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捕食者(一)

 機械達が起こした人類への叛逆戦争は一五〇年に渡って人類側の劣勢だった。機械は人類の倒し方を知り尽くしていた。彼らは人類が創り出した戦争の道具なのだから、当然の結果だ。


 人類は迫りくる機械に対して人口の九割を代償に安息の地エスケイプ・ゾーンを確保した。かつての栄華も今や失せ、つぶみたいな共同体に引き籠もっては奴らの足音に怯え震えて暮らすだけ。その生き方を良しとせぬ、一部の酔狂者を除いては。


「……で、ボウズ。あんた誰?」


 野犬の遠吠えが街の谷間にこだましている。薄闇を照らす焚き火を挟んで、グレイスは向かいへ顎をしゃくった。


「にひひ、こりゃどうもお邪魔しまして」


 キャスケット帽を栗毛に乗せた少年が、そばかす頬を染めながらそう言った。女物のロングコートに身を包み、埃や油にまみれ、愛想笑いを浮かべている。八重やえが覗く口元はあどけなく、見た感じは十歳そこらの浮浪児だ。まん丸とした黒目に無邪気な光。こんな荒れ地で輝くそれには違和感がある。


「邪魔だと分かってんなら、さっさと出てけ」


「やーだ!」


 さきほどからこの調子。


 デポンズ広場サークルでアトルギアを倒したら、この少年が物陰から飛び出してきた。曰く、グレイスに窮地を救われたらしい。妙に懐かれてしまった上に拠点まで付いて来られた。


 拠点と言っても壁や天井が吹っ飛んでいる廃団地の一角。コンクリート打ちっぱなしの小さな居室に質素な家具があるだけで、面白みもない狭小住居。子どもだろうと上がり込まれちゃ息苦しいたらありやしない。


 焚き火から干し肉の串を取り、見せつけるようにかじる。


「おいクソガキ」


「マルトって言うんだ!」


 あっそう。


「私は慈善家ソロピストじゃねえ。素性も知らねえ奴を置きたかないね」


 咀嚼音を立てながら串の先を少年に向け、満面の不快を浮かべてやる。するとマルトと名乗る少年は、居住まいを正して黒色の眼でこちらを見た。


「さっきは助けてくれてありがとう! アトルギアに危うく捕まるところだった。オイラ、南東区のスラムに住んでて、両親は……」


虚偽ダウトだね」


 マルトの言葉をさえぎった。


「あんた、他所よその人間だろ」


 そう言うと少年の眉がわずかに跳ねた。


「どうしてそんな⁉ オイラは嘘つかないよ、本当に……!」


「ここは、あんたみたいなのが生まれてこれる場所じゃない」


 グレイスは知っている。キルナ=サイトは資源採掘で栄えた軍事と労働の街。アトルギアに抗う前線基地の一つとして中央政府から経済的な寵愛ひいきを受けた土地。


 人々はここで働いた。やがて歓楽街が求められ、家庭を築く者が現れた。長じて、教育機関が設けられ、プロパガンダに用いる宗教施設まで作られた。ただの採掘場が〈サイト〉と称されるほど成長したのは、古今珍しい事例だった。


 だが経済成長には落伍者らくごしゃが生まれるものだ。キルナ=サイトに生成されたスラム地区は、勇ましい人間が集う土地柄だけに凄絶な様相をなしていたという。


 とは言っても自分が物心ついた時にはこの街のスラムはての有り様だった。しょうもない理由だ。地下資源の枯渇からの財政破綻。あっというまに失業者の街の出来上がり。治安は乱れて人々は逃げ出した。


 そう、この街は、中央政府から搾取の末に捨てられた用済みの地ゴーストタウンに他ならない。


「そんな綺麗な眼をした奴は、ここにはいない」


 串を焚き火に放り投げる。肉は手に持ち、片手間に懐を漁る。好みの味をつけたくなった。観葉植物を折って作った生木の串は、煙を吐いて炎の餌になる。


「……ちぇ」


 小さなため息。マルトは唇をとがらせて姿勢を崩した。


「お姉さん、照れる事言ってくれるじゃん」


 まるで物語の結末をばらされたような表情で少年は膝の上に頬杖をつく。


「ふーん、居直るか。度胸あんだね」


「怖いものには慣れっこさ」


「たとえば?」


「半年前の第三ガナノ。そこで仕事ヤマやってたよ」


 少年から出た隠語にグレイスは懐を漁る手を止めて「戦場泥棒アナカンね」と添える。マルトは口の端を上げて頷いた。


「ボウズ、あの地獄の生き残りかよ」


「まあね」


 ガナノ=ボトム第三区画。半年前、凄絶な市街戦が行われた大都市だ。現地の守備隊と義勇兵合わせて六〇〇が守る要塞を新型アトルギア率いる大群が総攻めにした。防壁は僅か三日で破れ、戦闘員のみならず多くの市民が犠牲になった。


「アトルギアと兵隊が戦うところを見るのが好きでさ。しょっちゅう戦場見物してんだ」


「良い趣味してるね」


「勉強熱心だと言っておくれよ。そのついでにお宝探しをやってるだけ」


 得意げにマルトは鼻下をこする。


「今回のお宝はどうなんだい?」


「そ、そりゃあ、まあ、いっぱいさ……」


「ふーん?」


「……あげないぞ?」


「いらないよ」


 態度がいちいち図太い。グレイスは思った。


 自分を三語で表すならば悪癖あくへき悪態あくたい悪人面あくにんづら。風貌だってくないし口調だってがなり気味。堅気カタギの奴なら近づかない。ゆえに驚き呆れる。マルトとかいう戦場をうろつく少年に。


