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悪道賛歌(三)

 怒れる女は、気づくと裏手を囲む戦闘員を全員ぶちのめしていた。


 立っている者は誰もいない。


 鼻息荒く、割れた窓から聖堂に踏み入れる。中には民間人が大勢詰め込まれており、酷い異臭が漂っていた。奴らが言っていた通り汚物を放り込まれたのか、とても長時間ここで過ごしてまともな精神状態でいられるとは思えない。


(それなのに、まだこんなに生存者がいたとは)


 百人以上いる。人いきれで空気が重たく、誰もが憔悴しきった様子でチャーチベンチに身を寄せ合っている。


 人々を見下ろす講壇の上に豪奢なステンドグラス。美しい円環が彩る教理の物語は、外から差し込む炎の灯りで真っ赤に染まっている。迷える人々を救うための神は、冷たい視線を戦場へ注いでいる。


 グレイスは道内のそこかしこを見回す。


(どこだ、エーデルさん)


 だが見つからない。暗闇の中で人が多すぎる。騒然とする中で声を張ってもかき消されるだけだ。


 その時、入口の方で悲鳴が上がった。サンチョの戦闘員達が扉を蹴破って突入してきたのだ。


 ちきしょう、邪魔ばっかしやがって。激しい舌打ち。奴らは自分を探している。


 民間人をいたずらに怯えさせても面倒くさい。グレイスはガチ袋に手をやりながら講壇を駆け上がる。


「私はここだぜ! ケツ掘られたきゃ掛かって来いや!」


「いたぞ、撃て!」


 ボウガンの矢が空を切る音。大量の矢が突き立ったそこに女の姿はすでにない。


「遅えよボンクラ」


 天井の梁から鉤縄でぶら下がったグレイスの踵が、戦闘員の頭上に落ちる。


 聖堂の入り口に大挙する戦闘員の殺気の渦中に、グレイスは身をさらけ出す。


「乱れちゃおうぜ?」


 人差し指を浅く曲げた右手の甲を見せつけた。


 男の不全を嘲るハンドスラングである。


「殺せ!」


 サンチョの戦闘員はいきり立って殺到した。グレイスは迎え撃って殴る、殴る、殴り倒す。ナイフや刀剣を持ち出してきた奴も構わず殴る。


 こんな奴ら、徒手格闘ステゴロで十分だ。


 思い出の場所を汚す奴には容赦しない。誰も守る力が無いのなら、私がやらなきゃいけねえ事だ。


 戦闘員達の喘ぎや血反吐が聖堂を舞い、女の雄叫びが轟き渡る。


「好きに幅利かしてんじゃねえぞ。この街キルナは、あたしのシマだ」


 一対五〇。絶望的な物量差に見えるが、聖堂の入り口という絞られた場所において大人数は機動性を失う。同士討ちを恐れて飛び道具の使用もない。


 そもそも元が半グレの集団だ、戦術戦技に練度などという物はない。グレイスの培ってきた修羅場を生き抜く戦闘観を前にして、数を頼む雑兵など小雛ティックを蹴散らすのに等しかった。


 いつのまにかハンチング帽を失くしていた。茜色の髪をかき上げて呼吸を整える。


 拳から滴る血潮は、すべて足下に転がる奴らのものである。淀んだ空気の中で酸素を求めて顔を上げると、背後から、戦いを見ていた民間人の慄く声が届いてきた。


「……人間の戦いじゃねえ……化け物だ……」


 グレイスは、一笑にふす。


「エーデル司教はどこだ」


 低い声で彼らに尋ねる。しかし人々は震えるだけで答えようとしない。


 分からなくもない。どこの者とも知らない人間が突然現れて、敵を全滅させたのだ。この街がいかにして奴らに占拠されたのかを考えれば彼らの沈黙の理由など自明である。


 しかし、私が助けたい相手は、一人だけだ。


「エーデル司教の居場所さえ分かればいい。あんたらは解放してやる」


「……主が仰るには、いずくんぞ汝人を裁くや。人汝を裁かんや」


 男の声が聖堂内に響いた。


「誰だ」


「なれば主の御心に拠りてこれを裁く……。騒がしいと思ったら、うら若き乙女にありませんか」


 妙に威厳と落ち着きを感じる宣告じみた口調。丸い黒眼鏡グラサンをかけたジャケット姿の男が、出口の方に立っていた。四十手前の齢だろうか、背は低く理知的な佇まいをした黒髪の男。背後に引き連れた手勢は皆、洗練された立ち姿。


