一生は桜琴の困った顔があまりにも可愛くて、ずっと見ていたくなった。
桜琴は何を言われたのか理解できておらず、首を傾げている。
「あ、あの、デートって……」
ようやく口を開いた時には桜琴は
(先ほど笑っていたのはそれか)
とさらに唇を噛んだ。
「甘山さん、私は冗談では言ってませんよ。本気です」
桜琴の顔を見て一生は微笑しながら言葉にした。
「い、いや、デートをする理由がないですよね?」
「いえ、あります」
「は?」
「私があなたに興味が湧いたのです。それではダメですか?」
一方、高星は朝起きて、美桜がいないことに驚いた。下には家政婦が何人かいたはずだ。嫌でも美桜が出ていけば、気づくのである。
(窓から出て行ったのか……)
高星の手の枕元には美桜がくれた蓬饅頭の包装紙が置いたままになっていて、その包装紙には店の名前と住所が印刷されていた。
「
とりあえず、高星は今日の授業を確認した。大学は今日は出なくても大丈夫だろう。
彼は観光経営ホテル学科でホテル経営を学んでいる。実家は会員制リゾートホテルの最大手だ。ゆくゆくは高星が後を継ぐことになるだろう。
現在、国内に四十五施設、ハワイに二施設運営をしている。
結界師一族は代々続く、大企業の家柄の家庭が引き継いで
物怪と戦うにはまずは資金、人手、捜査、訓練所などやはり元手がかかるのだ。奇麗事だけでは解決できない。
今は国から支援金(給料)が出ているが、結界師が生まれた時には潤沢している会社、人気が高い神社、もしくは力のある政治家が結界師業務を引き受けていたのだ。
そこから彼らは結託して結界師協会を設立した。効率よく物怪を退治するために協会というものは必要だった。
ただし協会ができたのは、今から三百年前だ。
とにかく結界師の存在、物怪の存在が国民に知られてはいけない。
公になることだけは避けなければいけなかった。
そうでなければ国民はパニックを起こし、言わずもがな世の中がぐちゃぐちゃになる。
高星が起きようと布団をめくった時に、何かが宙を舞った後に落ちた音がした。
それは見覚えのない、きらりと光るパールと金の星のピアスだった。
高星は自分のポルシェで月縁堂に向かった。今日は白シャツに黒のストレートパンツという、いつもの高星らしいファッションだ。
(……老舗だな)
高星は店に着くと、入り口の暖簾をくぐった。
カウンターの女性が「いらっしゃいませ」と声をかけてきた。
美桜はいないか。高星は和菓子を見るふりをしながら美桜を探していた。
店には女性店員が二人カウンターに立っている。四十代後半とおぼしき女性と二十代半ばと思われる女性だ。
高星は店内を見渡した。
テーブル席が目に入った。備え付けられた、赤と紫の単色ではない和風のガーデンパラソルが華やかだった。
そこに座っている店員と客の姿が視界に映り込んだ。
(美桜だ!)
