遠く斜陽の空に
手遅れだった。街の中心部でこの惨状なら、他もどうせ同じだろう。
「クソったれが」
不機嫌な女が、そこにいた。その女、獣のような気配である。
茜色の髪は砂塵を被り、
その女、グレイスは
「……ようこそ来たな。ジェントルメン。どうだい、キルナの居心地は?」
おもむろに両手を広げて語る先には、奇妙な影が居並んでいた。その影は四つ。
人間ではない。手足が異様に伸びた鋼色の体。真っ赤に灯った双眸が、無機質的にこちらをじいっと見つめている。逆光の中で雁首揃えてやって来たのは、高度知的無機生命体・
「滅ぼしがいはあったかよ?」
街をこんなにしやがった、クソみてえな
『目標ヲ捕捉。排除シマス』
不愉快な音声と排熱音を吐き出す。アトルギアは両腕に鉄爪を展開し、一斉に突進を繰り出した。巨体に見合わぬ速度である。赤い両眼の残像が視界におどった。
グレイスは知っている。奴らの正体は、人類が昔作った戦争のための兵器だと。人間を殺すのが存在理由。世界が滅んだ今でも人間を求めて地上を彷徨う哀れな人形だ。
奴らは殺しに躊躇がない。鉄爪が女の眼前に迫る。
「……自己紹介が遅れたね」
しかしグレイスは歯を見せた。身を反らして初撃を透かすと愛銃から弾丸をアトルギアの頭部に
「
続けて撃鉄を起こしつつグレイスは喋る。
「どんな時にも」
残った三体が同時に襲う。計算された殺意の斬撃に休む暇はない。しかし──めまぐるしく掻き乱される虚空にグレイスの実像はなかった。
「どんな場所にも現れる」
逆巻く風と共にその女が現れた時、アトルギアの群れは背後を銃口に差し出していた。銃火炸裂。閃光の明滅が走ると鋼色の胸部に風穴が
「さすらいの
グレイスは身を翻して反撃の一旋を流すと、胴装甲の継ぎ目に
アトルギアはあと一体。向かい合ったそいつに向けてグレイスはおどけた調子で肩を竦める。
「ご覧の通りな人間なんだが、どうやらあんたらと気が合うらしい」
こちらの首を狙った鉄爪が斜陽の反射を撒き散らす。グレイスは銃を腰に仕舞った。
「私も……ぶっ壊すのが大好きなんだ」
獣のような紫玉の瞳が、色づいた。
振り落とされた鉄爪に飛び込んだ。有効威力の内側に入ったグレイスの頭上で風を切る音。腕を振り抜き隙だらけの顔面に右のナックルを叩き込む。グレイスの拳には鉄板仕込みの指ぬきグローブ。膂力があれば殺傷力を伴う武器になるが、この一撃が機械相手に通用するのか。
愚問である。
アトルギアの頭部を護る面は大きくひしゃげ、長い手足で体勢を保とうと必死に後ずさりする。しかしグレイスは一切間合いを取らせない。ぴったりとくっついたまま巨体のインに入った姿勢でとめどなく拳を突き刺す。頭部を揺らされ続けるアトルギアにできる防御はひどく稚拙なものである。
アトルギアは銃火器、近接武器との間合いに最適化された戦闘マシン。よもや
愉悦の
錐もみ状に回転しながら跳躍するグレイスは砂塵の中で舞う。視線は獲物を捉えたままで、唇の間からやけに尖った犬歯が覗く。しなる関節。伸びゆく大腿。後ろに向けて右脚を振り抜いた。
スピン・キック──
どうと地に沈む鋼色の鉄人形。グレイスは細かく痙攣する首のもげたアトルギアを踏み倒す。あっけなく果てた獲物に浮かべるのは玩具を壊した小児の色。くれてやるのは、サディスティックな睥睨。
「弱えな、お前。さっさと
ガチ袋から狩猟刀を抜き払い、胸にずどりと突っ込んだ。刀身は外骨格の隙間を裂いて火花と黒い油を噴出させる。アトルギアは激しく手足を動かし、数瞬ももたず四肢を投げた。
勝利。完膚なきまでの勝利。暴れ尽くした女の浅黒い肌には汗の一つも浮かばない。グレイスは、顔を
「口に入った」
頬についた機械油を指で拭うと、鐘がまだ鳴っている事に気づく。暮れなずむ空に霧散していく時報の音色。空虚な響きに、グレイスは何も応じない。馬鹿みてえだな、と小さくこぼす。崩れた街の中心でグレイスは、右の拳を高く掲げた。三つの指をぴんと張り、鐘楼に向けて突きつける。
「……帰ってきたよ、エーデルさん」
遠のく鐘声が届けてくれると願うように、グレイスは
帰る気なんて微塵もなかった。大嫌いな街だった。滅んでくれて嬉しいはずの思い出ばかりだった。なのに自分はここにいる。
帰ってきてしまった。彼と過ごしたこの街に。
地を這う風塵を蹴崩して、グレイスは廃墟の街へと歩みを進める。物言わぬ瓦礫を賑わす鉄人形の遺骸共を置き去りにして。