豪玉をボール遊びのように扱ったり……、そう思う僕はおかしいですかね?」

「……白兎のことはまだよくわからん。それが私の答えだ」

 一生の返事は淡白だった。

 その会話を聞いていた吟子が口を挟んできた。

「そうだね。今日の白兎は確かにおかしかった。いつもうちの和菓子を食べながら『妹を出せ。さもなくば、この店の和菓子をすべて食べてやるからな』ってまるで幼稚園児のようなことしか言わなくって、ある程度、腹が満たされると高天原にすぐに帰っていくんだよ」 

「ふっ、なんですか、それ。まんま子供じゃないですか」

 高星が呆れ果てる。こんな精神年齢の低い鬼を邇邇義尊って人はなんのために使いに出してたんだろう、と思った。


 邇邇義尊が白兎をゆっくりと寝かしつけると立ち上がり、隣にいる桜琴の方を向き、彼女の手を握った。

「桜琴様、いや、お姉様、美桜はそちらにいるんですよね? 今日はその件もあり、ここまで来ました。会わせてください! お願いします! 話をさせてください!」

 まっすぐに桜琴を見つめる。金色の瞳が桜琴をとらえる。

「あ、あの、美桜は寝ていて、まだ起きる時間じゃないんです……」

 邇邇義尊の熱血に完全に桜琴は押されている。

「美桜を起こしてください! 二人だけで話がしたいんです!」

 桜琴は首を横に振る。その様子を見て邇邇義尊は右手を広げ、紅色の神気を放った。あっと言う間に結界ができる。

 電話ボックスぐらいの大きさしかない小さな結界だったが、頑丈に違いなかった。狭い結界の中には邇邇義尊と桜琴しかいない。

「これで邪魔はされません。外からは見えませんし、こちらの声も聞こえません。さぁ、美桜と変わってください。お姉様の中にいるんでしょう?」

 邇邇義尊の目鼻立ちの整った顔が、桜琴の目の前に迫る。

「ちょ、ちょっと困ります」

 桜琴が迫り来る邇邇義尊の胸板を押す。びくともしない体格差だった。

「困らせた方が美桜が出てくるんじゃないですか。あなたには申し訳ないが、もう少し困ってもらいます」

 桜琴の背中に邇邇義尊は手を回した。

「や、やめてください」

 桜琴は異性に抗体がまったくない。いつも自分の中に美桜がいたから、そんなこととは無縁の生活を送っていたのだ。

「瞳の色も髪の色も声もすべて違う、似てないが、あなたも美桜の姉だけあって美しいな……」

 邇邇義尊が桜琴の顎を手で持って、マジマジと見つめる。桜琴は足がガタガタと震えた。邇邇義尊の顔が至近距離にある。

(怖い!! 誰か助けて)

 桜琴は邇邇義尊の性格をよく知っている。

「ほら美桜、出てきなさい! あなたの姉が困っていますよ!? 大好きなお姉さんを悲しませる気か? こっちはもう限界なんだ!」

 邇邇義尊の声がどんどん険しくなる。

 桜琴は手に霊力を込め、結界の壁をドンドンと叩いたが、壁はびくともしない。邇邇義尊と自分では霊力に雲泥の差がある。

 邇邇義尊は神々を支配する、あの天照大神の孫だ。

「無駄ですよ、お姉様。無駄」

 邇邇義尊が桜琴の顔に手を伸ばした。桜琴は恐怖で抵抗すらできない。

 邇邇義尊の顔が目の前に迫っていた。桜琴はキツく目を閉じた。


 その時、パリンと結界が壊れる音がした。邇邇義尊が目を丸くしている。

 結界がガラスを割ったみたいに粉々に壊されていた。

莫迦ばかな、私の結界を壊すだと? 私の霊力を上回る奴など、ここにはいないはず……」

 邇邇義尊の目の前には一生が立っていた。怒りのこもった目だった。

「どんな偉い神様かは知りませんが、女性に対して乱暴すぎじゃないですか、私は感心しませんね……」

 彼は右手の拳でそのまま邇邇義尊の顔に一撃を入れた。皆が顔面蒼白であるが、山名だけは『おお』と歓声を上げた。

 邇邇義尊が後方に飛んで、尻餅をついた。

 桜琴の顔が安堵の色を宿した。

「か、神谷田さん……」

「き、貴様、よくも……」

 邇邇義尊は一生をにらみつけた。

 一生が露骨に不快な顔をして、邇邇義尊に言い放った。

「白兎をやったのも私です。鬼でしたからね。それに美桜って人と二人で話したいなら、うちを使ってくださって構いませんよ。あんたみたいな、でかいだけの木偶でくの坊には、うちはちと狭いかもしれませんがね」






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