テーブル席で何やら接客している女性は、高星の家に泊まった美桜に間違いなかった。
少なくとも高星には美桜にしか見えない。今日はポニーテールではなく、おさげだった。
高星は真っ直ぐに美桜に向かって歩いていく。
「デートなんて……、で、できません」
なんと美桜が口説かれている場面に、高星は遭遇してしまった。
「そんなに深く考えなくてもただ、ご飯食べてゆっくり話をしたいだけですよ、
美桜に話かけているのは、白銀髪の美しい男性だった。
その男性も高星と年齢はそう変わらなそうだった。
「でも夜に会うんですよね……?」
美桜が確認している。
高星は店の観葉植物の近くに隠れ、様子を伺っていた。
「そうですね。私の仕事が終わってからですから、夜ということになりますが……。美味しい焼き物のお店があるんですが、一緒に行きませんか?」
白銀髪の男性が心地の良いハスキーボイスで美桜を誘っている。
「夜は無理なんです! ごめんなさい」
美桜が頭を下げている。
「……そうですか。では昼は?」
白銀髪の男性もなかなかにしつこい。
高星は白銀髪の男性に、軽蔑に近い眼差しを向けた。
「昼ですか……。いや、でも……」
美桜は返答に困っている。美桜はああ見えて奥手だったのか、と高星は思った。
見かねた高星はその席に近づいていき、「失礼」とテーブル席の男性客に声をかけ、美桜の前に立った。
突然何事か? という驚いた顔で美桜も高星を見てきた。
「美桜さん、昨日あなたが
高星は他の男性陣に見せびらかすように、指でつまんで美桜にパールのピアスをみせた。
二つのパールにゴールドの星が鈴なりについた、おしゃれなデザインのものだった。
「あ、それは……」
美桜の目がピアスに釘付けになった。知っているものを見た時の反応だ。
白銀髪の男性こと、一生は二人のやりとりをただ眺めていた。
その瞳には光のない暗い銀河が浮かび上がっている。
高星はそんな一生を見て勝った、と言わんばかりのしたり顔をして、テーブル席の男性陣を見渡す。
何故だか、どいつも見目が良かった。
特に白銀髪の男性はこんな奇抜な髪色で長髪なのに、妙に色気があり、人間離れした美形だった。
「失礼ですが、あなたはこの女性の恋人ですか?」
淀んだ空気の中、山名が高星に訊ねた。
「恋人ではありません。まだ」
高星は即座に否定する。
「まだ? そうですか。しかし、人違いではないですか? この方は確か『桜琴』さんでは?」
山名が桜琴の顔を見て『ねぇ?』と同意を求めた。彼女はただうつむいていた。
「……は? 桜琴さん? いやどう見ても美桜さんですよ……」
高星は確認するように桜琴を眺めた。どう見ても美桜である。
しかし夜に会った時と雰囲気が違う。
(しかし、今日の美桜さんは地味というか控えめだな……?)
その時、ずっと黙っていた桜琴が口を開いた。
「あ、あの、美桜はあたしの双子の妹です」
『双子』と聞いて皆、目を丸くしている。
桜琴の声は少し震えていた。そのまま桜琴は会話を続けた。
「ゆ、昨夜、そ、そちらに泊まったというのはその、つ、つまり……。美桜とあなたはそういう関係なのですか?」
桜琴の顔は色を失っていた。
「いえ。美桜さんが疲れたらしく、急に眠ってしまったので、うちに泊めただけです」
高星は淡々と話す。嘘をついているようには見えなかった。
「そうですか」
桜琴が大きく息を吐き出し、安堵した様子がみんなに伝わった。
「それで美桜さんは今、どこに?」
高星が桜琴に訊ねた。
「美桜は今、ここにはいません」
「ではどこに?」
桜琴が目を逸らし、返答した。
「美桜は外出しております。美桜が大変ご迷惑をおかけしました」
桜琴はそれだけいうのが精一杯だった。苛立ちを感じている。
美桜は異性の家に昨夜泊まった。この身体の持ち主は桜琴である。
この黒髪の爽やかな青年と何もなかったから良かったものの、桜琴は美桜にまたキツく説教をしなければならない。
(今度という今度は許さないんだから!)
「では桜琴さん、今度の日曜にでも二人でどこかに行きませんか?」
一生が桜琴を誘う。
「はい。かしこまりました」
腹が立っていた桜琴は一生の声だけを聞いて働かない頭のまま、返事をしてしまった。
一生がにっこりと桜琴の顔を見て微笑んだ。彼の瞳にゆらめく光が宿る。
背景に白い薔薇が咲き乱れていた。
「あ、あの……、今のは」
桜琴が慌てて否定しようとしたが、すぐさま一生の声にかき消された。
「では日曜日、こちらに迎えにきますね。時間は十時で構いませんか?」
すこぶるご機嫌な一生と、何か言いたげな山名と源次、しどろもどろの桜琴と、美桜が双子で呆然とする高星。
その高星の足元に、泥にまみれた黒緑の無数の目と手が床から、遺恨を抱きながら這い出てきていた。