人間達に囲まれ、彼らが乗ってきたという自動車という乗り物に入れられ、移動する時間はそう長いものではなかった。
というのもこの乗り物は随分と早く、私の世界で言うところの馬に相当する存在らしい。筆談による会話でなければもう少し詳しい話を聞いてみたいが、いちいち彼らの板を借りなければこちらの言葉を伝えられないのは面倒くささが先に立つ。
振動とともに悪路を走ると、やがて整った形の建物が幾つも見えてくる。あれらがこの世界の人間達が住む集落なのだろう。
私がいた場所は何らかの理由で人間達が放棄した集落だったらしい。誰も住む者がいない世界、というわけではないらしい事が分かっただけでも幸いだ。
「目的地に着きました。私達が所属する組織の建物です。ここで話をさせてください」
やがて自動車は似たような形状の乗り物が幾つも並ぶ場所に入り、人間達が車を降りながら指示をくれる。
「あなたのような異世界から訪れる人に対応するための組織で、名をセイバーズと言います」
端末を通じて簡単な説明も受けつつ、彼らの案内で建物の中に入る。屋内では、さっきまで無人の空間にいたのが嘘のように多くの人間が過ごしているのが目に入り、足を踏み入れる事を少しためらってしまう。
この世界、少なくともこの近辺は人間が多く住む場所らしい。私が住んでいた世界とは違うらしい事は理解したが、体感としてはほんの数時間前まで戦闘状態にあった相手が沢山いるのだから気分の良い場所では無い。
「この部屋で待っていてください。お話を伺わせていただきますので」
半ば意識的にすれ違う人々と目を合わせないように歩いた先の部屋で、そう指示された。
あまり広くない部屋だ。扉に向き合う壁に格子の嵌められた窓が一つと右手側に半円形の机、それから椅子が2つあるだけだ。
「待っていろと言われても」
案内してくれた人間は私に待機を指示した後、早々に出ていってしまう。
薄情を感じて閉まった扉に向けて呟いたけれど当然返る言葉も無い。仕方なく、椅子に腰掛ける。
扉は施錠された様子もなく、私に対して何の拘束も施されない。平穏に意思疎通ができたことで一応の信頼をされたということだろうか。
特段に嬉しいわけでもないが、未知の世界でこれから暫く生きていかなければならないと思うと、順調な第一歩と言えるだろう。今は生死不明の私の兄も敵だろうが味方だろうが第一印象はとても重要だと教えてくれた事がある。
敵ならば威圧感を、味方ならば心強さを与える事で以後の状況を良くすることができるという事だったか。その為には表情筋を鍛えることこそが最も重要だと熱弁して、女性が真似るには多分に抵抗を感じる表情を見せてくれた事を懐かしく思い出す。
懐かしい記憶に浸って暫く経った頃、扉を叩く音で意識が現実に立ち返る。顔を扉に向けると、丁度誰かが入ってきたところだった。
姿形は人間に似るが、私をここに連れてきた者達より少し大きい。見覚えはないはずだが、その雰囲気には覚えがあるように感じる。
「おお、やはり姫様。まさかとは思いましたが、あの気配が本当に姫様だったとは」
その男は私を見て何やら大げさな動作で驚いてみせた。そんなふうに再会を喜ばれてもやはり私には心当たりがない気がする。
私の疑念は表情に出ていたのだろう。男は何かに気づいたようで気恥ずかしそうに大きく笑って手を打った。
「いや、申し訳ない。この姿ではわかりませんな。魔王様の命により、この世界に訪れております調査員サーチスでございます」
名乗られてから、納得をする。どうやら私は本来彼のもとに送られるはずだったようだ。死んでいたらどうしようかと思っていたが、こうして会うことができたのだからありがたい。
「そう。父の話ではあなたのところに送られる予定だったようだけれど、随分離れてしまったのね」
「それでしたら、この建物に施された防護膜のせいでしょうな、異世界からの転移物を直接入れないように設定されているのです。危険なものだと被害が大きくなりますから、一度無人区に送られるのだとか」
あの廃墟が彼の言う無人区なのだろう。一度ここには近づいたが落ちる場所を調整されたようだ。
「しかし姫様。何故にこの世界に来られたのです。魔王様からは短い指示のみで、詳細がわからんのです」
「父は死んだわ。人間の侵攻に敗れたの。私も敵の手に落ちたはずだったのだけど、父の魔法で助けられたみたい」
自分の中でも整理がついた訳では無いが、聞かれれば答える他はない。指で撫ぜたペンダントの温い感触が身に染みる。
その内容は彼に少なからぬ衝撃を与えたのだろう。額を抑えて俯いたまま、辛うじて聞こえる程度の声で小さくそうですかと漏らすのが見えた。
あの被害の様子では生き延びた者はいないだろうが、そこまで詳細を伝えたところで意味は無いから、黙っておこう。
「では姫様、これからどうなさるおつもりですか。魔王様の仇討ちであれば、このサーチス、微力ながら同行させていただきますが」
仇討ち。当然のように出された言葉を前に改めて考える。少なくない時間を使ってから、首を横に振った。
「父を撃った人間は強いわ。恐らく今の私では返り討ちにされてしまう。今は力を蓄えるべき時だと思うの」
視線は腹に。今は無い傷口は当然痛まないが、何もできず、たった一撃で、何の容赦も無く殺されてしまった事を思い出せば、仇討ちなど到底不可能だと思い知らされる。
「だからひとまずは、この世界に身を潜めようと思うの。ここで生活をするにはどうすれば良いかしら」
父は好きに生きろとも言った。ならば今はこの世界で生きることが優先だ。いずれあの人間と渡り合える強さを得らた時、あの世界に帰ることを考えよう。
「それならば、この組織の一員になるのがよろしいかと。セイバーズは様々な異界の者と関わる組織ですから、きっと姫様の力となるでしょう。幸い今の私は、セイバーズの研究員という肩書を持っておりますから、力になれることと思います」
サーチスの提案は悪くない。少なくとも住むところは確保できるという事だ。ならばそれに乗らせてもらおう。
うまくこの組織が私を受け入れてくれると良いが。