「ただいまあ」
玄関で靴を脱いで、また自室に籠ろうとしたとき、父親が現れた。
「なにしようとしてんだ」
俺は溜め息をついて、「勉強だよ」と嘘を言った。本当はデバックやゲームのバグの確認をしようと思っていたのだ。
「嘘つけ。どうせゲームでも“遊ぼうと思っていたんだろう”」
「そんなわけないだろ。ってか、ほっといてくれよ」
父親がずかずかとこちらに来て、俺の腕をつかんだ。その力はとても強く、俺は歯を食いしばった。
「痛いって。やめろって」
「じゃあ黙ってリビングに来い」
俺は父親の腕を振りほどいて、舌打ちした。「分かったよ」
そうしておとなしくリビングに向かうと、父親が俺に座れと指示する。その通り、俺は従う。
「お前、期末テストの点数、下がっているそうじゃないか。担任の先生から聞いたぞ」
「だからなんだよ。俺にはやらなくてはいけないことがあるんだ」
「それって、ゲーム制作のことか?」
「……誰かから、聞いたんだ?」
「それこそどうでもいい。ゲーム制作なんてやめて、受験に集中しろ」
「受験こそどうでもいいよ。俺にはゲームが大事なんだ」
そしたら父親が俺の胸倉を掴んできた。俺はそれを振りほどき、「もういいか、部屋にもどるぞ」と言って部屋へ帰ろうとした。
「待て。じゃあ家を出ていけ。高校を卒業したらな。働く気も、学ぶ気もない奴を養うほど家計は潤っていない」
「ああ、そうかよ」
俺は最後に父親に侮蔑を吐いてやろうかとも思ったが、やめておいた。
部屋に入り、PCの電源を入れる。ウィンドウズ独特の起動音が鳴る。
製作途中のデバックプログラミングを入力する作業を再開し、ひたすらPC言語を入力する。そんな単純作業に飽き飽きする。はあ、もう疲れた。
するとノックが鳴った。「はい」と少々怒りをにじませて言った。いったい誰だよ、こんな集中しているときに。
「私だけど……お兄ちゃん……」
「眞衣か……どうした」
怯えた声音で言った眞衣に、申し訳なさが募る。てっきり母親だと思っていたからだ。
また以前のように入室してくるのだろうか。それでもいいのだが、今はゲームに集中したい気持ちが勝っている。
部屋に入ってきたクマのプーさんのパーカーを着た眞衣。はっきり言って可愛かった。でもなんで毎回こんなコスプレをしているんだろう。どこにも行かないのに。
眞衣はベッドの上に座って、少し居心地が悪そうにしている。
「何しにきたんだ?」
「えっと……お兄ちゃんのゲームの進捗状況を確認しに」
「そんなことしなくていいから。楽しみに待っておけ」
「でも、お兄ちゃん、C#言語が苦手だよね。PCゲームの設定にはC#言語が必要不可欠だよ」
眞衣は真剣な表情でそう言った。確かに、彼女の言う通りゲームのプログラミング設定にはC#言語というJAVEなどをベースにマイクロソフト社が開発した言語で、C言語やC++言語の後継言語として位置づけられているものが必要だ。
この言語はとても習得が難解で、だがしかし妹は中学生にして身に付けている。
「分かってる。でも、俺は……」
「もう私のためのゲーム制作なんてやめなよ。受験勉強をしたほうがいいよ」
「……お父さんになんか言われたのか?」
「……」
眞衣は俯いてフードを被った。
「言われたんだな」
「……」
真っ白な朝焼けのような、そんな表情をして見せた。一切の未練がないような、そんな顔でもある。それが余計に腹が立った。
妹は淋しさを抱えているのかもしれないのに。それをぎゅっと噛み締めて堪えている。そのことに、兄として何も出来ないことが不甲斐なくて、そんな苛立ちだ。
「もう、部屋に帰れよ。俺は、俺のできることをする。お前は、お前の出来ることをしろよ」
眞衣は唖然としていたようだったが、伏し目がちに「そうだね」と言い残し、部屋を去っていった。そのときの、曖昧な顔が忘れられなかった。
外では、どうしてか季節外れのひぐらしが鳴いていた。ひぐらしが、鳴いていた。