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第15話 氏の泥手

「なるほど。そうだったのか……。報われないな」

 一生が悲しい顔をしてうつむいた。山名が目を伏せ、沈んだ声で言った。

「なんともまぁ、悲しい話ですね……」

 源次に至っては鼻水をすすり、目が潤んでいる。

 重苦しい空気を変えようと、高星がなるべく明るい口調で言葉を発した。通夜のような空気は苦手だった。

「でも邇邇義尊って人、すごく立派な神様なんですね! なんていうか人格者。普通、鬼を引き取ろうなんて思わないですよ」

「…………」

 なぜかそれには吟子も桜琴の父親もダンマリだった。桜琴も高星と目が合った瞬間、ふっと目を逸らした。

 また重苦しい空気に戻る。

「え? 僕、何か変なこと言いました?」

 高星はキョロキョロと視界を彷徨さまよわせる。

「いや、邇邇義様はとてもお優しい方だよ」

 吟子がそっけない感じで返事をし、そのまま視線を氏の泥手に移した。

「それより、この妖怪はどうする?」

「う~ん。助けてあげたいところだが難しいなぁ……」

 桜琴の父親が眉間にしわを寄せながら、手で顎を撫でながら思案している。

「た、助ける? この妖怪は我々に攻撃をしてきましたが?」

 源次が思わず口を挟んだ。この方たちは鬼や妖怪を助けることばかりしているのか、疑問が湧いた。源次の頭の中の回線も正常ではなくなっている。

 口を開けば『神』だという、そして妙な行動ばかりを取る。オカルト集団のようだ。

 しかしあながち嘘ではなく、桜琴は先ほど霊力かわからない『神の力』というものを使った。とてもトリックには見えなかった。

 源次は嫁に会いたい、とふと思った。鬼嫁と世間では呼ばれているが、鬼嫁のほうが言動が理解の範疇だ。


 白兎のそばにいた桜琴がスッと立ち上がり、氏の泥手の方をじっと見つめた。二人はひたすら見つめ合っている。

「な、何をしてるんですか?」

 一生がただ氏の泥手と見つめ合っている桜琴に訊ねた。彼女は不思議な行動ばかりだ。

「今、お話をしています」

 桜琴は短くそう答えた。

「は、話? 妖怪とですか?」

 一生は驚きを隠せなかった。先ほどから桜琴はひと言も言葉を発していないのだ。

 だが彼女の瞳は潤んでいて、時折うなずいたりして本当に氏の泥手と話をしているようだ。

 しばし皆は二人を見守りながら、沈黙の時を過ごした。


「なぁ、倒さないのか? 俺たち、明らかに攻撃されてたぜ?」

 源次が待ちきれず、口に出した。

 山名が源次になだめるように言った。

「もう少し待ちましょう」

 その様子を見ていた高星が静かな口調で問いかけた。

「あれって本当に攻撃だったんですかね?」

「……どういう意味だ?」

 一生が視線を動かし、高星を見つめた。

「殺気はこの鬼に、白兎に向けられたものじゃないですか?」

「なぜそう思うんだ?」

 一生が怪訝な面持ちで訊ねた。

「白兎が豪玉を僕らに向けて放とうとした時に、氏の泥手の手が緩みました。まるで僕らに逃げろと言わんばかりに」

「……そうなのか?」

 一生は式神を使い、自分の幻影を作り出し、屋根に身を潜めていたのでわからなかった。

「多分ですが、一人で豪玉を食らうつもりだったんじゃないかと僕は思うんです。それに……、泣いているようにも見えました。店にいた時に現れたのは、実は僕らに助けを求めていたんじゃないですか? もしくは鬼の存在を知らせようとしていたか……。だって外にいた時も何も攻撃してこなかったんですよ? そう考えると辻褄つじつまが合いませんか?」 

 高星は氏の泥手の行動が不思議で仕方がなかった。少なくとも敵ではないと気づいたのは外に出た時だ。殺気をまったく感じなかった。

「……なるほどな。確かに私たちを仕留めたいなら、店ごと破壊すれば済む話だな。あれだけ巨体なんだからな、容易たやすいことだろう」

 一生は今まで妖怪の気持ちなんて考えたことない。攻撃される前に倒してきたから、高星の考えていることには感心する。


 その時、桜琴が振り返った。目が潤んでいる。

「やはりこの方は氏神様でした。床から手を出して知らせても、あたしたちが一向に逃げなかったので、守るために店ごと移動しようとしてくれたみたいです」

「……やっぱりそうか」

「氏神様が神社からいなくなりここにいたから、色々な物怪が最近うちに集まってきていたのか」

「ここは神々の集まるところだからな」

 吟子と桜琴の父はわかっていたような口ぶりだった。

「……神々の集まるところ?」

 一生が独り言のようにつぶやく。一生のお屋敷には神がいるので、彼と、彼と一緒に暮らす山名だけは、この家族の摩訶不思議な行動に耐性がある。

「なるほどですね。調査に上がるほどの霊気が集まる店。神に魅せられた物怪がこの店にやってくるといったところですか」

 若年寄りこと山名が、合点がいったような話し方をした。

 源次も高星も珍紛漢紛ちんぷんかんぷんである。

(でも妖怪がいるなら、神々もいるのか。それにしても神様って変わってるな)

