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脇差・長谷部国信1-8

「……っ」

 果南が咄嗟に頭を抱えて目を閉じた時――ざしゅ、と鈍い音が聞こえた。

「欅!?」

 沼倉が短刀を振り上げた時、それを振り降ろす寸前に両者の間に欅が入り込み、沼倉の手首を掴んだ。そして、あろうことか欅はそのまま彼の手を使って自分の腹を刺した。沼倉の力だけならそこまで入れない程深く突き刺さる。

「お、お前何して……!?」

 沼倉の手から、力なく短刀が落ちた。欅の血がべっとりついた短刀を見て、沼倉は震えながら後退した。

「ち、違う、僕は……そいつが、勝手に……」

「違わ、ないだろ。あんたは、俺を刺した。ここに、あんたの指紋がべっとりついた、俺を刺した短刀がある。出る所出たら、終わるのはあんたの方だ。分かったら、失せろ。そして、二度と……お嬢様の前に姿を見せるな」

「……っ」

 自尊心の高さを逆手に取った脅しだ。沼倉が悲鳴を上げて逃げ去るのを見送った後、欅は両膝を折った。しかし、倒れる事なく、膝を追った状態で地面に蹲っていた果南を見ると――満足げに微笑んだ。

「お嬢様、良かった……これで……」

「欅!」

 ふっと全ての力を抜いた彼の身体を、果南が正面から受け止めた。

「星乃、医者を!」

「は、はい!」

 星乃が医者を呼びに、診療所のある方角に向かって走り出した。星乃の足ならすぐに医者を背負って戻ってくる。それまで彼が持つか、の話だが。

 果南は横に寝かせた欅の傍で膝をつくと、すぐに手拭いを取り出す。それを腹部に押し付けるが、出血が多く、すぐに水分を吸っていく。

「欅、どうして……あそこまで、する必要なんて……」

 彼女の手元で、白い布が紅く染まる。

「まだ分からないのか? お前は。とんだお嬢さんだな」

 わなみが呟くと、果南が説明を求めるようにわなみを見た。

「もしそいつがただの使用人なら、多少の情はあったとしても、ここまではしない。何故なら、お前にはそいつを雇うだけの財がない。会社を失い、雇用主だった父を失い……もうそいつを縛るものはない。なら、何故そいつは今でもお前の傍を離れない?」

「そ、それは……」

「お前、言ったな? 自分には何もない、と。この砕けた刀以外、何もない、と。もし本気でそう思っているなら、とんだ格安だ。何もない? 一体何処を見て言っているんだ」

 わなみは両膝をつく果南に合わせて片膝をつき、折れた刀の欠片を見せる。

「お前の家を護る刀はもうない。だが、お前を護る刀はまだ在るだろ」

「……っ」

 そこまで言われて初めて気が付いたのか、果南は両目から涙を零した。そして、嗚咽を噛みしめるように右手で自分の口を覆った。

「だけど、私……何も、持っていない。欅に、あげられるもの、なんて……」

「お嬢様……」

 嗚咽交じりに呟く果南の左手を、欅が触れた。

「欅……」

「逆です。俺は、貴女から頂いたんです。貴女は、憶えていないかも知れませんが……あの時、俺は深い闇の中にいました。寒さと飢えしかない、孤独の中に……」

「やはり、そうか」

 今の言葉だけで理解するには十分だ。

「お前の動きは、裏社会のものだ。傷つける事を躊躇わず、自分の縄張りに入った奴を容赦なく叩きのめすのが当たり前の世界の連中のもの」

 身近なもの――例えば彼の場合は羽根付ペンだ。ああいった日用品を武器に変えるやり方も、闇社会の、社会の影でしか生きられない連中のものだ。孤児か、チンピラか――理由は不明だが。

わなみも、お前と似た奴を一人知っている。何も持たず、自分の死すら無関心だった奴を……。そいつは言っていた。“生きる理由が分からない。分かっていた事さえ分からない。だけど、この命に値打ちがあると貴方が言うなら、それを信じる。この命を持って、貴方が間違っていない事を証明してみせる。それが、私の信頼の返し方”と……。その男の忠誠心は、まさしくお前への信頼の返し。違うか?」

