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第34話 哀しみを抱いて

 実家に戻ると、リビングで父親が煙草を吸いながらスマホをいじっていた。

 俺はそんな父親に声をかける。「父さん。ただいま」

「帰ってきたか、で話ってなんだ」

 父親がこちらを窺ってくる。


「実は、恋人を妊娠させてしまったんだ」

「なんだと!」


 父親がこちらに向かってくる。そして頬を殴ってくる。やっぱりか。

 俺は誠意を見せるために、土下座する。「お願いします。認知してください」

 父親は上がった息で、


「で、相手は? どうしてここに呼ばなかった?」

「末期の大腸がんなんだ。いまも病院に入院している」

「お前、その意味ほんとうに分かっているのか?」


 俺はまっすぐ父親を見た。「分かっている」


「分かっていない。どれだけ子供を育てるのが難しいのか。手前八兆でできるんじゃないんだ」

「だから、助けてくれないか——」

「何だと?」

「助けてくれないかって言っているんだ。俺は、どうしても叶えたい夢がある。そのために……」


 父親は、嘆息を吐いて「ゲーム会社に入社したいんだろ」


「ああ。そうだ」

「お前が勝手に作った子供のために俺らが何をしろと言うんだ」

「すみません」


 俺は、その父親の言葉で自分の甘さを知った。

 父親は椅子に座ってこちらを見下ろしてきた。

「まず、自分の力でどうにかしてみろ。話はそれからだ」

「はい……」


 俺はリビングから出ていく。すると「ちょっと待って!」と母親の声が聞こえた。

 振り向くと、「まだ、夕ご飯食べてないの。一緒に食べない?」

「でも、父さんはいいの?」

「あの人は勝手にコンビニで買って食べるわよ」



 牛丼店のネギ玉牛丼を掻きこんでいると、母親が「おいしい?」と聞いてくる。

「おいしいよ。久しぶりに牛丼なんか食べたかも」

「そう、よかった」

 母親は喜んでくれる。


「バイトとかしているの?」

「ああ。コンビニでね。じゃないと家賃は払えないからね」

「そう。家計がきつくなったらいつでも言ってね」


 俺は感謝した。いつだってそうだ。母親は俺の気持ちを第一に考えてくれる。


「で、パパになるんだって?」

「そうなんだよ」

「実はね、お母さんとお父さん、駆け落ちしたのよ」

「は?」


 駆け落ちだって?


