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第10話 ぼんくら長男

 その青い鬼は二十歳そこそこに見えるが、実際の年齢はわからない。

 巨躯の妖怪と、上級クラスの青鬼、これはなかなかに厄介だ。

 そんなことを一生が考えている、ほんの束の間に青鬼の姿が見えなくなった。

「また消えた?」

 彼がそうつぶやくと同時に、高星のすぐ目の前に青鬼は現れた。

 そして高星の顔にそいつは一撃を喰らわせた。

 高星が後方に吹っ飛んで尻餅をついた。

「うぐっ……」

 殴られた高星が左の頬を押さえ、青鬼を睨んだ。

「大丈夫か?」

 一生が高星の元に駆け寄った。高星の顔からは鼻血も出ている。

「なんや、不満そうやな。先に手を出したんはお前やで」

「貴様は鬼だ。僕らの敵だ」

 高星が冷たい視線を投げつけた。

「わしをその辺の低級な鬼と一緒にすな! わしはな、ここに話し合いにきただけやで?」

 鬼が高星を睥睨へいげいした。

「話し合いだと?」

 二人のやりとりを見ていた一生が口を挟んだ。

「そやで。わしはな、お前らなんぞに用はないねん。お前らがここにおった。それだけやで? 用が済んだら早よ帰らなあかんし、わしはこう見えて忙しいねん」

「……誰に用があるんですか?」

 高星が静かな口調で訊ねた。

「さっきの可愛いらしい姉ちゃんや」

 青い鬼が紫色の舌を出し、ペロリと唇を舐めた。不気味だが、よく見ると鬼にしては端正な顔立ちだった。

「……まさか彼女をた、食べる気ですか?」

 高星の背中に嫌な汗が流れた。昔から鬼は人を喰らうものだとそう伝えられてきた。

(さっきのコイツの動き、まったく見えなかった……)

 ハイクラスの鬼に間違いない。高星の背中から冷や汗が滝のように流れ落ちた。肝が冷える。

 万全の体制で挑んでも、今は勝てるかどうかわからない。そもそも高星は鬼と戦ったことすらない。

「……いまだに鬼は人間を食べているのか?」

 一生が青鬼に訊ねた。声から嫌悪感が滲み出ていた。

「おい! お前ら、誰が食うって言うたんや? わしは話があるってことしか言うてへんやろ! 人の話、ちゃんと聞いとったんか? 自分ら失礼やな、さっきから。わしは牛肉しか食わんわ!」

 鬼が唾を撒き散らし、立腹しながら会話を続ける。

「ほんまにいてまうぞ? お前らじゃ、わしに勝ち目なんかないのはわかってるはずやで? 少なくとも、そこの白銀髪の兄ちゃんがわしと戦っても、互角がええとこちゃうか?」

「か、神谷田さんでも互角?」

 高星が驚きを隠せない声で聞き返す。これだけ霊力が強い結界師の長でも互角? 

