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第8話 深雪の貴公子

 高星の真下にいる、物怪は鋭い爪で高星の足首を掴もうとしていた。

 おのおのが色々な感性に浸る中、そいつらは突然現れ、牙を剥いている。

 その手からは殺意の匂いがした。

 緩んでいた空気が一変し、皆がその気配に気づき、視線を落とした。

 そのドブのようなドス黒い、緑の手が素早く高星の足を掴んだ!

 その場にいる誰もがしまった! そう思った瞬間、高星はその手をさらりとかわし、左手を床につき、しゃがんで、右足で水面を撫でるかのように半円を描き、その緑の手と無数の目に回し蹴りをかました。

 華麗な技だった。物怪たちはプスプスと黒い塵になっていく。

 源次と山名の席からは何が起こったのかよくわからなかった。

 だが一生は一部始終を見ており、瞠目どうもくしていた。

 そして高星の隣にいた桜琴も、唖然とその様子を見ていた。

「いやぁ、お見事!」

 一生が拍手しながら、物怪がいた床から視線を高星に移した。

「……あなたには今のが見えたんですか?」

 高星は弾かれたように顔を上げ、一生を見つめた。

「もちろん。見えましたよ。私は結界師だから」

 そう口にした一生と視線がぶつかった。高星は何かに気づいたように、ぽつりと言葉を漏らした。

「白銀の長髪……。誰もが目を奪われる美貌……」

 高星は瞬きも忘れ、なおも一生に視線を飛ばす。

「まさかあなた様は……、結界師の神谷田さんですか?」

 一生は黙って高星を見つめた。絹糸のような白銀髪の隙間から見えるその目には、綺羅星が浮かんでいる。

 肯定で間違いないと高星は確信した。

「君、名前は?」

 一生が高星に訊ねる。その声はかすれたハスキーボイスだった。

「あ、あの僕は一ノ瀬高星いちのせたかぼしと申します。自分から名乗りもせず、すいませんでした!」

 高星が頭を深く下げ、急に慇懃いんぎんな態度になった。

「いや、そんなかしこまらなくても大丈夫だから」

 一生が穏やかな口調で、右手を軽くあげて左右に振りながら、言葉を続けた。

「自己紹介ありがとう。私は神谷田一生かみたにだいっせいだ。関東支部の結界師の長だ。どうぞよろしく」

 一生が右手を高星に差し出した。

 高星はすごい早さで、一生の手を握り返し、力強く握手した。

「神谷田さん、お会いできて光栄です! お噂はかねがね伺っております。この間は素手で厄災を倒されたとか……」

 厄災とは物怪の集まりである。

 妖魔や妖怪らが禍々しい怨念を持って集まり、黒いスライムのような一つの集合体になり、凶暴で巨躯きょくになり、被害も大きくなる上に倒すのが通常よりも困難を極める。 

「あはははは。厄災を素手で? どこからそんな噂が……。結界師協会の事務員のデマにも困ったもんだ」

 一生は呆れ顔で笑っている。そして告げた。

「私は君のような神体術は使えない」

「……そうなんですね」

「まぁ、ここで会ったのも何かの縁だ」

 一生は高星に隣に座るように勧めた。

 高星が挙動不審になりながらも、ゆっくりと座る。

「あ、桜琴さん、すいませんが、どら焼きを四つください。今食べます」

 一生は突っ立ったまんまの桜琴に声をかけた。

 桜琴はまだ不満顔だったが「かしこまりました」と頭を下げ、足早に去っていった。

「おい、俺、もうお腹いっぱいだぞ」

 源次が勝手にオーダーした一生に文句を垂れた。

「食べられない人の分は私が食べるからいい」

 一生は間髪入れず、返答した。

「若様、夕飯はきちんとしたものを食べてくださいよ」

 山名が険しい表情で口を挟んだ。

「それより、君、一ノ瀬蝶子いちのせちょうこの親戚か何かか?」

 一生が桜琴が置いていったお茶を一口飲んで、喉を潤してから高星に問いかけた。

「……蝶子は姉です」

「やはりそうか……」

「姉はいまだに見つかっていません。もう一年経ちます。最近は僕が代わって物怪退治をしています」

「そうか……。どこにいるんだろうな」

 一生がため息をつくと、高星は視線を落とした。

「皆目見当もつかないのですが、姉が生きていることは確かです」

「……ということは」

「はい。神力の力は親族の誰にも継承されていません」

 神力というのは、神獣になる力のことで、神獣とは大倶知真神おおぐちのまがみのことである。