 あの風格、あの容貌、間違いない。


「てめえがヘルバンデスか」


Yaえぇ…神聖な場所で斯様の狼藉、宥恕ゆるせませんね」


 悠然とした語り口。その首には、三叉架を着けているではないか。


「ス・ウィン教の人間かよ。デポンズ聖堂と同じ宗派だろうが」


「旧態依然とした血統主義ブラディズムでは真の融和は為しえません。ただ身を肥やす者ばかりの中央教会に我らが信じる神はいない。私が新たなるス・ウィン教を導くのです」


 黒眼鏡の奥でくらい光が透ける。虫唾が走る言い分だと、グレイスは吐き捨てた。


「てめえが誰を信じようと勝手だが、関係ない民間人を巻き込むんじゃないよ」


「変革に血は流れるもの。すべては後の世のために」


 ヘルバンデスが合図すると風体の悪い男達が前に出てきた。頭髪を刈り上げ、顔にタトゥーを彫った者達。それぞれが打刀ボントゥ手斧チョーラを携え、肉体の練度が高い。これまでの戦闘員とは明らかに纏う空気が違う。


「あんたら本職ガチの出だね。軍人崩れまで取り込むとは、サンチョも大したもんだ」


「利害が合えば兄弟さ。こちとら女と子供がちょうど欲しい所だったんでね」


 一人が答える。


人身売買かどわかしか」


「汚れなしに理想は為せない」


 知っている。金品物資の略奪を目的とする悪党には、一部で人身売買を行うものが存在する。戦場で逃げ遅れた人々や武力に抵抗できない弱者を拉致し、労働力や資金源に変換する。


 もとより裏暗い者が繋ぐ筋だ、売られた人材の悲惨な前途など想像に難くない。


 キルナの守備隊を駆逐した武装勢力の枢軸は、いま目の前に立つ男達で見てよかろう。グレイスは唾棄する。


「私を買うなら、高くつくぜ」


 羽織ったコートを剥ぎ取って、拳を握った。


 男達が襲い来る。


 袈裟懸けにきた打刀にグレイスはコートを浴びせて巻き取った。腰の力みを一気に抜く。しなやかな回転を下半身に伝播させ、到達点は右の脚。跳ね上げられた後ろ蹴りトラースキックが男の顎をぶち抜いた。零距離で発生させる強烈な蹴撃を喰らった男は勢いづいて吹っ飛んだ。


「この野郎」


 激高した他の男が刃を振るって殺到する。


「女だっつうの」


 眉間に皺寄せて腹のあたりに隙を作る。別の一人がそこを狙って突いて来たので、腰をぐるりと旋回させる。


 女の懐で虚無を獲った刃は、腕もろともグレイスの腕に絡めとられた。


 肘関節を巡らせる。賊の体がぐわんと回って宙から地面に倒れ込んだ。呻く暇も与えず顔面を蹴り、気絶させる。


 振り向きざまに風を切る音。グレイスが背反りに躱す。


 鼻先を刃物が通る。だがグレイスは体勢を立て直さない。そのまま後方に倒れていく。


 両手が地に着き、遅れて足が天を突く。敵の顔がそこにはあった。


「ブグッ」


 悲愴な声を漏らしてまた一人が倒れた。目まぐるしい。だが殺気立った敵は考える時間を許さない。視界に残った最後の一人が斧を横薙ぎに走らせる。


 重量がそのまま破壊力に直結する斧は、硬い装甲で覆われた機械兵にはさぞ有効な攻撃兵器と謳われよう。人間ならば掠めるだけでも致命傷だ。


 ただし……届けば、の話である。


 発砲音。


 グレイスの愛銃が火を噴いた。やけに小ぶりで手に収まる規格サイズ……破壊力のベディ・ガイと対なし即応性を売るもう一つの愛銃・ソルデア。九ミリ口径六インチバレル。装弾数こそ六発と少ないが、どこにでも隠し持てる利便性で愛用している。


 撃たれた男は斧を落とし、額を押さえながら頽れた。その銃創を見て、ほぉ、との声。


模擬ゴム弾と使うとは、言動に似合わず命を尊ぶようだ」


「家訓って奴」


「殊勝な心掛けです」


 ヘルバンデスが両手を打つ。その眉間に銃口を向ける。


「エーデル司教をどこにやった」


 堂内をひしめく人々の中に彼の姿は確認できない。知っているとすれば、奴だけだ。


「……かくいう私も両親が中央王都の軍隊出身でしてね。機械兵アトルギアを打倒し、人類を守る崇高な精神を植え付けられたものです。任務を果たせ、負け犬になるな、心身を公に捧げよ」


「どこだと言っている」


「とりわけ強く教えられた訓戒が一つあります」


「答えろ!」


「求められるのは、結果であると」


 刹那――ヘルバンデスの姿が消えた。


 咄嗟に銃の構えを改めかけたその時、眼下に黒い影が映る。肘を取られ、脇に胴体を差し込まれると視界がぐるりと急転した。


 投げ倒される寸前で足を地につき、組まれた腕を振り払う。


 額から汗が噴き出す。


 まさか。自分が見切れぬはずがない……。はずがないのに、ヘルバンデスは表情一つ変えていない。


 それどころか、


「返せや、私の銃」


 奪取ディザームしやがった。


 奴の手元に、先ほどまでこちらにあったはずのソルデアが握られていた。


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