 高星は一生の顔を見た。彼の顔も先ほどとは全く違う。険しい顔つきだった。

 緊迫した空気に包まれていく。

「……高星、コイツは上位の鬼だ。このクラスの鬼を見るのは私も初めてなんだ」

 そう口にした一生の顔からは、じんわりと汗が滲み出ていた。

「おい、ぼんくら、お前ぐらいやで? わしの強さをわかってへんのは。わしは一騎当千の強さやで?」

 高星を見て、青鬼はやれやれといった様子で盛大にため息をついた。

「まぁええわ。わからんのやったら少し遊んだろか? しゃーないな」

 青鬼は半分口角をあげ、ニタリと嫌な笑みを浮かべた。

 途端に辺りの空気が変わった。冷たくて重たいものだ。加えて息苦しさを感じる。

 青鬼がパンと合掌し、肩の高さのところで拳を作り、力を込めた。青鬼に力がみなぎっていくのがわかる。

 鬼の凄まじい霊力で、音を立てて風が吹き荒れた。一生も高星もいとも簡単に吹き飛ばされ、砂の上に二人は叩きつけられた。

 なんとか立ち上がった瞬間、一生は腹部に激痛を覚えた。嫌な予感しかしない。

 彼が視線を落とすと、青鬼の拳が自分の腹にめり込んでいた。

「こ、この腐れ青鬼が……! 桜琴さんには絶対手出しはさせんぞ……」

 力が入らない身体から、一生は無理やり声を絞りだす。痛みで額から嫌な汗が流れ落ちた。

「わしな、白兎はくとって名前やねん。かっこええやろ? 腐れ青鬼ちゃうで。そんで銀髪ロン毛、お前はなんや? あのぼんくらの仲間か?」

「……そ、その予定だが」

「予定ってなんやねんな? まだ仲間ちゃうんかいな。まぁ、あのぼんくらはお前より遥かに弱いで? それでも仲間にするんか?」

 白兎は「まぁ、どうでもええけど」そう言いながら、今度は右足で一生の横腹を蹴り飛ばした。

「ぐっ!」

 一生が地面に叩きつけられ、うめき声とともに腹部を手で押さえる。

 絹のような白銀髪がさらりと肩から流れ落ちた。絹髪が汗をかいた顔にまとわりつく。

 一生は口から苦いものを吐き出した。

「か、神谷田さん!」

 高星が一生に駆け寄り、彼を庇うようにして立った。

 その高星に乾き切った視線を送った白兎は、うんざりした声を出した。

「お前なぁ、ほんまにミミズのような弱い神気オーラしか出てないで? お前じゃ遊び相手にもならんわ」

「よくも、こんな真似をしてくれたな。僕の尊敬する先輩に、よくも……」

 高星の身体から黄金の神気がみなぎり出した。

「なんや、それっぽっちか。つまらんな、もう飽きたわ。わし、ほんまに忙しいねん。だから遊びは終わりや!」

 白兎の身体から青い鬼気オーラが溢れ出した。

豪玉ごうだま!」

 白兎がそう呟き、両手で大きな青い炎の球を作り出した。直径百五十センチはありそうな大きな火の球だった。

 その青い炎は轟轟ごうごうと嫌な音を立てて燃えている。ただの炎ではなさそうだった。

「お前らにこれが避けられるか? 無理よなぁ。白銀髪も神気が強い割には弱かったなぁ? あ~、つまらん、つまらん。ホンマおもんないわ、自分ら」

「やめろ! そんなものを投げたら、辺り一面吹き飛ぶぞ!」

 一生が白兎めがけて叫んだ。

「そやで、この辺り一面が大爆発やで。そや! ええこと、思いついた。殺してまえばええんや! わがままな嫁を説得する手間が減るわ。おい、うじ泥手どろて! 逃げんようにそいつらを捕まえとけや! 上手く当てたるからなぁ」

 白兎が泥の妖怪に命令する。

 氏の泥手と呼ばれた妖怪の手がウニョウニョと伸びてきて、高星と一生の両手を掴んだ。

「コイツはどうなってもいいのかよ!? この泥の妖怪もお前の仲間じゃないのか?」

 高星は店を肩車のように背負う、泥の妖怪を見た。

 最初は攻撃をしてきたけど、今は大人しくしている。

 たくさんの目が訴えるように一斉に高星を見つめてきた。潤んで泣いているようにも見えた。

(え? ちょっと待って。もしかしてこの妖怪は……)

 高星は何か勘違いしている気がした。あれは本当に攻撃だったのか、と。

「ほんならいくで~!」

 まるでキャッチボールをするかのような、楽しそうで呑気な白兎の高い声が響いた。

 白兎は捕まっている二人めがけて、豪玉を投げようとしていた。

 その時、裏口から桜琴が出てきた。さも悲しそうな顔をしていた。

「おぉっと! ちょうどええとこに帰ってきたやん! 姉ちゃん、これプレゼントや、受け取ってや~! 恨むなら、邇邇義ににぎ様と逃げ出した妹を恨むんやなぁ~!」

 白兎が振りかぶって豪玉を桜琴の方に投げた。

 目にも止まらぬ速さで、青い炎の爆弾が桜琴をめがけて飛んでいった。

 高星と一生は氏の泥手に捕まったままで、源次と山名は店から出たところで結界を張っていた。

 源次と山名のところまで、青い炎の爆弾の光が見えた。

 ドン! と大きな爆ぜる音が辺りに響いて、爆風が吹いた。

 青一色の花火が上がったような空色になった。

「あ~あ、姉ちゃんのほうはわしの好みやったのに。ほんまに残念や……」

 白兎がわざとらしいため息をついた。

「……ん? なんや」

 先ほどから白い煙に包まれて、周りは何も見えない。おかしい。

 それに大爆発したのに、どこからも火の手が上がっていない。水を打ったように静かだ。

「なんでや?」

 白兎は視線を彷徨さまよわせた。こんなことは初めてだった。豪玉は一帯を燃やし尽くすのだ。

 すぐそばで何かが動いた気配がした。白兎の浅葱あさぎ色の髪が揺れた。

「ぐはっ!」

 白兎は腹部に強烈な痛みを感じた。

「さっきはよくもやってくれたな」

 白兎の目の前にいるのは一生だった。

 一生の氷の剣が白兎の腹部を貫いていた。赤い血が白兎の腹部と背中から滴り落ちる。

「ば、莫迦バカな……。お前は動けないはず……じゃ……。それにわしの豪玉は……?」

 白い煙が消えていく。

 白兎は氏の泥手の方に視線を移した。確かに高星も氏の泥手に捕まっている。

 その刹那、止まっていた時が動き出したかのように、氏の泥手に捕まっていた一生の姿は、ただの人型の小さな紙切れになった。

「し、式神か……。なるほどな」

 高星が一生の目の前にきて庇った時に、一生は式神を使った。

「そやけど、わ、わしの豪玉は?」

「私もお前と同じように氷の炎で爆弾を作ったのだよ。つまりは相殺だ」

「な、なんやねん、お前。人の真似すんなや。ホンマむかつく……」

 そう言って白兎はその場にどさりと倒れ込んだ。

 源次と山名が駆けつけてきて、その光景に唖然としていた。

「このレベルの大鬼がくるとは……」

 山名が独り言のようにつぶやいた。

「まだ生きてるんだよな? その鬼は……」

 源次が真剣な面持ちで一生に訊ねた。

「ああ、トドメを刺さないとな……」

 一生が氷の剣で白兎の首元を狙った時に、桜琴の声がした。

「待ってください! その鬼を殺してはいけません! その鬼は神です。いや、正確には神だったものです」


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