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悪道賛歌(一)

 デポンズ聖堂の包囲網は物々しい有り様だった。


 聖堂前の小さな庭園を、武装した輩がたむろしている。あの庭はエーデル司祭に招かれて学問を教えてもらった場所。木漏れ日のような記憶が残るそこで、テロル・サンチョの連中が火を燃やしていた。


「真夜中なのに昼間みたいだ」


 マルトが言った。廃団地の屋上から、その明るさはよく分かる。篝火かがりびが無数に焚かれ、景色から昼夜の区別を奪っている。付近は燃えるような暑さに覆われているだろう。おかげで奴らの陣容もまる見えだ。


「正面と裏手に二十ずつ、それぞれ装甲車を乗りつけた銃火器持ちだ。残りは遊撃兵として左右を歩き回っているよ。聖堂の包囲はもう四日になる」


「ふーん。ちゃんと隊伍たいごは組んでるわけね、ざっと三層に分けてある」


 さっきの食べかけの干し肉の続きを齧る。味が物足りないので、懐からお気に入りの調味料ソースを数滴たらす。酸味の効いたフレーバーが香り立ち、ご機嫌な味わいだ。マルトは遠眼鏡スコープから目を離し、こちらを窺う。


「どうする、グレイスさん?」


 その呼称に、鼻の脇に皺が出る。


「さん付けは嫌だよ、こそばいから止めとくれ」


「じゃあなんて呼べばいい?」


「グレイス様とか、レイスちゃんとか」


「本気で言ってる?」


「……適当に考えとけ。私らの目的は、司教の救出と聖堂にいる民間人の解放、もしくは敵指揮官の撃破だ。民間人の脱出ルート確保のために、脅威を削がなきゃならない。たとえば、あれ」


 視軸を向けた先に装甲車。聖堂の正面と裏手で一台ずつ、包囲陣の後方に位置している、銃座を乗せた軍用の物だ。守備隊から奪い取ったのだろう。あれが動けば、仮に民間人が脱出しても、走る的になるだけだ。


「ただの市民相手に、あんな厳つい車を二台も使って脅すなんて、酷い奴らだ」


 マルトが口をすぼめる。グレイスは鼻を鳴らした。


「強く見せたいだけさ。まあ、包囲も四日続けば、疲れてるのは民間人だけじゃあるまいよ」


「敵もそろそろ飽きだす頃?」


「狙い時だね」


 グレイスは立ち上がり、暗視双眼鏡メラスコープをガチ袋に仕舞う。輩から奪ったハンチング帽を目深にかぶり、男物のケープマントを羽織っている。腕には、パンサ商会の腕章。


「あんたはさっき伝えた通りにやるんだ。私は自分の策で動く」


 そう言って、ソースを塗った干し肉を「食っていいぞ」とマルトに放り、金網に足をかける。


「え、あ、ちょ! そこから⁉」


「あんたの働き、見させてもらうよ」


 言い残して、屋上から飛び降りた。雨樋あまどいひさしを足掛かりにして七階建てを降りてゆく。しばらくして「辛(かっっっら)ッ⁉」と悲鳴が聞こえた気がしたがおそらく気のせいだろう。


 地上に着くと、闇夜の影に溶け込んだ。キルナの街の暗がりに懐かしさがこみ上げる。


 自分の幼い頃の幻影が、そこかしこから見ている気がする。


(てめえはそこで、じっと見てな)


 誰もいない廃墟の窓辺をひと睨みして、グレイスは聖堂に向かって走った。


 聖堂まで近づくと息を整えて裏手に回った。大量に置かれた篝火で空気は煙たく、汗ばむ暑さだ。物騒な包囲網の向こうに聖堂の背中がそびえている。思い出のままの形だ。


 伐り倒された街路樹の幹でサンチョの賊共がたむろしている。警戒は薄いようで表情や仕草は緩慢としており、会話の内容も下劣なものだ。


「よう」


 グレイスは頬をにっこり持ち上げると、堂々とその輪に踏み込んだ。


「土産だ」


「おぉっ、気が利くな」


 両手に持った二本の酒瓶を突き出す。一同はどう、と声を上げて沸き立った。


 五人か。小銃を抱えた女が二人に、装備を地面に放ってカードゲームに興じる男が二人、居眠りしている男が一人。グレイスはボトルの一本を女に渡し、もう一本を持ってカードゲームの局面を覗いた。


