高星の真下にいる、物怪は鋭い爪で高星の足首を掴もうとしていた。
おのおのが色々な感性に浸る中、そいつらは突然現れ、牙を剥いている。
その手からは殺意の匂いがした。
緩んでいた空気が一変し、皆がその気配に気づき、視線を落とした。
そのドブのようなドス黒い、緑の手が素早く高星の足を掴んだ!
その場にいる誰もがしまった! そう思った瞬間、高星はその手をさらりと
華麗な技だった。物怪たちはプスプスと黒い塵になっていく。
源次と山名の席からは何が起こったのかよくわからなかった。
だが一生は一部始終を見ており、
そして高星の隣にいた桜琴も、唖然とその様子を見ていた。
「いやぁ、お見事!」
一生が拍手しながら、物怪がいた床から視線を高星に移した。
「……あなたには今のが見えたんですか?」
高星は弾かれたように顔を上げ、一生を見つめた。
「もちろん。見えましたよ。私は結界師だから」
そう口にした一生と視線がぶつかった。高星は何かに気づいたように、ぽつりと言葉を漏らした。
「白銀の長髪……。誰もが目を奪われる美貌……」
高星は瞬きも忘れ、なおも一生に視線を飛ばす。
「まさかあなた様は……、結界師の神谷田さんですか?」
一生は黙って高星を見つめた。絹糸のような白銀髪の隙間から見えるその目には、綺羅星が浮かんでいる。
肯定で間違いないと高星は確信した。
「君、名前は?」
一生が高星に訊ねる。その声はかすれたハスキーボイスだった。
「あ、あの僕は
高星が頭を深く下げ、急に
「いや、そんなかしこまらなくても大丈夫だから」
一生が穏やかな口調で、右手を軽くあげて左右に振りながら、言葉を続けた。
「自己紹介ありがとう。私は
一生が右手を高星に差し出した。
高星はすごい早さで、一生の手を握り返し、力強く握手した。
「神谷田さん、お会いできて光栄です! お噂はかねがね伺っております。この間は素手で厄災を倒されたとか……」
厄災とは物怪の集まりである。
妖魔や妖怪らが禍々しい怨念を持って集まり、黒いスライムのような一つの集合体になり、凶暴で
「あはははは。厄災を素手で? どこからそんな噂が……。結界師協会の事務員のデマにも困ったもんだ」
一生は呆れ顔で笑っている。そして告げた。
「私は君のような神体術は使えない」
「……そうなんですね」
「まぁ、ここで会ったのも何かの縁だ」
一生は高星に隣に座るように勧めた。
高星が挙動不審になりながらも、ゆっくりと座る。
「あ、桜琴さん、すいませんが、どら焼きを四つください。今食べます」
一生は突っ立ったまんまの桜琴に声をかけた。
桜琴はまだ不満顔だったが「かしこまりました」と頭を下げ、足早に去っていった。
「おい、俺、もうお腹いっぱいだぞ」
源次が勝手にオーダーした一生に文句を垂れた。
「食べられない人の分は私が食べるからいい」
一生は間髪入れず、返答した。
「若様、夕飯はきちんとしたものを食べてくださいよ」
山名が険しい表情で口を挟んだ。
「それより、君、
一生が桜琴が置いていったお茶を一口飲んで、喉を潤してから高星に問いかけた。
「……蝶子は姉です」
「やはりそうか……」
「姉はいまだに見つかっていません。もう一年経ちます。最近は僕が代わって物怪退治をしています」
「そうか……。どこにいるんだろうな」
一生がため息をつくと、高星は視線を落とした。
「皆目見当もつかないのですが、姉が生きていることは確かです」
「……ということは」
「はい。神力の力は親族の誰にも継承されていません」
神力というのは、神獣になる力のことで、神獣とは
姿は大狼で、お犬様と呼ばれることもある。
この神獣は火、水、風、雷、土の神獣で、それぞれの力を五家が引き継いでいる。
