実家に戻ると、リビングで父親が煙草を吸いながらスマホをいじっていた。
俺はそんな父親に声をかける。「父さん。ただいま」
「帰ってきたか、で話ってなんだ」
父親がこちらを窺ってくる。
「実は、恋人を妊娠させてしまったんだ」
「なんだと!」
父親がこちらに向かってくる。そして頬を殴ってくる。やっぱりか。
俺は誠意を見せるために、土下座する。「お願いします。認知してください」
父親は上がった息で、
「で、相手は? どうしてここに呼ばなかった?」
「末期の大腸がんなんだ。いまも病院に入院している」
「お前、その意味ほんとうに分かっているのか?」
俺はまっすぐ父親を見た。「分かっている」
「分かっていない。どれだけ子供を育てるのが難しいのか。手前八兆でできるんじゃないんだ」
「だから、助けてくれないか——」
「何だと?」
「助けてくれないかって言っているんだ。俺は、どうしても叶えたい夢がある。そのために……」
父親は、嘆息を吐いて「ゲーム会社に入社したいんだろ」
「ああ。そうだ」
「お前が勝手に作った子供のために俺らが何をしろと言うんだ」
「すみません」
俺は、その父親の言葉で自分の甘さを知った。
父親は椅子に座ってこちらを見下ろしてきた。
「まず、自分の力でどうにかしてみろ。話はそれからだ」
「はい……」
俺はリビングから出ていく。すると「ちょっと待って!」と母親の声が聞こえた。
振り向くと、「まだ、夕ご飯食べてないの。一緒に食べない?」
「でも、父さんはいいの?」
「あの人は勝手にコンビニで買って食べるわよ」
牛丼店のネギ玉牛丼を掻きこんでいると、母親が「おいしい?」と聞いてくる。
「おいしいよ。久しぶりに牛丼なんか食べたかも」
「そう、よかった」
母親は喜んでくれる。
「バイトとかしているの?」
「ああ。コンビニでね。じゃないと家賃は払えないからね」
「そう。家計がきつくなったらいつでも言ってね」
俺は感謝した。いつだってそうだ。母親は俺の気持ちを第一に考えてくれる。
「で、パパになるんだって?」
「そうなんだよ」
「実はね、お母さんとお父さん、駆け落ちしたのよ」
「は?」
駆け落ちだって?
「それほどまでに、私はお父さんのことが好きだったのよ」
「そうなんだ」
「でも浮気されて、ほんと腹が立ったわ。けれど、今では恨んでない」
そう笑いながらチーズ牛丼を食べる母親。「あれ、これ案外おいしいわね」
「まあ、そういうことだから、何とかなるわよ」
「そうかなあ」
「自信を持ちなさい。あなたに足りていないのは自信よ」
それは秋月にも言われた。俺には圧倒的に自信が欠如していると。
「しかしね、親になると変わるよ」
「そうなんだね。俺も変われるかな」
「大丈夫だって。お母さんを信じなさい」
「分かったよ」
そしたらなぜか笑いが込み上げてきて、笑みを零してしまった。
「応援しているから。眞衣にもよろしくね」
「うん」
母親はチーズ牛丼にタバスコを大量にかけた。それをかきこむと、ごほっ、ごほっとむせこんだ。また俺はその様子が可笑しくて笑ってしまった。
◇
その日、秋月が家に来た。
神奈川県に行ってきたということで、お土産を買ってきてくれた。紙袋を渡された。どうやら中身はプリンらしい。
「おめでとう。パパになるんだね。あのワンコ君がねえ」
「もうワンコ君呼びはやめてくれ。妹も聞いているんだ」
眞衣はお土産のプリンを食べながら、首を傾げた。「ワンコってなに?」
「お兄さんの昔の愛称よ」
「変なの」
「変だろ。おい、これが普通の感想だ」
「不思議ねえ」
俺は秋月の頭をはたいた。
「どこが不思議なんだ」
「痛いわね。まあ、あんたは人間になったからね」
人間ねえ。そう感じながら首元を触る。ネックチョーカーが装着されていた部分だ。