 高星は軽く吐息を漏らした。

「……にしても店ごと移動なんて、やっぱり神様は考えているスケールが違いますね。で、この店どうするんです?」

 高星は緊張感のない桜琴たち親子に半ば呆れている。自分の店が壊れるかもしれないのに呑気すぎる。

 氏の泥手によって古民家風の店舗兼、住居はもう三分の一は崩れてミシミシと嫌な音を立てている。

「……諦めます」

 桜琴があっさりと言葉にした。

「そうだな、仕方がない」

「もうボロボロだったし、ちょうど建て替えの時期だったのかもしれないね」

 吟子と桜琴の父が顔を見合わせている。

 高星は頬を引きつらせた。

「はぁ?」

 やはり桜琴もその親も異常なほどに安気だ。

 結界師の皆も顔の色を失っている。人間世界では考えられない思考の持ち主たちだ。

 ポジティブとかそういうレベルではない。

 高星はもう脳疲労状態だった。

(……もう帰ってもいいかな? なんだかよくわからない人たちだ。付き合いきれない。美桜さんも無事だったみたいだし、最後に神谷田さんの連絡先を聞いて、帰って映画でも観るか……)

 高星は一生に声をかけようとしたその時、桜琴が一生に声をかけた。

「神谷田さん、この氏神様を天界に送ります。その手助けをしてもらえませんか?」 

「え? 天界に送る? その手助けを私がですか?」

 一生はキョトンとした顔で桜琴を見た。桜琴は真剣な面持ちだ。

「あなたの力が必要なんです」

「……はぁ、私でよければ」

 一生が戸惑いながら桜琴の隣に並んだ。天界とは天国のことだ。

 並んだ二人のすぐ前に氏の泥手の姿がある。黒緑の泥にまみれた多くの目が二人を交互に見ている。

「ここまできたら、やはり天界に行ってもらうしかないのか……」

 そうつぶやいた吟子の悲しい顔を見て、桜琴の父親が吟子の肩に慰めるようにそっと手を置いた。


 一生は桜琴の顔を見て問いかけた。

「……で私は一体何をすればいいんですか?」

「少しだけ待っていてください」

 桜琴は小さい瓢箪酒のキーホルダーをポケットから取り出した。それを人差し指で軽くひと撫でした。

 キーホルダーの瓢箪酒がみるみる大きくなり、ペットボトルぐらいの大きさになった。

 瓢箪酒には『渡』という文字が刻まれていた。

「ごめんなさい、氏神様!」

 桜琴は瓢箪酒のキャップを外し、宙を斬るように左から右に瓢箪酒の中身を氏の泥手に向かって思い切り、ぶちまけた。

 瓢箪酒に入っていた日本酒が半円を描き、氏の泥手にバシャっと当たった。

「うわぁぁぁ! いきなり何をするんですか!?」

 隣にいた一生が桜琴の突拍子もない行動に、悲鳴に似た声をあげて、反射的に後ろに下がった。

 氏の泥手が苦しそうにもがきだし、店が音を立ててどんどん壊れていく。

 辺り一面にきつい日本酒の香りが漂う。

「ひ、ひどい。苦しんでるぞ。こ、これは黄泉送りか?」

 源次が腕で口元を押さえながら、哀れみの色を瞳に宿した。隣の山名も手で口を塞ぎ、眉根を強張こわばらせている。黄泉送りは苦しみもがきながら息を引き取る。

 高星に至ってはもはや、桜琴の荒くたい謎の行動の数々に、言葉すら出なくなっていた。

(あの桜琴って人、見た目はあんなに奇麗なのに行動が、残念すぎる。奇行ばかりだ。……ん? あの瓢箪酒はどこかで見たぞ?)

 高星は目を凝らして、桜琴の持っている瓢箪酒を見た。

(あ、あれは美桜さんが持っていたものと同じじゃないか! 確か美桜さんも中身をぶちまけていなかったか? あの時はよくわけがわからずにいたが、まさか……)


「神谷田さん! 出番ですよ!」

 桜琴は後ろに下がっていた一生の手を引っ張った。一生が氏の泥手を見ながら口にする。

 その泥臭い、氏の泥手の体からは黒いもやのようなものがプスプスと出ている。

 物怪が消えゆく時に出るものだ。

「あ、あの桜琴さん。一体これは……。あなたがもう黄泉送りにしてしまったんじゃ……。私の出番はないんじゃ……」

 氏の泥手はひと回り小さくなった気がする。そしていまだに苦しそうにもがいている。

「今は浄化をしています。悪いものが憑いたまま天界には行けませんからね。悪いものが今は氏神様から出て行っているのです。それらが苦しんでいる姿です。氏神様がもがいているわけではないのです」

 そう言い切った桜琴の瞳は力強く、見惚れるほどに美しかった。






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