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第6話 お詫びにデートをしてしてくれませんか?

 桜琴は一生に温かいお茶を淹れていた。

 いくら四月半ばだとはいえ、あんな裸のような格好で彼はウロウロしていたのだ。寒いに決まっている。

 注文の抹茶パフェをもう一度持っていくべきか。彼に訊いてみるしかなかった。

 今、彼はドライヤーで髪を乾かしている。

(あんなに髪を伸ばして、モデルさんか、芸能関係の方なのかしら?)

 そんなことを想像してるうちに、美桜の声が脳内に聞こえてきた。

 ——ねぇ、さくちゃん、さっきの裸の彼、素敵じゃない? すごいイケメン。

(ええ? 起きて見てたの? 裸って……。み~ちゃん、ねぇ、この『あやとりことば』の術、お父さんからも使うなって注意されたじゃん。霊力がオーバーするからダメって)

 桜琴が心の中で話をする。この伝達術あやとりことばは使いすぎると桜琴の頭が痛くなる。

 それもそのはずだ。この術は実際に存在している相手に使うものであって、自分の脳内にいる相手に使うものではないのだ。

 ——いいじゃん。少しだけ、ね? ねぇ、わたしも彼と話をしたいんだけど。彼に夜になんとか会えない? 誘ってみてよ。パフェぶっかけたお詫びに。お願い、さくちゃん~。

(無理。それにあれは妖怪に足を握られて転んだだけだし。まぁ、結果、彼にはものすごく悪いことをしたけど……。み~ちゃん何が目的? 何かする気でしょ?)

 桜琴はお盆に湯呑みを三つ乗せた。

 ——相変わらず、二十一にもなって身持ち固いなぁ。あんな世間離れした人、なかなかいないって。神がかってるじゃない。わたしは純粋にただ話がしたいだけだよ?

(悪いけどあきらめて。それにお客様だよ? 再三言ってるけど、あたしの身体なんだから好き勝手はやめてよ。だいたい彼氏ができないのだって常に美桜が見てるからだよ)

 桜琴は今も身体に残る筋肉痛を思い出し、美桜に語気強く言った。

 それに昨日、朝帰りだったのは母から聞いている。朝、桜琴は自分の身体に異常がないか念入りに確かめたのだ。

 ——さくちゃんのイジワル。いいもん。自分の体を取り戻したら彼に会いに行くから。

 美桜のねた声が脳内に響いた。

(はいはい、そうして。まずは自分の体を取り戻して邇邇義ににぎ様を説得しないと。言っとくけど、み~ちゃん、まだ婚約中だからね? じゃあ仕事中だからもう切るからね)

 電話を切るようにプツンと、桜琴は美桜との会話を終了させた。脳内に静けさが戻った。

 美桜とは桜琴の双子の妹である。神亜多都姫尊かむあたつひめのみことという山の神のことだ。

 農業、漁業、安産、織物業の守護神でもあるが、山の力を使い戦うことで、この世界に留まっていられる。

 美桜は三年前の十八歳の時に、邇邇義尊ににぎのみことという大層な神に見初められて、婚約し、天界の高天原たかまがはらで暮らすことが決まったのだが、美桜は花嫁修行のため高天原での生活が始まると、すぐに高天原を逃げ出して、人間と神が暮らす、ここを、葦原中国あしはらのなかつくにを離れたくないと、恋しいとおいおい泣いたのだ。美桜はまだ幼かったのかもしれないが、それだけの理由ですぐに高天原から帰りたいというだろうか?

 しかも美桜は邇邇義尊のような偉丈夫がタイプだと惚れ込んで、結婚を了承したのにも関わらずだ。

 邇邇義尊はまだ高天原での仕事が残っており、地上には降りれず、美桜が葦原中国に戻ることは許さなかった。

 美桜は耐えきれなくなって、なんとか魂だけ抜け出し、ここに戻ってきた。

 高天原とでの生活と、邇邇義尊と美桜の間に何があったのかは二人しか知らない。

 ただ美桜の体は高天原にあって、邇邇義尊のもとにある。

 ずっと眠っている状態になっているはずだ。

 体なくして、魂だけでは消えてしまい、三日も持たないと、桜琴の父が秘術を行い、美桜の魂を桜琴の体内に無理やり入れ込んだのだ。

 しかし結婚相手の邇邇義尊の祖母の天照あまてらすが、そんな身勝手なことを許すわけがなく、地上にいる美桜に命じたのが物怪退治をすること、そして気持ちが落ち着いたら必ず、高天原に、邇邇義尊のもとに戻ってくること、と。そうでなければ天罰を下すとまで言われている。

