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第14話 彼が鬼になった理由

 山田白斗は本当に運が悪かった。なんと谷は神だった。

 彼は山海の恵みをもたらす『彦火火出実尊ひこほほでみのみこと』という神様だった。

 そして谷の嫁も神だった。『豊珠姫尊とよたまひめのみこと』で農漁業、畜産、航海安全の神様である。

 愛する夫が亡くなり、豊珠姫尊は絶望し、自ら命を絶ってしまった。

 このことで悲しみ、血の涙を流し、誰よりも怒り狂ったのは『大綿津美神おおわたつみのかみ』だった。豊珠姫尊の父である。海神であり、海のすべてを司る神で、その力は強大でこの神の憤怒によって、荒れた大海で数多くの生物が死を迎えた。

 白斗の行動で自分の娘が死んだと、悲しみに取り憑かれた大綿津美神は彼を恨んだ。

 彦火火出実尊は人間たちのせいで心を病んでしまった。そんな腐った人間どものために、白斗は彦火火出実尊を撃ち殺した。

 そう解釈していた。

 もっと他にやり方があったはずだ、と大綿津美神は高天原の天照大神あまてらすおおかみのところに赴き、娘と娘婿、孫を失った悲しみを大粒の涙を流しながら、三日三晩語ったのだった。天照大神は大綿津美神に同情し、時には同じように涙を浮かべた。


 白斗は白兎尊はくとのみことという縁結びの神だった。戦う力はないが、相性の良い二人には結婚へのアドバイスや、場合によっては復縁させることもできた。ただし縁がある場合のみだ。元々、縁がないものはどうやっても無理で、縁を作り出すことは不可能だ。

 この世界はすべてが縁だ。人との関係も、仕事も、何もかもが縁がなければどうやったって、上手くはいかない。

 縁があるものをうまく引き合わせる。それが白兎尊の神力だった。


『縁結びの神がうちの娘に惚れ込んで、うまく事件を利用して娘婿を殺したんです。自分と縁結びさせるために』

 愛する娘を失い、大綿津美神はそんなことまで言い出し、明らかに正常な思考ではなくなっていた。

 天照大神は神が人間のために、命を落としたことにひどく心を痛めていた。

 どちらにしても白兎尊は神を殺した、天照大神も、白兎尊をこのまま神でいさせるわけにはいかなかった。

 神は神の力を持って、全力で神を守るのも使命だ。優先順位は人間より神だ。

 天照大神はすべての生命体の神だが、最近の人間の行動は目に余るものを感じていた。

 葦原中国あしはらのなかつくに、人間の住む場所は乱れに乱れきっている。

 皆が自分のことしか考えなくなって、最近は特に攻撃的な人間が増えたように感じる。

 人間界に神々を住まわせ、平和と秩序を保たせてきていたが、文明の発達により人間はより傲慢になってきている。

 天照大神はこれ以上、神の犠牲者が出ないように決断した。

「大綿津美神よ、わかった。白兎尊は神の記憶を奪い、鬼にして黄泉の国に落とす。黄泉送りだ。それでよいな?」

 こうして白兎尊は神の力を失い、鬼にされた。


 いよいよ白兎尊の黄泉送りが決行されるその夜。明瞭で意志の強い声が天照大神の屋敷内に響いた。

「お待ちください! 白兎尊は確かに神を殺しました。ですが、彦火火出実尊は『谷』という名で暮らすうちに神としての自覚を失い、人間社会で酒に溺れ、心をなくし殺人をしています。それに無差別殺人の中には神が二人もいました。白兎尊がすぐに彦火火出実尊を始末しなければ、どうなっていたか、考えるだけで恐ろしゅうございます!」

 白兎尊の黄泉送りを阻止しにやってきたのは、天照大神の孫の邇邇義尊ににぎのみことだった。噂を聞きつけ、早馬で天照大神の屋敷に飛んで来たのだ。

「人間も元は神だったものたちですよ! 我ら神が人間を見放してどうするのです!? しっかりしてくださいませ、お婆さま!」

 邇邇義尊の言葉は、天照大神の心に潤いを与えるものだった。人間の愚行ばかり見ていたせいか、邇邇義尊が輝いて見えた。

「邇邇義よ、しかしわたくしはもう白兎尊を鬼に変えてしもうたのじゃ。手遅れじゃ」

 天照大神は深くため息をついた。鬼は神にも危害を加える。よって黄泉送りして二度と、この世界に来れないようにするのが決まりである。

 黄泉の国は地底に存在する地獄の国。太陽の光が届かない。それは絶望を意味する。

「私が白兎尊、いや、鬼になった白兎を預かります。善行を重ねるうちに神に戻れるやもしれません」

 邇邇義尊は天照大神の顔を見た。天照大神は眉を下げ、困り顔であった。大綿津美神にはなんと言えばいいのだ。

「邇邇義、お前の優しい気持ちは私もよくわかる、がそのようなことは前代未聞で、世間の神々がそれを許さぬであろうな」

 その言葉を聞いて、邇邇義尊が口角を片方だけ上げた。

「お婆さまがしたことも前代未聞ではございませんか? 本来なら神々の会合で決めるべきであろう、このような深刻な案件をよく調べもせずに、白斗の話をまったく聞こうともせず、大綿津美神の話のみ聞き、独断で勝手に鬼にしてしまった。これは不平等でございます。白兎尊があまりにも不憫です」

 邇邇義尊が眉間にしわを寄せる天照大神の顔に、遠慮のない視線をぶつけながら会話を続ける。

「寛容なお婆さまに再度お願い申し上げます。白兎はこちらで預からせてください。必ず神に戻します。それに大綿津美神にも、私からうまく話をしましょう」

 天照大神が盛大なため息をついた。この孫には勝てないと。この孫の『うまく話す』は間違いなく正論で相手を叩き潰す、その意味だからだ。

 邇邇義尊はまさに神の器であった。徳が高く、神々からの人気も高い。高天原で彼の支持をしない神は存在しないであろう。

 どんな時も優しさと気配りを忘れない。貧しい神にも慈愛の心で接する。

 そして天照大神の孫であるにも関わらず、偉ぶった態度は決してとらない。

「……よかろう。そなたの好きにせい」

 天照大神は大きくため息をついた。この孫を敵に回すほど厄介なものはない。

 こうして白兎は邇邇義尊の屋敷で暮らすことになった。


 邇邇義尊、偉丈夫でキリリとした眉の男らしい端整な顔立ち。肩幅があり、紺色に金の刺繍がされた着物がとても似合っている。

 艶があり、背中の真ん中あたりまである長い黒髪はそのまま下ろしている。 

 高天原きっての美男子。

 美桜の婚約者である。美桜はなぜ、この美男子から逃げ出したのか、頑なに家族にも決して明かさない胸の内。

 とある意外な人物が、閉ざされた美桜の心の扉を開けることになる。












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