「お~い! 今日の当番、誰と誰だよ。もう時間だぜ?」
見事な艶を持った
時刻は午後十時を過ぎていた。
髪の短い黒髪の男性が、ビールを飲みながら、ピザを手に持っている。それを咀嚼しながら考えるように返事をする。
「あれ、誰だっけ? 俺じゃないことは確かだよ」
「はいはい、僕が当番です。あと一曲歌ったら行くよ。マイク貸して」
茶髪でマッシュルームヘアの男性が、マイクを黒髪の男性から受け取った。
「てか、行かへんでもバレへんて。
会話に参加した坊主頭の男性が歌い終えて、マイクをテーブルに置いた。
カラオケルームでのやりとりである。テーブルには色々な種類のお酒と、枝豆、ポテトフライなどのおつまみが
「……聖夜だけだよな。この関西できちんと結界師の仕事してんの。倒してもどうせゾンビのように湧いてきやがんだぜ、ヤツらはよ~」
金色の髪の男性がため息をついた。美しい髪がうねり、肩からこぼれ落ちた。
「でもさ~。今日の当番の人はきちんと仕事してきてよね~。また関西支部だけ討伐数が少ないって上から叱られるんだからね? 聖夜が可哀想だよ~」
黒髪の男性が口を尖らせた。金色の髪の男性がグイっとビールを飲んだ。奇麗に浮き出た喉仏が大きく上下する。
金色の髪の男性が坊主頭の男性を見た。
「なぁ誰だっけ? あの関東支部にいる結界師の長は? なんて名前だったかド忘れしちまったぜ。アイツがクソ真面目に仕事するから、こっちにまでとばっちりが来るんじゃねえか。なんで深夜に交代で物怪退治しなきゃならねぇんだよ」
「ああ、アイツや、
坊主頭の男性が顔をしかめる。金色の髪の男性が吹き出した。
「ははっ、なんだよ。それ。どっちの意味だよ? どちらにしろ、一度会ってみたいもんだぜ。結界師の歴史を塗り変えた異常な神気の持ち主様を、とくと拝んで見たいもんだぜ」
坊主頭の男性が立ち上がった。「
「ちゃうわ! しゃーないから、何頭かだけ
ここは東京。
時刻は午前零時をとっくに過ぎていた。
神主の白衣装を着た、端正な顔立ちの黒い長髪の男性が佇んでいる。艶のある漆黒の髪がこの男性によく似合っていた。
その隣にはこの世のものではない
モヤがかかった黒緑のカカシのような物怪が一体、その男性と狼の周りをぐるぐると、飛び回っている。
結界師たちが『妖魔』と呼ぶ化け物だ。人間に取り憑いて事件や事故を起こしたり、妖魔自身が様々な破壊行動を繰り返し人間の生活の邪魔をする。
妖魔は人間の負の感情から生まれたものだから、悲しいことに負の連鎖しか生まない。これらを天へと送る仕事をするものたちがいた。
この男性と、檜皮狼もその仕事をしている。結界師だ。
人間社会でまっとうな仕事をしながら、時には闇に紛れて物怪と戦う。政府公認の
男性が両手を合わせ、手から碧い
唯一の例外は相手が自分より霊力が強い時のみだ。
檜皮狼が軽やかにジャンプし、クローナイフのような鋭い爪で、まるで紙を切るように容易く、妖魔を一瞬で切り裂いた。
この妖魔の中には何もなかった。血も体液も何も出てこない。
『ぐぎゃああああああ』
断末魔の叫びと共に、妖魔はプスプスと黒い
「今夜は結構多いな、朝までコースか……」
男性がぼやく。その表情からは疲労の色が浮かんでいる。
春の夜風が前を通り過ぎた。男性の長髪が風になびいた。
するとさっきまで大人しかった檜皮狼が何かを感じたのか、毛を逆立てて威嚇し始めた。
「……お、おい、どうした?」
男性が気配を感じた時には、結界内に白い大きな蜘蛛がいた。妖怪の類だ。体は真っ白で体長は五メートルといったところだろう。
口からはネバネバの体液を出して洗濯物やらペットボトル、空き缶やらを体につけている。
なんでもかんでも持ち帰り集めているという収集癖のある妖怪だ。持ち帰って食べれるものはすべて食べるらしい。
その蜘蛛の毛の生えた大きな脚を見ると、男性は鳥肌が立った。蜘蛛は苦手だった。
お腹が空いているのだろう。先ほどの妖魔との戦いで引き寄せた可能性が高い。あの断末魔がそれだったに違いない。
妖魔は妖怪、時にはもっとも厄介な厄災まで呼ぶこともある。
「コイツはなんでも糸に引っ掛けて持って帰ってしまう『引き蜘蛛』か、妖怪だな。やれやれ、そのゴミだけじゃ飽き足らずに、俺たちまで連れていくつもりか?」
神気もだいぶ使った。この戦いで正直今夜は終わりにしようと男性が顔の前で印を組み、呪文を唱え始めた。
『神力大込滅方真撃光天……』