その力を継承できた結界師はその力が自由に使えるようになり、神獣にもなれるようになる。
結界師の神通力と、神獣の姿の時にのみ使える神力では威力が桁違いだ。
乗り物に例えるならば、車と新幹線ぐらいの差がある。もちろん後者が神力である。
その時、桜琴がどら焼きを四つと、高星の分のお茶を淹れてきた。
「こちらは創業以来続く、当店イチオシのどら焼きでございます」
そう桜琴は話し、皆の前にどら焼きが乗ったお皿を並べていく。
ふんわりとした甘い香りが漂う。
「これはなんとも言えない良い匂いだな」
源次が犬のようにクンクンと空気を嗅いでいる。
「若様ちゃっかり、これにも目をつけてたんですね」
山名が口角を上げる。
「まぁな」
短く返事をして、一生は桜琴に「ありがとう」と伝えた。
桜琴は何か言いたげだったが頭を下げ、すんなりカウンターの方に戻っていった。
皆でどら焼きを頬張りながら、話をする。
「これはまた……、皮がしっとりとしていて、格別だな」
一生が舌鼓を打つ。
「どら焼きは
山名が知識の引き出しを開けて語る。
「さすが『若年寄り』だな」
源次がもぐもぐと口を動かしながら感心する。
「……」
高星は黙々と食べていた。
まるでリスが食べるかのようにちびちびと、
「そういえば、高星は何故、ここにきたんだ。あのピアスを届けるためだけか?」
一生がおしぼりで手を拭きながら、高星の方を向いた。
いきなり高星と呼び捨てにされ、顔を赤くする高星。
「そ、それは彼女のことが気になっていたから。そ、そのきちんと帰れたのかな、とか……」
高星は一生から顔を逸らし、答えた。
「ふぅん。そうか、お前優しいな。普通そこまでしないからな」
一生が褒めた。
「そ、そうですかね。僕は別に優しくなんかないですよ」
高星が否定するが、緊張の色が瞳に宿っている。
「緊張することはないぜ。一ノ瀬次男」
源次が白い歯を輝かせて笑った。
「長男です!」
高星が即座に否定する。
「緊張せずに、まぁみんな同じ結界師ですから。あ、わたくしは違いますよ。わたくしは若様に仕える忍びです」
山名の声は聞いていると落ち着く、大人の余裕を感じられる話し方だった。
「忍び?」
高星は山名の顔を見た。
「まぁ言うなれば、忍びは結界師のサポーターですかね。物怪との戦において、情報集め、怪我人、事故の対応、伝達、そして微力ながら戦いにも、時には参戦いたします」
「山名は『波』という忍びの長なんだ」
一生がにこりと微笑む。高星は露骨に顔を逸らした。
「おいおい、なんだ、それは。私は嫌われているのか?」
一生の顔から笑みが抜け落ちた。
「と、とんでもないです! 誤解です! ぼ、僕は、僕はあなたに憧れてこの世界に入ったんです! 神谷田さんは十六歳で結界師になり、二十歳で歴代最強の霊能力を持つ結界師として伝説になり、その美しさから『
高星はまくし立てるように興奮して話す。憧れの男性に出会い恥ずかしいようだった。
「ちょ。ちょっと待て。聞いているこっちが恥ずかしい。それにさすがに千は盛りすぎだ。結界師になって七年ではそんなに倒せないぞ」
一生がどこで尾ひれがついたのやら、と困惑顔になった時に店が激しく揺れ出した。
地震のような横揺れだ。
「お、やっとお出ましか。ちょいと待ちくたびれたぜ」
源次が湯呑みをテーブルに置いた。
店内のあちこちから悲鳴が上がる。
「敵は……。やはり床下か?」
一生が耳に手を当てながら、音を集めている。これも霊力を使った特殊能力だった。
「敵はそこではありません。裏口です」
静かな声で高星が裏口を指さし、そして会話を続けた。
「そして、そこに鬼もいます」