 美桜が天照との制約を守り、物怪退治をすること。そのために桜琴と美桜は入れ替わりをしている。

 朝の七時から夜九時までが桜琴で、夜九時から朝の七時までが美桜だ。今のところ、二人は規則正しく入れ替わりをしている。

 寝る時間も必要なので、だいたい夜の二時間から三時間、美桜は物怪退治をしている。

 一人が出ている時はもう一人は出れない。だから二人の会話や連絡は主に交換ノートだった。

 起きている時は、脳内から相手の行動を見ることもできるのだが、そんなことは桜琴はあまりしない。疲れて寝ていることがほとんどだ。

 だが好奇心旺盛なのか、下世話なのか美桜はしゅっちゅう、桜琴の行動を観察している。


 基本的に神は人間と結婚しようが、高天原、葦原中国で暮らそうが自由だが、高位の神はそうもいかない。

 邇邇義尊はあの天照の孫にあたる。そんな簡単に自由にはなれない。

 そんな邇邇義尊がなぜ美桜と結婚しようと思ったのか、理由は一目惚れらしい。

 美桜と桜琴は双子だが似ているようで似ていない。美桜はとても華やかなのだ。

 花に例えるなら美桜は牡丹ぼたんで、桜琴は山紫陽花やまあじさいだ。

 美桜はモデルのように華やかで、桜琴はどちらかというと和服が似合いそうな、控えめな美人だ。


 桜琴は一生がテーブル席に戻ったのを見計らって、お茶を運ぶ。

 最近、店には妖怪や妖魔の類がよく出る。

 普段は父や母が退治しているが、数が多くなってきて夜間だけでなく、日中までもたくさんの妖怪が出没するようになってきて、実のところ困っている。

 そこで『物怪撃退団子』なるものを桜琴は作って、店のあちこちに置いている。

 もちろん客の目に見えないところに仕掛けているが、一見すると美味しそうな白い艶のあるお団子だが、その正体は猛毒団子だ。

 桜琴も神なので、このぐらいのものは作れる。というより桜琴の専門は作ることなのだ。

 その団子は悪が食べれば、その毒で黄泉の国に送られる。大抵、イタズラを繰り返す物怪は行動がどんどんエスカレートして、妖魔と呼ばれる悪霊になるか、妖怪、ひどい時は鬼になる。


 一生ら三人の姿が近くに見えた時に、またしても桜琴の足元に、先ほど彼女の足を握った緑の泥の手が現れた。

 この妖怪の気配を、一生ら結界師はすぐさま気づいた。今度は彼女の左足を狙っているようだ。

(彼女ばかりを狙っているのか?)

 さすがに一生も悪意がある妖怪を無視するわけにはいかない。人間に害をなす行為をした以上は消すことも考えなければならない。

 つまり『黄泉送り』だ。

 ただ手だけを地面から出しているので、実際の妖怪の姿はわからない。

 もしかしたらとてつもなく大きいかもしれないし、手だけという可能性もある。

 問題は桜琴がいる前で、どんなやり方で妖怪を仕留めるか、だった。

 一生は桜琴が湯呑みを盆に乗せているのが目に入った。

(また転ぶかもな。今度は熱いお茶か……。これは洒落にならんな)

 彼がそう考えていると、桜琴はふと立ち止まり、膝が九十度の高さになるところまで左足を持ち上げた。

(え……)

 一生ら三人が見守る中、桜琴はそのままシューズを履いた左足を、地面に何回か軽く叩きつけた。

 タンタンと音がした。軽やかな音色だった。

 その音調とは裏腹に、ぐしゃっ、と緑の泥の手が潰れた。そしてそのまま黒い塵になって消えていく。

 一生は目を見張った。源次も山名も唖然としていた。これは『攻撃』だ。霊力がなければできないことだ。

 彼女はおとなしい澄ました顔をしながら、平気で妖怪を踏み潰したのだ。

「失礼します。こちら知覧茶でございます。よかったらどうぞ」

 桜琴は何事もなかったように、一生らに声をかけ、お茶を配っていく。

 源次も山名も、先ほど一生が放った言葉は嘘ではなかったと、いま確かにその事実を見せつけられたのだ。

 一生はさっきから「あはは」とお腹を抱えて笑っている。妖怪を踏み潰す女に出会ったのは初めてだ。

 そんな一生に桜琴は再度、話かける。 

「あ、あのお身体、冷えたんじゃないですか?」

 あの後、トイレから出てきた一生にもう一度、今度は湯を張るのできちんと温まってほしいと伝えたのだが断られた。

「あはは。あ、甘山さん、私は大丈夫ですよ。今のですっかり温まりました」

「え?」

 怪訝な顔をする桜琴を一生は見つめた。やっと笑うのをやめた。

 何がおかしかったんだろうと、桜琴は少し居心地の悪さを感じていた。

 そんな桜琴を無視して一生は、ずっと彼女を見ている。遠慮なしだ。

 一生の瞳はまるで広大な宇宙のようで、例えるなら銀河だった。桜琴の心臓が早鐘を打ち始めた。

 その瞳に、彼の世界に、桜琴は引き込まれそうになり慌てて言葉を発した。

「あ、あのスーツをクリーニングに出させていただきたいのですが!」

「……ああ。あれね。こちらで洗いますから、お気になさらずに」

 一生は今思い出したかのような返事を返してきた。

 あんな高そうなスーツだったのに忘れていたんだろうか、と桜琴は眉を寄せ、一生のいま現在着ている服に視線を移した。

 今着ているものも、多分何かの高級ブランドだと、桜琴の素人目にも明らかだった。生地がまるで違う。

「あ、あのそれでは私が母に叱られてしまいますので……。ではこちらでクリーニング代を支払わせてくださいませんか?」

「ああいいです、そういうのは。お金は結構です」

 一生が右手を左右に振って断る。

「……あ、あのそれと抹茶パフェはどうされますか?」

「ああ、それももう大丈夫です」

 桜琴は完全に困った。先ほどから完全にフラれている。これでは母に叱られる。桜琴は眉間に皺を寄せて、唇を噛んだ。

 その顔を見て、一生が楽しそうに微笑みながら桜琴に話かけた。

「じゃあ、お詫びにデートしてくれませんか? 甘山桜琴さん」

 一生がその瞳に煌めく光を宿して、桜琴の瞳をとらえた。


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