すると挑むような目で見つめてきた。
「もう一回付けられたい?」
「バカなこと言うのはよせ」
「じゃあ、私帰るから、送っていきなさい」
「へいへい」
なんとわがままな女なんだろうか。
「じゃあ、眞衣、お留守番頼むな」
「はーい、お兄ちゃんのぶんのプリンも食べておきますね」
「もう、それでもいいよ」
俺はコンバースの靴を履き、秋月と一緒に外に出る。
「ねえ、希美ちゃんが亡くなったら、どうするの?」
「どうするってなにが?」
すると俺の前に向かって、真っ直ぐ対峙してくる。その真剣なまなざしに、俺は少し戸惑ってしまう。
「私、あなたのことが好きだった。どうしようもない、ワンコ君のことがね。でも、同じくらい希美ちゃんのことも大切なの。彼女が亡くなったら、もう、さ。私のものになってよ」
「それは……」
すると秋月は、唐突に泣き始めた。「ごめんなさい。こんなの、ずるいよね。私ごときが恋愛なんておこがましいんだし。あなたはずっと希美ちゃんのものなんだから」
俺はとっさに秋月の体を抱きしめた。そしたら強張っていた秋月の体が、だんだんと緊張がほぐれたように抱き返してきた。
満月が俺らを睨みつけてくる。この浮気者が、と。
それでもよかった。俺は、目の前の少女を救うことだけを考えていたかったからだ。
どうせ、俺はゲームを作ることしか出来ない、人格者ではない男だ。
けど、そんな俺に対して、必要としてくれる人間がいる。それだけが唯一の救いだった。
希美の容態が急変しという連絡が、二月にかかってきた。
俺は全力で走って病院に向かった。
病院にはお義母さんとお義父さんがいた。俺は上がった息を整えながら、「どうしたんですか」と訊ねた。
「今朝、破水したんだ。だが、抗がん剤治療で弱った体に陣痛は厳しいんだ。もう、今夜が最期だろうな」
「そんなっ……」
数時間後。医師が手術室から出てきた。
「親御さん、陣痛は身体にかける負荷が激しいので、帝王切開にしましたが、それでもむずかしい状況なのには間違いないです」
俺は歯がんだ。自分の無力さに。
どうしたら彼女を救える?
どうすれば彼女を助けられる?
「すみません。彼女に会えませんか?」
医師が困惑した顔でご両親を見遣る。「この方は」
「希美の恋人です」
「籍は入れているんですか」
「いえ」
医師は悩むようなそぶりを見せた。「本当は親族しかICUでの面会は許可されてはいないんですけど。まあいいでしょう。責任は私が取ります」
俺は感極まって涙を流してしまった。心の中で優しい医師の言葉に感謝した。
医師に案内されて、ICUに入室する。
彼女は薄目を開けてすぅ、すぅ、と息をしていた。酸素マスクを付けている。
「希美。頑張ったね」
俺の声に気付いた希美が、目を見開いて酸素マスクを外した。そして泪を流しながら謝ってきた。
「ごめんなさい。赤ちゃんが二三〇〇グラムしかなくて、抗がん剤治療による発育障害らしくて。いまNIUC(小児集中治療室)にいるの。元気な赤ちゃんを産んであげられなくてごめんなさい」
俺は彼女の手を握った。
「大丈夫だよ。たとえ人より小さくても、腹いっぱい飯食べさすからさ。それより、性別は?」
彼女は涙をぬぐって、にんまりと笑った。「可愛い女の子だよ」
「そうかあ」
「将来、パパと結婚したいとか言うのかな」
彼女がだんだんと息が切れ切れになってくる。
「言ってほしいな。でも、そんなこと言ってくれるうちは安心だよ。変な男と結婚してほしくないからさ」
「もう、はあ、はあ。親バカなんだから」
そしたら彼女は瞼を閉じた。過呼吸になりながら、最期に、「ありがとう。私と出会ってくれて。あのゲーム、泣いちゃった……」と言った。
医師が駆け足でこの場に来た。SPO2と血圧を測りながら、そして次に瞳孔の確認をして、死亡時刻を告げた。