「あの時……私は、行き倒れていた貴方を助けた。だけど、それだけ。命をかける程の事、私は……」

「いいえ……暗闇の中で差し伸ばされた手は、極楽にも勝ります。あの時から、俺の命は貴女のものです。お嬢様……」

 血の気が失せて青白い顔だが、彼の顔は満足げで――とても美しかった。それこそ値打ちなどつけられない程に。

「果南。お前の刀は、確かに守り刀だった。時代が移ろうと共に主を変え、幾代も主を護ってきた。だから、お前の父や祖父、先祖もそれに倣って守り刀を大事にし、次の世代へ受け継いできた。だが、本当にそれだけか? お前が父親から受け継いだものは、本当に刀なのか?」

 ふいに、わなみは周囲に散らばった刀の欠片の中から棟の部分を拾い上げる。

「長谷部一派は、南北朝に最も活躍した刀工とも言われている。名物・へし切り長谷部を鍛えた初代が最も有名だが、国信も国重とは違った良さがある。一番有名なものは、上杉家の唐柏からかしわだな」

 国信は、国重と並ぶ長谷部一派を代表する刀工だ。特に、国信の良さは「皆焼ひたつら」にある。私見ではあるが、国信の作風は華やかなものが多い。皆焼――刀の焼き入れの時に、大体は刃先部分のみに焼き入れされるが、皆焼は刀身の刃先だけでなく、棟や鎬などの部分にも焼き入れを行う。この作風は長谷部国重も同じだが、国重はやや抑えめに対して、国信の皆焼は見られる事も視野に入れているように、華やかで豪快なのが特徴だ。

「国信の皆焼は、同じ皆焼を得意とする作風でも、国重とは違った良さがある。刀を鍛える時、どこを魅せるかが違ったんだろうな。初代と違った作風の国信を、お前は間違っていると思うか? 先人の想いを引き継ぐ事や歴史を次に繋げる事は立派だが、今お前がいる場所は先代達のいた過去ではなく、今だ。だから、今一度問おう。お前が、継承したのは刀だけか? お前にとっての〝宝〟は、折れた脇差一つか?」

「……違う、……」

 果南は、小さく首を振った。

「確かに大事な家宝だったかも知れない。だけど、私が受け継いだものは刀でも遺産でも会社でもない。私がお父さんから貰ったもの、託してもらったもの、私の宝物、それは……」

 果南はわなみに渡された刀の欠片を見つめた後、欅を見た。そして、彼の頬に触れる。

「ここに、ある……。ここに、ちゃんとあるんだよ」

 嗚咽交じりに、彼女は続ける。

「お父さんが、築いたものは会社でも、家宝でもない。きっと、私と貴方の間にあるような、そんなあったかいもの……。ごめんね、欅。私、当たり前すぎて、何も分かっていなかった。私には、貴方がいた。貴方が、どんな時も傍にいてくれたから、今こうして立っていられる。貴方は、私の最高の護り刀。だから……」

 果南は一度欅に向かってほほ笑むと、そのまま泣き崩れるように彼の首筋に顔を埋めた。噛み殺し切れない嗚咽が漏れ、微かに肩が震えている。

「お願い、生きて……生きていて、欅……」

「お嬢様……」

 欅は身体を起こす事は叶わないため、彼女の言葉に答えるように片手で彼女の頭を抱き寄せた。

「それが貴女の言葉なら、俺はそれに従うまで。俺は、貴女の護り刀、ですから……」

 彼の言葉で顔を上げた彼女の泣き腫らした瞳と、彼の労わるような瞳が重なった。普段なら美しくない、と思うだろう泣き顔や血だらけの姿が、何故か無性に愛おしく――美しい、と思えた。

「お前達。まだ鑑定結果を言っていなかったな」

 わなみが声をかけると、二人は同時に顔を上げた。

「最高価格だ……」


       *


「で? それで果南さんと欅さんは、行ってしまった、と」

 あの後、彼は診療所へ運ばれて緊急入院した。しかし、闇世界で長い間生きてきただけはあり、その身体は頑丈であり、常人の三倍の速度で回復し――全治三ヶ月にもかかわらず、三日で全快ではないが、普通に出歩いていた。