(私を怖がらないあたり、あながち大言フカシじゃないかもな)


 彼が着ているコートの裏には無数のポケットがい付いている。首元のすすけたマフラーは人相を隠すため。ひょうきんな身振りも道化術という詐欺師が懐柔に用いる技だ。こうしたを身に着けている少年に対し、


(子供は戦争を遊具おもちゃにする、か)


 と、心の裏で思った。


「で? あんたは私に何して欲しくてついて来たんだい」


 問うと、マルトは見せつけるように胸を膨らませた。


「お姉さん……どうかオイラを弟子にしてくれ!」


「……なんて?」


 熱い空耳が聞こえた気がした。


「アトルギアをボコボコにしてたお姉さんがかっこよくて! オイラ、お姉さんみたいになりたい。 お願いだ、師匠と呼ばせてくれ!」


 だが少年の紅潮した頬はごまかせなかった。輝く瞳の勢いに一歩のけぞる。


「バカこくんじゃないよ! 誰があんたみたいなチビガキを!」


「ガキじゃない、もう大人だい!」


「いくつだよ」


「十三歳だ!」


「ガキじゃねえか!」


 十三歳にしてはあどけない顔である。


「なあ、この通りだ。オイラは家族もいない、天涯孤独は本当だ。ずっと一人で生きてきた。お姉さんの役に絶対立つ。オイラを置いちゃくれないか!」


「知った事か。不幸自慢なら他所よそでやれ」


「自慢だったら、オイラにとっておきの技があるんだ、見とくれよ!」


 おもむろに懐に手を突っ込んだマルトは用途不明の玉をいくつか取り出し、宙へ放り投げだした。それを順繰りにキャッチしては再び投げる。何の変哲もないジャグリングである。


「な? な? すごいだろう?」


 壁の外で狐狸けものの類が鳴く声。頭が痛くなってきた。


「……悪い事は言わねえ、とっとと安全な所に消えな。私は忙しいんだ」


 そう、自分は子どもの世話に手を焼いている場合じゃないのだ。グレイスは焚き火から串を引き抜く。


「腹空いてんなら、ほら、パンケーキ食うか?」


 とっておいたグレイスの好物だ。作り置きだが炙れば食える。貴重な甘味は子どもなら喜ぶはずだ。突き出されたパンケーキに一瞬だけマルトは硬直し、ごくりと喉を鳴らす。しかし直ぐに首をぷるぷる横に振った。


「だーかーらー! オイラはお姉さんにぃ!」


「はいはい」


 少年の鉄の意志にデカい舌打ちをした。らちが明かない。子犬のような吠え立てを聞き流しながら視線を外に逃避させる。崩れた壁の向こうは闇溜まり。街路に灯はなく、死んだような静寂が満ちてざらつく夜風が吹いている。


 ふと景色に違和感を持つ。先ほどまで闊歩していた、獣達の物音はどこに消えた?


 グレイスの背後で火粉ひのこがはじけた。


「……伏せな!」


 咄嗟にマルトへ飛び掛かった。同時に髪の毛先を鋭いものが貫く。キャビネットの硝子がらすが割れ、食器の砕ける音が響く。突き立ったのは矢だった。


「敵襲だ」


 アトルギアではない。奴らは鉛玉を撃ち出す奴はいても矢を射るなんて事はしない。だとすれば……。


「む、むぐう」


 腕を叩く感触。マルトが顔を真っ赤にしてグレイスの胸元で苦しんでいた。飛びついた拍子にパンケーキを口へとねじ込んでいたらしい。


「死んじゃうかと思ったぞ!」


「わりぃ」


 マルトはむせながら壁に隠れる。


「あいつらだ。守備隊とアトルギアの戦いに乱入して街を乗っ取っちまったんだ」


「あいつら、野盗……武装勢力ってわけ?」


「そうさ。たった五日前の出来事なのにもうすっかり我が物顔だよ。おかげで働きにくくなったもんさ」


 マルトが忌々しそうな顔をする。グレイスは口元に指を運んで考える。


「つーことは、アトルギアと戦う守備隊をさらに倒せるくらい強い集団って事だ」


「人数も多いんだ。元々キルナにいた連中みたいで名前は確か……テロル・サンチョ」


 聞き覚えがある。グレイスの幼少期から存在する小山の大将だ。地上げ屋のパンサ商会を母体とした弱小勢力だと記憶している。頭目はアロンソというかんの鈍い男だったはずだが、いつの間に街を制圧するまで成長したのやら。


「こんな街を欲しがる意味なんて薄いだろうに」


「混乱に乗じて民間人から略奪してんだ。何人も拉致らちされてるのを見たよ」


 そう言い合っている間にも幾条もの矢が飛び込んでくる。襲撃者の居所は隣棟で間違いない。グレイスはやたら大きなため息を吐く。


「……ったく、そういうのは早く言えよねスカポンタン」


 指ぬきグローブを嵌め直す。焚き火の薪を蹴飛ばして、あたりに暗闇を引き入れた。


「私の地元シマで悪さしてんなら、懲らしめなきゃイケねえだろ?」


 かき上げられた髪の下で、紫玉の瞳と口に浮かべた尖った犬歯が、月光を得て鋭く白んだ。


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