「裏口? 高星は奴らの居場所がわかるのか?」
怪訝な表情で一生が訊ねた。源次も山名も黙って高星を見つめている。
「ぼんやりとしかわかりませんが、それがどこにいるのか、大きさやなんなのかぐらいは……大体見なくてもわかります」
皆が同時に驚きを隠せない顔をした。
「すごい! 素晴らしい能力じゃないか!」
一生は疑いもせず、高星の肩を嬉しそうにポンと軽く叩いた。
深雪の貴公子と呼ばれるその瞳は、雪が太陽の光を浴びて、キラキラと美しく輝いているようだった。
高星は「そんなたいしたことじゃないですよ」と恥ずかしそうにうつむいた。
両親にさえ、あまり褒められたことがない高星にとって、一生の言葉は嬉しいものではあったが、同時に恥ずかしくて、居た堪れないような気持ちにもなるのだった。
そして、さっき会ったばかりの自分の言葉を疑いもしない一生に、正直戸惑いも感じている。
育ちが良い人は人を疑うことを知らないのか、と。
「ではこちらは、わたくしたちにおまかせを」
山名が店内の客と、従業員のところに救助に向かった。
まだ揺れは続いている。むしろ先ほどよりひどくなったように思う。
普通の人間なら立っていることもままならないだろう。
源次も山名に続いて足早に駆けていく。まずは防御結界を張る。
「よし! 私たちも行こう!」
一生と高星は裏口に向かおうとした。その時、一生の瞳に亜麻色の長い髪が目に入った。
凛とした表情の桜琴がついてきていた。
「桜琴さん! 危ないからあちらへ」
一生が声をかけたが、桜琴はじっと一生を見つめ、
「あたしも行きます。いや、多分、
キッパリと言い切った。この揺れの原因に心あたりがあるようだった。
「……なら、僕たちの後ろにいてください」
高星が桜琴に乾いた視線を送った。高星にとって戦力外の桜琴は足手まといでしかない。
そう思っている。
だが半刻後、桜琴の力を思い知ることとなる。
一生は裏口の手前まで来て、ようやくそこに妖怪がいる気配を感じ取れた。
上級妖怪らしく、気配をうまく消していたのだ。
「開けるぞ!」
一生が声かけをして、裏口の引き戸を一気に開ける。
そこにいたのは、高さ十メートルはある、大きな妖怪であった。
ただ形を保てないらしく、溶けたソフトクリームのような、崩れた三角形になっていた。
黒緑のドブ川のような体に、いくつもの目がついていて、その目が一つ一つ違う方向を向いている。
その目の数は五十ぐらいだろうか。
そして桜琴と高星を襲った無数の手も、体のあちこちから伸びていた。
その体からは、ドブそのものの異臭がしていた。
『おぉぉ……』
その妖怪が唸り声をあげた。
その途端、あちらこちらを向いていた目が一斉に三人を見た。
桜琴がビクッと身体を
「高星、お前すごいな。私は寸前までこの気配がわからなかったぞ」
一生が目の前の大物の妖怪を見ながら、高星に声をかけた。
「……僕は神力が使えませんから。このぐらいできないと命を落とします」
高星が真顔で答えた。
「……なるほど。常に神経を研ぎ澄ませてるのか」
「まぁ、そんなところです。で、この妖怪、どうやって倒します?」
高星がドロドロの緑の妖怪の背中を見ながら訊ねた。
「そうだな。こいつは厄介だな……」
腕を組んで考え込む一生の後ろで、桜琴は大きく息を呑んだ。
なぜなら、この大きな泥の妖怪はカタツムリのように月縁堂の店を、この建物を半分背負っていたのだ。
すでに店が浮いた状態になっている。先ほどからの揺れはそのためだった。
そしてこの建物の下にもまだ、この妖怪の体が続いているということを示している。
巨躯の妖怪だ。
妖怪本体の動きは遅いが、動くたびにメキメキと木が折れるような嫌な音を立てている。
家が、店が確実に壊れ始めている。
一生は蒼白の面持ちの桜琴の方を振り返り、急ぎ声をかけた。
「桜琴さん、大丈夫か? 店内も危険だ。すまないが、中の人たちに避難するように伝えてくれないか?」
「な、なんとか大丈夫です。はい、伝えてきます」
桜琴はよろけながら駆け出した。
その桜琴を追うように、妖怪の黒緑の泥手がとろけたチーズのように一斉に伸びていく。
本体とは違い、追いかける泥手の動きは速かった。
高星が霊力を集中させ、手刀と足蹴りで、それらを倒していく。
一生は神通力で氷の剣を作り出して、それらをバサバサ切っていく。
人の姿の時は神通力しか使えない。
神通力とは術で結界を張ったり、このように剣や式神などを作り出したりする力のことで、この力の器が大きければ、大きいほど持続力、威力などが増す。
結界師は身を守るオーラを無意識に常に出しているので、霊力が強い人間が見れば、その人の強さが一目瞭然でわかるのである。
神通力=
また神通力でしか使えない術もあるので、神獣の時に使える神力とうまく使い分けをしながら、それぞれの利点を活かして戦わなければならない。
桜琴が無事に店内に入った。
その時、一生と高星の背中に悪寒が走った。この泥の妖怪のものではない何かだ。
明らかに次元が違う。
「……鬼か?」
一生が慎重にゆっくりとあたりを見渡す。姿は見えない。
ただ鳥肌が立つような気配と、独特の鬼の匂いがした。
それは鉄の匂い、すなわち血の匂いである。
鬼の気配が途切れ、途切れになる。空気が揺れる。
そいつはわざと気配を出したり、消したりして遊んでいるようにも感じた。
これだけ気配をうまく操れるのは、間違いなく上位クラスの鬼だ。
「どこだ! 出て来い!」
一生も神経を研ぎ澄ます。鬼が移動しているのだけがわかる。
「あちこち移動して舐めた真似を!」
もどかしい!
深雪の彼が苛立ちを隠せなくなってきている。
高星が足元の石を拾って「えい」と鬼めがけて投げる。石は裏庭の木に当たっただけだった。
「くそっ! これはかなりの神通力を使うので、最終手段だったのだがな」
一生が『神眼』という神の目になれる神術を使う準備を始めようと、
神の目なら見えないものはない。
その時、高星が先ほど投げた石が木に当たった反動で空中で半円を大きく描き、飛んでいき、何かに当たった音がした。
「い、痛っ!」
よく通る高い声が聞こえた。
「アホか! 石なんて投げつけるんは誰や、痛いやないか。死んだらどないするんや?」
透明だった鬼の体が徐々に見えてきた。
高星は普通に投げたら避けられると思って、わざと木に当てるフリをしたのだ。その跳ね返りの角度の計算までしていた。
目に見えなかった鬼の姿が現れた。
全身が青く、頭には銀色の角が二本生えていた。
身長はあまり高くなく、小柄だった。真っ黒の甚平を身に纏い、真っ赤な目が高星を捕らえた。
その青い鬼は後頭部を撫でながら、高星に言葉を投げつけた。
「お前やな。石当てたんは。わしはな、まだかくれんぼ楽しんでたかったんやで?」