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第8話

 一度呼ばれてみると、待機時間に比べると短い時間で手続きを終えることができた。幾つかの書類をスズカに代筆してもらい、役所の人間と幾つか言葉を交わすだけの、ごく簡単なものだ。


「待たされたわりには、あっさりと済んだわね」


 後日発行されるという身分証を受け取れば、正式に私はこの世界の一員となるらしい。寂しくもあるが新たな一歩として一段落する安心感もある。


 それはそれとして、淡々と手早く済んだことに対して拍子抜けをしたというのも事実だが、気分を口にしてみると、スズカは緩んだ表情を見せる。


「役所の手続きって、そういうものなんですよ。きっと」


 この世界の住人にそう言われてしまうと納得する他もなく。空いた小腹を満たすために私達は区役所を離れて再び大きな通りに出る。


 途中までは、来た道を戻る道筋だったが、来る時には直進した交差点を今度は曲がる。少しずつ増えてくる人通りを避けながら歩くと、車が入る事ができないように管理された、屋根付きの大きな通りに出る。


「休日は、もう少し賑やかなんですけどね」


 居並ぶ店の割には人通りが少ないと思っていたが、どうやらこの世界の人間はある特定の日だけが休養できる日だと定められているらしい。高度に管理された社会を確立するというのは、統治者として便利である反面、窮屈さを伴うもののようだ。


「忙しいのね、皆」


 私の周りにいた気まぐれな者達はきっとこの世界に来たら窮屈だろうと懐かしむ。私自身は教育や訓練である程度の束縛を受けてはいたが、この世界に比べると活動時間は流動的だった。


「私も、同じような時間で過ごさなければいけない?」

「ん。そうですねえ。ある程度合わせてもらえると助かります」


 世界によって時間の使い方が異なるというのはスズカも織り込み済みのようで、強い言い方はされなかった。だが、私の面倒を見る事を任された彼女の負担を考えれば、できるだけ合わせる方がお互いのためだろう。


 この世界での時間の使い方を話しながら、目当ての店を探す途中、揉め事のような声を聞いて足を止めた。スズカも同じ物に気付いたのだろう、困り顔で私と同じものを見ている。


 何事か、気に入らないことがあるのだろう。折角の散歩日和を台無しにするほど大きな声で人間を口汚く罵っている声が響く。


 罵られている人間は2人。年若い男女はさも面倒くさそうな雰囲気で罵っている物体を見下ろしている。


 物体。罵っているそれは確かに人間ではなかった。人間の体の半分より少し小さい程度の箱状の物体だ。


「俺は燃えるゴミだつってんでしょうがぁ。今お前らが入れたのはアルミ缶、燃えないゴミでしょうがぁ、しかも中身、んん、なんだこれ、オレンジジュースか。ジュース残ってんじゃねぇですかあ」


 箱の主張はこのようなものだ。彼はどうやらこの世界におけるゴミ箱のような存在で、彼に入れられるべきではないゴミが入れられたらしい。


「この世界のゴミ箱は、随分主張が激しいのね」

「いやあ、彼はゴミ箱じゃないですね。異世界の方です」


 アレほど主張するゴミ箱なら、この世界の街並みはさぞ美しく保たれるだろうと感心したが、どうやら彼はこの世界のものではないらしい。


 スズカは手にした板状の端末を操作し、セイバーズとやり取りをする。彼について照会をかけているらしい。


「擬態型の種族みたいですね。ちょっと声かけてきます」


 今なお主張を続けるゴミ箱につかつかとスズカは歩み寄る。その後ろを少し遅れて追いかけた。


「空き缶ってぇのはあ、リサイクルすれば何でもできる、何でもなれるすげえやつでしょうがぁ。それをお前、燃やしちゃったらダメでしょうがぁ」


 絡むゴミ箱は、廃棄物の再利用について熱弁を振るう。悪い奴では無さそうな気はするが、あんなに喧嘩腰になる事は無いと思う。


「はいそこまで。セイバーズです。ちょっとお話聞かせてもらえますか?」


 人間とゴミ箱の間に割り込んで、身分を明らかにしたスズカに、絡まれていた人間は安心した様子で、ゴミ箱は少し怯んだ様子で顔を向けた。


「聞いてくださいよぉ、セイバーズさん、コイツらゴミの分別をですねえ」

「はいはい、ちょっと落ち着いてくださいねえ。あ、雪姫さんはおふたりを向こうにお願いします」


 ゴミ箱から男女を引き剥がし、少し離れた場所に移動する。思わぬ出来事だったのは彼らも同じなのだろう、疲れた顔でゴミ箱とスズカのやり取りを眺めている。


「何があったの」


 黙っているわけにもいかず、事情を聴いてみる。

 男の方は苛立つように頭を掻いて、ゴミ箱から私に視線を変えた。


「急にあのゴミ箱が絡んで来たんだよ」


 この世界の事情は良くわからないが、こういう事はよくあるのだろうか。漏れ聞こえるゴミ箱の大声はやはり、彼らのゴミの捨て方に対する文句だ。


「アイツ、あんな事言ってるけど、俺ら空き缶とか捨ててないから」

「そうなの」


 男が、舌打ち交じりに言うと、女の方も同調するように首を縦に振る。


「ホントよ。歩いてたら急にあのゴミ箱がね」


 少し事情が変わってきたように思う。彼らはゴミ箱が一方的に因縁をつけてきたと主張するのだから、それをスズカに伝えたほうが良いのか、と顔を動かす。


「ぎゃああああ」


 と、ゴミ箱が奇声を上げた。


「やめろっ、そこはゴミを入れるところだぞっ、ああっ、そんなに奥まで手を突っ込んだらっ、うわああっ」


 ゴミ箱が身を震わせ、怯えたような上ずった声を上げる。原因は明確で、スズカがゴミ箱の奥に手を入れているのだ。


「大丈夫ですよ、すぐ終わりますから、ちょっと確認するだけですからね」


 がたんごとんと音を立てて身悶え、声にならない悲鳴を上げるゴミ箱に優しく語りかけながら、容赦無くその内側を掻き回すスズカの行動は、どこか恐ろしさすら感じてしまった。

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