 正しくはまだ退院ではなかったのだが、あれだけの騒ぎがあったせいで居づらかったのか、二人は姿を消した。

「巷じゃ使用人とお嬢様の禁断の愛、とか駆け落ちとかで盛り上がってますよ」

「のようだな。どうやら東宮が築き上げた商流ルートが二人を手助けしたようだな」

 数日後に送られてきた文によると、二人は父親のかつての商売仲間や取引先などを頼りに点々と町を移動し、今は自分達の事を誰も知らない町でひっそりと暮らしているらしい。

「だからって、一言くらいあってもいいじゃないですか! あれだけ頑張ったのに、刀は壊れるわ、華族の坊やだってちょっと華族界で後ろ指刺されるくらいだし」

沼倉良太は、あれでも華族だ。家柄による面子が関わるが、今回の騒動自体彼が独断で引き起こした事らしく――結局、果南への求婚話が漏れて、華族の間では「商家の娘に求婚して振られて逃げられた」、「商家の娘を物にしようとチンピラまで雇ったが、駆け落ちして逃げられた」と言われており、あながち間違っていない。

「まあ、面子第一の華族様としては大打撃で、ざまあ、って感じですけど!」

「……珍しいな。お前が無収入なのに文句を言わんとは」

「むぅ! 御主人は私を何だと思っているんですか! 確かに、ただ働きなんて大嫌いですけど……今回は、いいんです!」

 ぷい、と星乃は作業机付近の椅子の上で頬を膨らませた。その手元には果南からの文がある。

 ――こいつは、いちいち分かりやすいな。

「やめておけ、星乃。あの男はお前ではない。お前も、あの男ではない」

「御主人……」

 図星だったのか、彼女は火が消えたようにシュンと肩を落とした。

「ねえ、御主人……」

「小遣いはやらん」

「そうじゃなくて! それも欲しいけど、今は違います!」

 欲しい事は否定しないのか。

「どうして、あの時……御主人は、私を助けてくれたんですか?」

 ふいに顔を上げると、いつになく真剣な表情で彼女が作業に没頭していたわなみを凝視していた。いつもわなみが鑑定する時の目と――真贋を見極める目で。

 ふいに、脳裏に星乃のいうあの日の光景が浮かんだ。


 ――『ほう、最近巷を騒がせている盗人とは、お前の事か。また随分と手癖の悪い子猫もいたものだ。ん? 言葉が分からんか。いや、言葉だけでなさそうだな』

 ――『来い、子猫。わなみが、お前に……教えてやる』


 ――『この世の沙汰も金次第。この世界での生き方を叩き込んでやろう』


 言語もろくに知らず――いや教えてもらう相手すらいなかった小娘が、今では生意気な言葉を叩くようになったものだ。たまに教育間違えたかも、と思う事もあるが。

「あれが助けただと? 忘れたのか。わなみはお前を助けたのではない。言葉も、金の数え方も知らん子猫を、教育したにすぎん。だから……」

 わなみはそこで一度言葉を切る。そして、かつて彼女に言ったものと同じ言葉を繰り返す。


「だから、お前の価値をわなみに示せ」


 同じ言葉を言われたせいか、星乃は一瞬目を見開いたが――すぐに満足げに「ふふん」と殊勝な笑みを浮かべた。

「今更言われなくても分かってます。まあ、私みたいな美少女が困っていたら助けたくなっちゃう気持ちは分かりますが。あー、美少女に生まれてきて良かった」

「いや、ちょうど人手が足りんかったからだ。それに、あの時お前がわなみの家に盗みに入って壊した可愛い浪漫ちゃんの請求分が……」

「えー、星乃ちゃん何の事だか分かんなーい」

 とぼけやがって!

 先程の儚げな顔は演技だったように消え失せ、いつも通り瞳に小判を宿した。

「ねえ、御主人。こんな美少女が奉公しているんですから、給料を……」

「上げん」


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