これは結界師の攻撃術『真光玉』だった。簡単にいうと光の爆弾だ。結界師の目には神気が宿っている。自分より弱い霊や物怪なら簡単に動きを封じられる。引き蜘蛛の目を見て動きをまず封じる。それから呪文を唱える。
隣では檜皮狼がじっとその様子を見ている。
光玉が出て引き蜘蛛に当たったら、一気に叩くつもりだろう。
その時だった。上空から何かが結界内に降ってきた。それは目にも止まらぬ速さで、引き蜘蛛にすごい勢いで激突した。ぐしゃりという嫌な音がした。
「な、なんだ!?」
長髪の男性が目を見開いて凝視した。何かが引き蜘蛛に乗っかっている。人だ。
しかもこちらに形の良いお尻を向けて、うつ伏せという体勢で倒れている。
引き蜘蛛の叫び声が結界内に響き渡った。黒い体液が地面に溢れ出ている。
「あ、ああ、ごめんなさい。何かを潰してしまいました」
引き蜘蛛から人がノソノソと起き上がった、小柄な女性だった。
なぜか和菓子屋の制服らしき、小豆色の作務衣を着ていて引き蜘蛛の上に立ち、こちらを見ていた。
大きな栗色の目に奇麗な二重、紅い口、小さな鼻、卵形の顔。そしてサラサラの長い髪をポニーテールにしていた。
それはこの世のものとは思えない美しさだった。
男性は見惚れた。女神だと思った。
しかし、この女神は自分の足元を見て、
「きゃああああああ!」
と叫び声を上げて、あたふたし出し、脚がもつれて引き蜘蛛の上から落ちて、結果地面に尻餅をついた。
「あててて……」
女神が顔を歪ませた。お尻をさすっている。
「あ、あのさっきも引き蜘蛛にぶつかっていましたし、怪我などしていませんか?」
男性が遠慮のない視線と声を送りつけた。上から落ちてきた上に、また落ちたのだ。
女神はにこっと口元に曲線を描き、
「わたしは大丈夫なんですが、ヘマをしてあなた方の獲物を倒してしまったようです。ごめんなさい。査定、いやお給料に響きますよね?」
自分のことより、お金の心配をしていた。
「い、いやそんなことは良いのですが、なぜこんな夜中に走っていたのですか? しかも屋根の上を」
男性は結界の上空を見た。明らかに三階以上の高さがある。
「あ、いけない! やばい。やばい。あいつに追われてんの、忘れてた!」
女神が結界の上に視線を移した。結界の上には黄土色の大きな目の蛙の妖怪がいた。青い舌を出していて体格がよく三メートルはありそうな巨大蛙だ。
「な、なぜ、あんなものに追われてるんですか?」
男性が動揺しながら女神に問いかけた。
「それがよくわからなくって、最近はずっとこんな感じなんです。厨房にいると襲われるんです」
女神は美声だった。
「ふ~んわからないけど、でも君からは普通に人の気配がしないな」
檜皮狼が美桜の顔を見つめて声を出した。
「ええぇ! 狼が話した! ん? いや、よく見るとお犬様、ですね? あなたたちは結界師なんですか?」
女神が首を傾げた。男性は答えに窮した。自分たちのことを知っている人間はごくわずかしかいない。
「あ、ご紹介遅れました。怪しいものではありません。わたしは
美桜が眩しい笑顔を向けてきた。
「私は
高星と名乗る男性が美桜の顔を見ながら、自己紹介をした。ネジとは檜皮狼のことである。
向こうが名前しか言わないからこちらも本名は言わない。
「ここで会ったのも何かのご縁ですが、まずあたしはあいつを倒さないといけないんで」
「は? あなたがあいつをやっつけるんですか?」
高星が眉を寄せて、黄土色の蛙を見た。ジト目で美桜を見ているのがわかった。
「あ、このお酒をぶっかければイチコロですから。大丈夫です」
美桜から変な文字が書いた
「わたし本当は妖怪大嫌いなんです。でも仕方ないから行ってきます」
「なんなら、私たちが戦いますよ」
高星はそう口にしたが、もう神気が残っていない。しかし結界の上にいる、あの黄土色の蛙もこの場を離れる気配がしない。
妖怪が嫌いな夜明けを待つか、どのみち戦うしか道はない。
美桜が上空を睨むと、その身体が眩い光を放ち、ひょいと結界の外に飛び出した。彼女は空を飛んでいる。
「な、と、飛べるのか?」
高星は美桜の華麗な動きに目を奪われた。
「あ~、びっくりしますよね? 事前に言っておきますが、わたし神なんです」
美桜はそう言い、持っていた瓢箪酒を黄土色の蛙にぶちまけた。蛙が目を抑え暴れ出し、逃げ出した。
「あいつ逃げるぞ、高星」
檜皮狼が高星に告げた。
(逃すものか)
高星は神通力で一瞬で作った光の弓矢で黄土色の蛙を射抜いた。蛙が塵になって消えていく。
「わぁ、すご~い! あなた強いんですね」
結界の上で美桜が拍手していた。
月が彼女を照らし、その姿はまさに女神だった。