「よく手入れされている」
しげしげと嗜好品のような手つきで眺められるソルデア。一刹那のやり取りなど感じさせぬ独尊で気品すらある物腰。グレイスは納得した……野蛮に堕ちた無法の者共を統率する
「てめえ……」
ヘルバンデスの悪としての魅力にグレイスは思わず唸り、妬きそうになっていた。銃の手遊びに飽きたのか奴は色も変えずに「そうそう」と言って、微笑んだ。
「司教でしたら四十七分前にここを出たので、もういませんよ」
この性格の悪さである。こちらが一番心理を揺らされる言葉選びをしてくる。
「……だったら、どこ行ったのかを吐かせなくちゃなぁ」
グレイスは肩甲骨を弛緩する。大立ち回りの直後である、身体に纏う緊張を解かねばやり合える相手ではないと直感が告げる。しかもただの喧嘩じゃすまないだろう。周囲を視野に入れると民間人がまだ動けずに固まっているではないか。
「邪魔だ! 巻き込まれたくなきゃさっさと失せろ!」
女の怒声で人々は意識を取り戻したように逃げ場を求めて動き出した。そこらに転がる邪魔な敵兵も回収させる。人払いが進む光景をヘルバンデスは興味なさげに見つめていた。グレイスは鼻を鳴らす。
「あんた、他人に興味がないタイプか」
「失った物は戻りません。ゆえに捨てた過去より豊かな未来を得るため進むのみ」
「割り切ってる訳ね。嫌いじゃない」
「お褒めに預かり」
最奥部のステンドグラスを挟んで、グレイスはヘルバンデスと間合いを取りあう。
既視感のある構え方だ。こちらは懐を深く作った独自の正対の構え、奴は半身を引いて両拳を胸の位置で前後に並べる
「ディゲンの一族か」
「ご明察」
かつて対機械戦争に敗北した人類が生存圏をかけて争い合った頃、南方に広大な領地を獲得した戦闘民族がいた。彼らの身体操作術は対人戦において無類の強さを誇った。機械兵の侵略により宗家は滅亡したものの、軍隊格闘術として継承者はなお息衝いている。
「血統主義を批判するくせ、古い流派の使い手とは滑稽な」
仮にも最強と呼ばれた武術の一つ。背筋の冷たさを隠しながら挑発する。
「我らが教義は家族愛ですから」
「
「なんとでも」
ヘルバンデスが、
次の瞬間、再び奴の姿が消える。
左だ。中段への前蹴りを肘で受けて右で突き返す。透かした。手刀が横面に迫る。顔を反らすが恐ろしく速い。耳を掠めた──が、グレイスの体軸は回転を始めている。芯から力の波を起こし、肩甲骨で増幅させる。
エルボースマッシュ。狙いは、下顎。
当たった。だが手応えは薄い。衝撃を流されたか。
「器用じゃん」
「基本でしょう」
なおも追撃。手を休めることなく連打を浴びせる。グレイスの拳が幾度となく風を鳴らすが、ヘルバンデスはことごとくいなしていく。徐々に突きを高速化させる。時々蹴りも織り交ぜる。
対人格闘術における手数の多さとは、制圧力を示す指標である。
しかしながら、それはある
ゆえにグレイスは示してしまった。彼我の戦闘力の格差という物を。
この現状とはすなわち
「がはっ」
舌根を襲う酸い風味。
続けて背中に一撃を喰らう。肺腑の中身が押し出される。更なる蹴りが来ようとした時、グレイスは地に手を突いて水面蹴りを返した。しかし跳んで躱される。
連撃に移れない。呼吸が詰まっていた。隙を隠して間合いを取る。
改めて理解する。
こいつ、クッソ強え。
数十手に及ぶ攻防を経てもなお、息一つ切らさぬヘルバンデスの攻略法が見当たらない。体捌きに隙が無さすぎる。私の格闘術のすべてが通用しない相手など初めてじゃないか?
黒眼鏡の光沢が不気味に映る。久々に遭遇した、絶望って奴に。たまらずため息が出る。まいったな、まともに倒せるビジョンが全然見えて来ねえ。グレイスは血唾を吐き捨て、懐から小瓶を出して口中を洗う。
「ぷは……よぅあんた、結構な人数やってきただろ」
「片手で示せるほどですよ」
「嘘こけ」
「五〇とちょっとです」
「ざけんな」
ヘルバンデスは頭髪をひと撫でして駆けだした。並走する。聖堂の大理石をブーツの底で蹴りつけながら
「時に」
拳を掴まれた。勢いを流され胴をくるりと回される。
「あなたは何故、私達に挑んでいるのでしょうか。その戦闘技術、称賛しますよ」
腕を首に巻かれて締められた。軍隊格闘術は対機械兵と対人用で大きく内容が異なる。対人用とはすなわち暴漢の制圧、治安維持が思想の根幹。ヘルバンデスがグレイスに掛けている締め技は逮捕術のそれである。
呼吸が詰まる。それでもグレイスは奴が欲しがる情報を吐いてやる。
「アッガンベー」
締めが極まりきる前に、グレイスは踵でヘルバンデスの脛を蹴り上げた。くぐもった声を漏らす奴の方へ向き直るよう転身する。そして、正面ゼロ距離の黒眼鏡に、思いきり唾を噴きかけた。
「ぬおっ」
否──唾ではない。
口に含んでいた極上の辛味ソースである。
顔面に超刺激物を噴きつけられた衝撃は、真っ赤に塗られたレンズを拭う事さえ忘れて距離を置こうとさせるほど。しかし逃避を許すほどグレイスの性格はよろしくない。のたうち回るヘルバンデスの隙だらけな急所を即座に蹴り上げる。
その勢いは、男の体を座骨ごと浮き上がらせた。
「~~~~~~~~ッッッッッッ」
胃液を吐き出してヘルバンデスは絶叫した。悶え苦しむその顔をグレイスは右手で鷲掴みにする。
「……命は尊ぶけどさ。私、悪党だからさ」
左手を首に回して背後を取る。月光に浮かぶ邪悪な笑み。唇に残る刺激物を舐めとったグレイスの頬は、愉悦の色に染められていた。
「卑怯な手段も平気で使うんだよね」
グレイスは心で唱える。この技の由来となった教典の一節を。
──主が仰るには、裁きの時は今。汝の名を告げよ。
「き、貴様……何者だ」
ヘルバンデスの体を持ち上げ、後方へ──
「私かい? 主の恵み、グレイスって言うんだ」