「甘山さん、ですか……。私は
頭から派手にパフェをかぶった男性が名乗った。アイスが溶け出し、スーツの上に滴り落ち、水たまりのような染みになっていく。
「タ、タオル、タオルをお持ちします」
桜琴は立ち上がって走り出した。
源次と山名が一生に視線を投げつけた。
「若様、こう言っちゃあなんですが、自分から上手く当たりにいったようにも見えたのですが?」
山名が一生の悪戯顔を見て問いかける。一生の目が微かに笑っていた。
「……これで調査できるな」
一生は口角を上げて、そうつぶやいた。
「しかし、今のは妖怪の仕業だったぞ? 彼女、可哀想に」
源次が口を尖らせた。
山名もうんうんとうなずいている。
「若様、どうか寛大なお心で許してあげてくださいね」
「……許すも何も感謝してるさ。それに妖怪の仕業だって彼女も気づいてる」
一生が顔についた餡子を手で拭った。源次と山名が怪訝な顔をしてお互いを見合わせた。
「はは、まさか。妖怪が見える? それは俺たちと同等か、それ以上の霊力の持ち主だぞ」
源次が渇いた笑顔で笑う。その様子を見て山名が賛同した。
「確かに。我々以外にそんな方には会ったことはありませんね」
その時、桜琴と四十代後半の女性店員が慌てて走って来るのが見えた。
「お客様、大変申し訳ありません! うちの娘が大層なことをしでかしまして、本当に申し訳ありません。なんて謝ったらいいのか……。お、お怪我などはありませんか?」
その女性は桜琴の母親らしく、一生に近づくと「失礼します」とタオルで素早く丁寧にスーツの白玉やらゼリーを拭き取っていく。
「……それよりお風呂場を貸していただけませんか?」
一生はオロオロしながら床を拭いている桜琴と、自分のスーツや髪を拭いている桜琴の母親に目的を切り出した。
一瞬戸惑った桜琴の母親の顔が、一生の視界の隅に映った。
家にあげることへの抵抗だろう。
「……ええ、もちろん、構いませんが」
「ありがとうございます」
一生は即答した。
「若様はよほど潜入がお嫌いなのですね……」
山名がしみじみと語った。
今しがた一生は、甘山家のお風呂場を借りるという名目で、住宅部分に上がり込んだ。
しばらく黙っていた源次だったが、椅子から立ち上がった。
「よし、今のあいだに我々もできることをしようか」
桜琴は接客中で、もう一人の女性店員も宅配便の受け取りをしている。
遠くまで急遽物怪退治に行くこともあるので、着替えはもちろんのこと、寝泊まりできる道具もひと通りすべて車に準備してある。
山名が車に置いてあった一生の着替えを取りに行き、源次に手渡した。
源次が山名に目配せをして、桜琴の母親に声をかけた。
「着替えを持ってきたので彼に届けてもいいですか? お邪魔します」
「え? ああ。お着替え。お持ちだったのですね。良かったです。それならば私が持って行きますよ……」
桜琴の母親が着替えを取ろうと手を伸ばした瞬間に、山名のよく通る声がした。
「すみませ~ん。待っている間にお土産を買いたいのですが」
「ああ、少し待ってくださ……」
「失礼します」
桜琴の母親の話を遮って、源次は住宅に繋がる扉を開けた。階段を駆け足で上がっていく。
身長百九十二センチもある彼は、見た目とは裏腹に身軽だった。
源次は耳を澄ます。しんと静かだった。源次は神通力で気配を消した。
神通力とは結界師が人の姿の時に使う力のことだ。
山名が時間を稼いでいる間に、物怪がいないか見れるところはすべて、視なければならない。
家の中は割と奇麗に片付いており、所々に古風な花瓶や、誰が描いたのかわからない海辺の絵などが廊下に飾られていた。
部屋数はそう多くないと、源次は踏んだ。その上で慎重に歩みを進めた。
脱衣所らしき扉を見つけ、ノックして中をのぞく。返事はない。
お風呂場からシャワーの音がしたが、お風呂場の半透明な扉の向こうには人影もなく、一生はやはりもうここにはいない。
シャワーを浴びているふりをして調査をしている。
「一生どこだ?」
源次は
「源次か。ここだ、ここ」
声が聞こえた。右側の襖の向こうからだ。
源次はそっと襖を開けた。
白銀の長髪は濡れたまんま、バスタオルだけを下半身に巻きつけた一生が真剣な面持ちで、両手を伸ばし物怪の気配を探っていた。
身体中に神気を張り巡らせているのがわかった。
「……どこまで視た?」
源次が囁き声で話す。
「廊下を挟んで、右を視てる」
一生が天井を視ながら答えた。天井裏にも潜んでいないか視ているのだろう。
「なら俺は左を視てくる。着替え、ここに置いておくからな、早く着ろよ?」
源次はそう言い、着替えのスーツや下着を一生の足元に置いた。
「ありがとう」そう口にした一生だったが、視ることに懸命で人の話は聞いていなさそうだった。
一生と源次は素早く各部屋や天井を視て回る。順調だ。あとは突き当たりのトイレの確認だけだ。
「あとはここだけだな」
源次が息を呑んだ。
案外こういう狭い場所に物怪が隠れていることが多い。
「開けるぞ」
一生が源次と視線を合わせる。
トイレの扉をゆっくりと開けた。中は花柄の壁紙で至って普通の洋式トイレだった。
トイレの中に一生は足を踏み入れた。
両手をかざして視る。
その時、誰かが階段を登ってくる足音がした。山名の足音ではないことが源次にはわかった。
「おい、一生。今、出てくるなよ」
源次は一生に小声で話かけた。
「なんだって?」
一生が聞き返してきた。
階段を登る足音が近くまできた。源次の顔に緊張の色が浮かぶ。
階段を登り終えて、どんどんこちらに近づいてくる。
やってきたのは桜琴だった。トイレの前に立っている源次を見て怪訝な表情になった。
「先ほどは本当にすみませんでした。あ、あのスーツをお預かりしてクリーニングに……」
源次は不審がられていると思い、狼狽し咄嗟に口から本心が飛び出した。
「いやあれはあなたのせいではなく、むしろ一生が……」
「え?」
桜琴が不思議そうな顔をした。
源次はやばいと思い、今度は咄嗟に嘘をついた。
「いや、一生がトイレからなかなか出てこなくて、実はトイレ待ちなんです。はは、少しばかりお腹を壊しまして。はは」
「ま、まぁ、お腹を……。大丈夫ですか? 下の、お店のお手洗いをお使いください」
桜琴が提案したその時、トイレのドアが開いて一生が澄ました顔で出てきた。
「大丈夫だ。問題なしだ」
上半身裸で下半身にバスタオルを身につけただけの、一生が源次に報告する。
濡れた髪に、百七十五センチの身体をより高く見せる細く長い手足。
よく鍛え上げられた筋肉。特にその胸筋は美しかった。
一生は源次が何も言わないので訝しんで顔を上げると、目の前に桜琴が立っていた。
一生は桜琴と目が合った。
「あ、甘山さんシャワーありがとうございました」
平然と桜琴にお礼を言った一生だったが、桜琴は耐性がなく、「きゃあ」と顔を押さえてその場に座り込んでしまった。
「一生! お前に問題ありだ。服を着てこい! 早く!」
源次に言われてようやく気づいた一生だった。
「ああ。この格好か」
一生の引き締まった身体をチラ見しながら桜琴は頬を染めた。
(け、経験値ゼロのあたしには刺激が強いです)