「それほどまでに、私はお父さんのことが好きだったのよ」

「そうなんだ」

「でも浮気されて、ほんと腹が立ったわ。けれど、今では恨んでない」


 そう笑いながらチーズ牛丼を食べる母親。「あれ、これ案外おいしいわね」


「まあ、そういうことだから、何とかなるわよ」

「そうかなあ」

「自信を持ちなさい。あなたに足りていないのは自信よ」

 それは秋月にも言われた。俺には圧倒的に自信が欠如していると。

「しかしね、親になると変わるよ」

「そうなんだね。俺も変われるかな」

「大丈夫だって。お母さんを信じなさい」

「分かったよ」

 そしたらなぜか笑いが込み上げてきて、笑みを零してしまった。

「応援しているから。眞衣にもよろしくね」

「うん」

 母親はチーズ牛丼にタバスコを大量にかけた。それをかきこむと、ごほっ、ごほっとむせこんだ。また俺はその様子が可笑しくて笑ってしまった。


 ◇


 その日、秋月が家に来た。

 神奈川県に行ってきたということで、お土産を買ってきてくれた。紙袋を渡された。どうやら中身はプリンらしい。


「おめでとう。パパになるんだね。あのワンコ君がねえ」

「もうワンコ君呼びはやめてくれ。妹も聞いているんだ」


 眞衣はお土産のプリンを食べながら、首を傾げた。「ワンコってなに?」


「お兄さんの昔の愛称よ」

「変なの」

「変だろ。おい、これが普通の感想だ」

「不思議ねえ」


 俺は秋月の頭をはたいた。


「どこが不思議なんだ」

「痛いわね。まあ、あんたは人間になったからね」


 人間ねえ。そう感じながら首元を触る。ネックチョーカーが装着されていた部分だ。

 すると挑むような目で見つめてきた。


「もう一回付けられたい?」

「バカなこと言うのはよせ」

「じゃあ、私帰るから、送っていきなさい」

「へいへい」


 なんとわがままな女なんだろうか。


「じゃあ、眞衣、お留守番頼むな」

「はーい、お兄ちゃんのぶんのプリンも食べておきますね」

「もう、それでもいいよ」


 俺はコンバースの靴を履き、秋月と一緒に外に出る。


「ねえ、希美ちゃんが亡くなったら、どうするの?」

「どうするってなにが?」


 すると俺の前に向かって、真っ直ぐ対峙してくる。その真剣なまなざしに、俺は少し戸惑ってしまう。


「私、あなたのことが好きだった。どうしようもない、ワンコ君のことがね。でも、同じくらい希美ちゃんのことも大切なの。彼女が亡くなったら、もう、さ。私のものになってよ」

「それは……」


 すると秋月は、唐突に泣き始めた。「ごめんなさい。こんなの、ずるいよね。私ごときが恋愛なんておこがましいんだし。あなたはずっと希美ちゃんのものなんだから」


 俺はとっさに秋月の体を抱きしめた。そしたら強張っていた秋月の体が、だんだんと緊張がほぐれたように抱き返してきた。

 満月が俺らを睨みつけてくる。この浮気者が、と。

 それでもよかった。俺は、目の前の少女を救うことだけを考えていたかったからだ。

 どうせ、俺はゲームを作ることしか出来ない、人格者ではない男だ。

 けど、そんな俺に対して、必要としてくれる人間がいる。それだけが唯一の救いだった。



 希美の容態が急変しという連絡が、二月にかかってきた。

 俺は全力で走って病院に向かった。

 病院にはお義母さんとお義父さんがいた。俺は上がった息を整えながら、「どうしたんですか」と訊ねた。


「今朝、破水したんだ。だが、抗がん剤治療で弱った体に陣痛は厳しいんだ。もう、今夜が最期だろうな」


「そんなっ……」


 数時間後。医師が手術室から出てきた。


「親御さん、陣痛は身体にかける負荷が激しいので、帝王切開にしましたが、それでもむずかしい状況なのには間違いないです」

 俺は歯がんだ。自分の無力さに。


 どうしたら彼女を救える?

 どうすれば彼女を助けられる?


「すみません。彼女に会えませんか?」

 医師が困惑した顔でご両親を見遣る。「この方は」


「希美の恋人です」

「籍は入れているんですか」

「いえ」


 医師は悩むようなそぶりを見せた。「本当は親族しかICUでの面会は許可されてはいないんですけど。まあいいでしょう。責任は私が取ります」

 俺は感極まって涙を流してしまった。心の中で優しい医師の言葉に感謝した。

 医師に案内されて、ICUに入室する。

 彼女は薄目を開けてすぅ、すぅ、と息をしていた。酸素マスクを付けている。


「希美。頑張ったね」

 俺の声に気付いた希美が、目を見開いて酸素マスクを外した。そして泪を流しながら謝ってきた。


「ごめんなさい。赤ちゃんが二三〇〇グラムしかなくて、抗がん剤治療による発育障害らしくて。いまNIUC(小児集中治療室)にいるの。元気な赤ちゃんを産んであげられなくてごめんなさい」

 俺は彼女の手を握った。


「大丈夫だよ。たとえ人より小さくても、腹いっぱい飯食べさすからさ。それより、性別は?」

 彼女は涙をぬぐって、にんまりと笑った。「可愛い女の子だよ」


「そうかあ」

「将来、パパと結婚したいとか言うのかな」

 彼女がだんだんと息が切れ切れになってくる。

「言ってほしいな。でも、そんなこと言ってくれるうちは安心だよ。変な男と結婚してほしくないからさ」

「もう、はあ、はあ。親バカなんだから」


 そしたら彼女は瞼を閉じた。過呼吸になりながら、最期に、「ありがとう。私と出会ってくれて。あのゲーム、泣いちゃった……」と言った。

 医師が駆け足でこの場に来た。SPO2と血圧を測りながら、そして次に瞳孔の確認をして、死亡時刻を告げた。


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