 姿は大狼で、お犬様と呼ばれることもある。

 この神獣は火、水、風、雷、土の神獣で、それぞれの力を五家が引き継いでいる。

 その力を継承できた結界師はその力が自由に使えるようになり、神獣にもなれるようになる。

 結界師の神通力と、神獣の姿の時にのみ使える神力では威力が桁違いだ。

 乗り物に例えるならば、車と新幹線ぐらいの差がある。もちろん後者が神力である。


 その時、桜琴がどら焼きを四つと、高星の分のお茶を淹れてきた。

「こちらは創業以来続く、当店イチオシのどら焼きでございます」

 そう桜琴は話し、皆の前にどら焼きが乗ったお皿を並べていく。

 ふんわりとした甘い香りが漂う。

「これはなんとも言えない良い匂いだな」

 源次が犬のようにクンクンと空気を嗅いでいる。

「若様ちゃっかり、これにも目をつけてたんですね」

 山名が口角を上げる。

「まぁな」

 短く返事をして、一生は桜琴に「ありがとう」と伝えた。

 桜琴は何か言いたげだったが頭を下げ、すんなりカウンターの方に戻っていった。

 皆でどら焼きを頬張りながら、話をする。

「これはまた……、皮がしっとりとしていて、格別だな」

 一生が舌鼓を打つ。

「どら焼きはあんを挟む温度が大切らしいですからね。そしてできた後はすぐに包む」

 山名が知識の引き出しを開けて語る。

「さすが『若年寄り』だな」

 源次がもぐもぐと口を動かしながら感心する。

「……」

 高星は黙々と食べていた。

 まるでリスが食べるかのようにちびちびと、かじるように食べている。

「そういえば、高星は何故、ここにきたんだ。あのピアスを届けるためだけか?」

 一生がおしぼりで手を拭きながら、高星の方を向いた。

 いきなり高星と呼び捨てにされ、顔を赤くする高星。

「そ、それは彼女のことが気になっていたから。そ、そのきちんと帰れたのかな、とか……」

 高星は一生から顔を逸らし、答えた。

「ふぅん。そうか、お前優しいな。普通そこまでしないからな」

 一生が褒めた。

「そ、そうですかね。僕は別に優しくなんかないですよ」

 高星が否定するが、緊張の色が瞳に宿っている。

「緊張することはないぜ。一ノ瀬次男」

 源次が白い歯を輝かせて笑った。

「長男です!」

 高星が即座に否定する。

「緊張せずに、まぁみんな同じ結界師ですから。あ、わたくしは違いますよ。わたくしは若様に仕える忍びです」

 山名の声は聞いていると落ち着く、大人の余裕を感じられる話し方だった。

「忍び?」

 高星は山名の顔を見た。

「まぁ言うなれば、忍びは結界師のサポーターですかね。物怪との戦において、情報集め、怪我人、事故の対応、伝達、そして微力ながら戦いにも、時には参戦いたします」

「山名は『波』という忍びの長なんだ」

 一生がにこりと微笑む。高星は露骨に顔を逸らした。

「おいおい、なんだ、それは。私は嫌われているのか?」

 一生の顔から笑みが抜け落ちた。

「と、とんでもないです! 誤解です! ぼ、僕は、僕はあなたに憧れてこの世界に入ったんです! 神谷田さんは十六歳で結界師になり、二十歳で歴代最強の霊能力を持つ結界師として伝説になり、その美しさから『深雪しんせつの貴公子』と謳われ、あの大神龍を祀っているえにし神社の神主になり、そして実家はあの神谷田製菓。倒した物怪は千を越えるとまで言われ……」

 高星はまくし立てるように興奮して話す。憧れの男性に出会い恥ずかしいようだった。

「ちょ。ちょっと待て。聞いているこっちが恥ずかしい。それにさすがに千は盛りすぎだ。結界師になって七年ではそんなに倒せないぞ」

 一生がどこで尾ひれがついたのやら、と困惑顔になった時に店が激しく揺れ出した。

 地震のような横揺れだ。

「お、やっとお出ましか。ちょいと待ちくたびれたぜ」

 源次が湯呑みをテーブルに置いた。

 店内のあちこちから悲鳴が上がる。

「敵は……。やはり床下か?」

 一生が耳に手を当てながら、音を集めている。これも霊力を使った特殊能力だった。

「敵はそこではありません。裏口です」

 静かな声で高星が裏口を指さし、そして会話を続けた。

「そして、そこに鬼もいます」



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