「調子はどうだい、旦那?」


 愛想よく聞くと、右側に座る男は困ったように眉尻を下げ、左側の男はへらへらと笑った。


「五勝二敗、もうすぐ六勝目だ」


「俺が教えたのに、もう俺より強いんだぜ?」


「昔は大店おおだなの会計方をやってたからな、計算なら負けねえよ」


 鼻をふかす男の手札を見ると、なるほど優勢なカードが揃っている。反対側の手札も覗き込むと、なるほど納得の状況である。グレイスはニコニコとして二人の間に腰を下ろす。


「勝った方が飲む事にしよう」


 ボトルの栓を歯で噛みあけて、一口呷あおる。


「特上の蒸留酒だ」


 口中に迸る強烈な刺激と、舌の上に横たわるフルーティな香りの残滓。鼻腔を突きぬけてゆく甘味を伴った痛覚は、さながら情熱的と言えるまである。そんな美味い酒を喉奥にかっこんだグレイスの表情に、カードの二人は分かりやすいほどそそられた反応を見せた。


「さあ、張った張った!」


 活気づけて言ってやると負けかけの方が俄然やる気を出して前のめりになる。


 グレイスはそっと卓上の捨て札から一枚引き抜き、気づかれぬよう彼の懐に差し入れた。抜き手の妙技だ。他者の懐をいじる技術は幼少の頃から心得ている。


 しばし二人の攻防を見つめていると、居眠りしていた男が寝ぼけ眼で寄ってきた。それを自然な所作で、狙いの位置に引き入れる。


 すると、そいつが言うではないか。


「おい、その懐にあるカードはなんだ?」


 一同が、負けていた男に視線を送る。目を瞬かせる男に、隙を与えずグレイスは言葉を差す。


「まさかパチってんのか⁉」それに続けて勝ち目のあった男が言う。


「みっともないぜ! 教えた相手に連敗だからって、イカサマまでするのかよ」


「ちっ、違う! 何言ってやがる! 俺はそんな事しねえ!」


「分かった分かった、言い訳は。仕方ないよな、手加減できない俺が悪かった」


 言葉の応酬が始まるや、男は椅子を蹴って立ち上がった。


「だから違うって言ってんだろ!」


「お、やるか!」


「この野郎め!」


「いよっ、勝った方が飲んでいいぜ!」


 グレイスが手を打って囃し立てると、両者はいよいよ取っ組み合いをおっぱじめた。寝ぼけ眼の男が慌てて止めに入るが二人の喧嘩に巻き込まれ、もみくちゃである。


 遠巻きに傍観していた小銃持ちの女達に目をやると、冷静な面差しでこちらを睨んでいた。


 作り笑いを浮かべて手を振ってみる。


「……いやー、大変だね」


 二人の女は、銃口を向けてきた。


「お前が寄越したボトル、中身は酒じゃないだろう」


「あ、分かっちゃった?」


 グレイスが彼女らに渡した物の中身は、着火油ライターオイル配合ブレンド工業用メチルアルコールである。


「ふざけやがって」


「どっちがだろうね」


 瞬歩。膝の力を抜いた縮地による高速動法で女達の間合いに入ると、銃身を両手に掴んだ。


 反応を追いつかせない。肩甲骨を回転させて力の流れを引き起こす。女達は小銃を手放す間もなく体勢を大きく崩され、正中線を傾ける。その刹那、グレイスは拳を剥いた。


 二人の意識を飛ばす痛点クリティカル・ポイントを砕くのに要した時間は、喧嘩中の男達が気付くまでに満たなかった。


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