目次
ブックマーク
応援する
いいね!
コメント
シェア
通報
第2話 生ぬるい蓬饅頭を無理やり食べさせる女

 結界の上で微笑んでいた美桜が、結界内にひらりと戻ってきた。

「飛行術が使えるって、あなたは一体……、何の神なのです?」

 隣に降り立った美桜に高星は訊ねた。

「高天原の神はだいたいみんな飛べるよ」

 なんでもないことのように美桜が高星の顔を見て、口角を上げた。

「わたしは 神阿立都比賣尊かむあたつひめのみこと。簡単にいうと山の神。農業、漁業、安産の神で、悪い霊を大地に還すのも仕事」

 美桜はあくびを噛み殺し、手を口元に当てながら答えた。

「僕のことを信用してるんですね? そんなに自分のことをベラベラ話して大丈夫なんですか?」

 高星は眠そうにしてる、美桜に警戒の声色を隠さずに問いかけた。

「えぇ? 高星くんはすごい疑り深いなぁ。君の神気オーラの色は金色こんじきだよ? 神様って自分で言ってるような色だよ。わたしは神仲間に自己紹介をしただけ。それだけのことなんだけどな」

 美桜は意味のわからないことを口にした。

 神気オーラとは結界師が纏う力のことでみんな属性や、色が違う。

 目に見える神気が大きければ大きいほど、基礎の霊力の力が強いことを表す。

「僕が神? そんな話初耳です。第一、なんの力もないんですよ?」

 高星は美桜に乾いた視線を送った。

「あはは。君、自覚がないんだね。そのネジくん、大倶地真神おおぐちのまがみだよね? どこから連れてきたのかは知らないけど、彼も神で神にしか懐かないよ?」

 美桜がネジの頭を撫でた。ネジが目を細めて嬉しそうに顔を上げた。

「あ、そうだ。これお礼の品。わたしが作ったわけじゃないけど。今の君たちには効果抜群だと思うよ? なんせ、そのお饅頭も神が作ったから」

 美桜が胸のポケットから、ゴソゴソと饅頭を二つ取り出してきた。

「はい、どうぞ」

 美桜に強引に渡され、高星はその饅頭を受け取った。美桜の温もりで饅頭が生温かくなっていた。

「これはよもぎ饅頭ですね」

 そういえば、もうそんな季節なのか、と高星はしみじみ思った。

 姉の蝶子が行方不明になってから、ちょうど一年ということだ。

 代わりに高星が結界師になって、修行に明け暮れた一年はあっという間だった。

「今、食べなよ」

 美桜が高星を見つめた。大きな眼が圧をかけてきた。なんの圧の類かわからなかった。

「い、いや、今はお腹空いてないから。明日食べます」

 高星は生温かい饅頭を食べるのに抵抗を感じた。

 しかも美桜が作ったものじゃないらしい、誰が作ったものかわからないものは食べない。

 これは結界師に限らず、今の世の中なら当たり前のことだった。

「お腹空いてなくても食べた方がいいよ。働きすぎだから」

 美桜が高星に上目遣いで、強い口調で言った。

「初めてです。そんなこと言われたの。働きすぎなのに食べるんですか? 胃腸には働けと?」

 高星は狼狽うろたえた。美桜の言動はおかしい。

(美桜はもしかして結界師の敵か? この姿は幻術か?)

「ふ~ん。食べないんだ。ま、別にいいけどね。でも今度会ったら無視するから」

 美桜が口を尖らせた。話す内容も子供みたいだ。

「あなた、人間を脅すんですか」

 高星は吐き出すように言葉にした。

 飛行術を使える時点で霊力は向こうが遥かに上だ。

 高星を殺すならとっくに殺してるはずだ。仕方なく高星は饅頭を食べることにした。

「一口だけですよ?」

 高星はらんらんとした目で見てくる美桜から視線を逸らし、手に持っている蓬饅頭の梱包を開けた。

 見たところ、本当に普通の饅頭だ。

 高星は匂いを嗅いだ。蓬の香りがした。

 美桜が隣で見守る中、高星は勇気を出して蓬饅頭を一口食べた。

「ふふ……」

 美桜がニヤリといたずらな笑みを浮かべたのを、高星が視界の隅でとらえた。

(なんだ、今の笑みは。し、しまった。やはり毒が……)

 高星はせめてネジだけでも逃がそうと、ネジに視線を移した。

 しかし、時既に遅し、ネジは美桜から饅頭をもらって食べていた。

 蓬饅頭を食べてから、高星の身体が熱い。

 しかし不快な熱さではなく、熱いお風呂に入ったかのような、心地よさだった。

「……あれ、身体が軽い……?」

 高星は疲労しか感じなかった肉体に異変を感じていた。

「ね? 疲れが取れたでしょ?」

 美桜が高星に優しく微笑みかけた。

(これ、この蓬饅頭はすごく美味しい。甘すぎず、しっとりとしていて程よく柔らかい。それに何より身体が蓬の香りに包まれて精神が落ち着く。高ぶっていた気持ちが和らいでいく……)

 高星は残りの蓬饅頭もペロリと平らげた。

 全部食べ終えた高星の身体は、誰にも邪魔されることなく、身体が欲するだけ眠ったかのように疲れが取れていた。

「ね? 効果あったでしょ? わたしのこと神だって信じてくれた?」

 美桜が高星の顔を覗き込んだ。

 美しいアキシナイトの宝石のような飴色の瞳が、高星をまっすぐに見つめてくる。

「ねぇ高星君さ、結界師になって何年目なの?」

 高星の顔の前に、美桜の顔がなぜかどんどん迫ってくる。

「う、生まれた時から姉をサポートするような修行はしてますが、きちんと独り立ちしたのは一年前ですよ」

 高星はしどろもどろになった。美桜が高星の両肩に手を置いたのだ。

 なぜだか二人は至近距離で向き合っている形になっていた。

(え? 近い。な、なんだ)

 高星の心臓が早鐘を打ち始めた。

 一年前に彼女と別れてから、女性とこんな至近距離で話をしたことがない。しかも相手は絶世の美女だ。

「あ、あの美桜さん、距離感がおかしいと思います……」

 高星は美桜に自分でも情けないと思うぐらいの声量で話しかけた。

 突然の出来事に身体が固まってしまっている。

 美桜はにっこりと微笑むと、高星の背中に腕を回し、抱きついてきた。

 美桜の身体の柔らかさがはっきりと高星に伝わった。

「あの美桜さん、俺たちさっき出会ったばっかなんですよ。お、おかしいで……」

 高星は声にならない声で、そう話すのが精一杯だった。

 その時、高星の耳元で美桜の寝息が聞こえ始めた。高星は身体の力が抜けた。

「……働きすぎは美桜さん、あなたの方じゃないですか……」

 高星は疲れて眠った美桜の背中に手を回し、吐息を吐き、つぶやいた。

 隣ではネジが自分の尻尾を追い回し、遊んでいた。あの饅頭は人間だけでなく、食べた生き物すべてに元気を与えるらしかった。




コメント(0)
この作品に、最初のコメントを書いてみませんか?