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脇差・長谷部国信1-5

「刀種は、脇差に違いないな」

 脇差は、三〇・三センチ以上、六〇・六センチ未満のもので、刃は上向きに腰に差す。そして、大きさからしてこれは脇差にしては長めで一見打刀に間違いられそうだが、ギリギリ脇差の許容だ。

「えー、でも御主人。脇差にしては結構大きくないですか? 私、脇差ってもっと……」

「阿呆。どこからどうみても脇差だ。おおかた脇を刺すから脇差、とでも思っていたのだろう」

「え? 違うんですか?」

 違ってほしかったのは、こちらの方だ。

「脇差の脇は、脇役の脇だ。江戸では二本差しが主流で、大小の刀を差す事が定められていた」

 大刀を本差し、小刀を脇差と呼んだのが起源とも言われおり、予備として用いられる事が多かった。現在では本差し、脇差しによる分類ではなく、単純に大きさで区別している。

「成程! つまり打刀が光だと、脇差は影って事ですね!」

「星乃。少し黙っていてくれ」

「むぅ、分かりやすいと思ったのに。いいですよ、もう! 後で無言代請求しますから」

 機嫌を損ねてしまい、星乃は頬を膨らませながらそっぽを向いた。お蔭で集中出来る。

 まず作業机の上に寝かせた脇差に向かって両手を合わせて礼をする。次に、目釘を抜いて刀身を柄の中から取り出し――、

「……これ、は……」

 この刀は、〝まずい〟。一目見ただけで、それだけは分かった。この刀がこれから辿るだろう結末は、きっと彼女にとって良くないものだ。しかし――

「御主人?」

 黙り込んだわなみを不審に思った星乃が顔を覗き込んだ。「何でもない」と簡単に答えると、わなみは視線を脇差に戻した。

 ふいに、脳裏に『あの人』の言葉がよぎった。


 ――『いいかい? 天虚。我ら鑑定師は真実を見極めるのが仕事だ。だが、真実は所詮結果に過ぎん。それがそのまま正しいとは限らない。ゆえに、我らは常に何が最良か見極める必要がある』


 真実は真実として、それがそのまま正しいとか限らない――か。

 ――そうだ。わなみは鑑定屋。ならば、真実を読み解くのみ。

「刃長、三〇・五。反りは〇・三、か。随分と古い刀だな」

 手入れはされているが、それだけでは拭いきれない時間による錆が目立つ。特に刃先や刃にかけて錆が広がっており――明らかに人を斬った跡だ。錆具合や鉄の若さからして、時代は――南北朝時代のものか。

 ――それに脇差にしては身幅が広い。

 脇差は細身な造りが多いが、これは包丁のように身幅が広い。

「〝造り〟は平造り。〝刃文〟は、目刃めは、だな」

 刀に関する知識は皆無と思える果南と欅に、分かりやすいように刃を見せる。そして、直に触れはしないが、刃文の部分を指でなぞる。

「刃文は焼き入れの工程で出来るものだが、これはその中でも乱れ刃と呼ばれ……」

 と、わなみは波を模した線を指で差す。

「その中でも互の目刃は、一定の間隔で波打つものだ」

 刀剣の最も美しい点は、刃文であり――、特に乱れ刃は好まれる。大袈裟なくらい乱れている方が人の目を惹き、それに魅入られる人も多い。

「互の目刃は乱れ刃の中でもうねりが一定間隔で、大人しい方ではあるがな」

 次に、わなみは刀身を少し傾け、刃全体を見せる。

「次に〝地鉄じがね〟……地肌じはだとも言われ、折り返し鍛える時に生じる鍛え肌、簡単に言えば刀の肌だな」

 地鉄は材料となる鉄などで模様が決まり、作られた時代や地域を判断するために必要な要素の一つだ。

「基本は板目いため肌……読んで字の如く木の板目に似た模様だが、これは……杢目肌もくめはだ。板目肌の一種で、板目肌よりも丸く、木の切り口の年輪に似た模様が特徴だ。こいつは、その中でも、円の大きい大杢目に該当する」

 わなみなりに分かりやすい言葉を選んだつもりだが、やはり三人ともキョトンとした顔になっている。星乃は、そろそろ減給しよう。

「そして、なかごだが、これは船底ふなぞこ型と呼ばれる、なかごの刃の方が揺るかな曲線を描いているものだ。杢目肌は備前に多いが、この特徴的な船底型は、相州伝のものだ」

 地域によって刀工の造りは特徴的だ。特に相州伝は、山城伝が貴族向けなら、こちらは武家向けであり、この脇差のような身幅が広く、見た目から圧倒される外見のものが多い。といっても、ここは刀工の趣味だから特徴とは言ってしまうのは語弊があるかも知れないが。

「相州伝の特徴は、互の目刃にある。刃文が互の目刃に小にえが冴えているのが分かるか?」

「小沸、ですか?」

 果南が首を傾げた。

「沸とは、刃文を構成する二種の内の一つ。白い粒状の粒子が大きいもの……まだ肉眼でギリギリ見えるものを沸、霞がかって見えないものをにおい、と呼ぶ」

 この二つは、焼き入れの温度で決まる。焼き入れ温度が高ければ沸、低ければ匂。温度によってどちらか一つがなくなるわけではなく、二つは必ず存在するが、どちらが目立つかで決まり、沸が大きければ「沸出来」、匂が大きければ「匂出来」となる。

「相州伝は沸が冴えているのも特徴だ。あとは特徴的なものといえば、刃文がのたれに互の目、丁字を交える……まさに、こいつそのものだ」

「ええい! つまり、何なんだ? 分かるように言え」

 痺れを切らした欅が、怒鳴りかける。寸前で果南に服を引っ張られて止まったが。

「つまり、これは相州伝の、それも南北朝時代の脇差……作風から見て、刀工は長谷部国信だ」

「長谷部国信、ってたしか長谷部国重の弟さんですよね?」

「ああ。子息や門下の一人という説もあるが、弟説が一番多いな」

 珍しく星乃も知っていたようだ。今年で六年目だから当然ではあるが。

「あの、すみません。私、刀には詳しくなくて……長谷部さんってどなたですか?」

「ああ、すまない。長谷部国重は長谷部一派の初代刀工だ。国宝のへし切り長谷部の刀工って言えば分かるか?」

長谷部国信は、国重と同じく山城の刀工だが、彼の場合少し特殊であり、相州正宗――相州の完成者と呼ばれた刀工の門で学んだため、作風は相州のものだ。つまり、山城の刀工でありながら相州の作風を貫いた刀工だ。

「あの、御主人。南北朝時代に鍛えられた、長谷部国信の脇差……って、それ、『浪漫財』じゃないですか!」

「のようだな」

「それで華族の泥倉さんが狙っていたんですね!」

「沼倉、な。影響されるな」

 相州は今でいう神奈川。おおかた流通関連で仕事をした時に偶然手に入れたか、或いは他の理由か。

「許さん! そんな理由で旦那様の会社を、脇差を……あまつさえお嬢様と婚姻など!」

 一人闘志を燃やす欅を、何か言いたそうな顔で果南が見上げた。

 ――あまりこういうのは立ち入るのはよくないが……これも、脇差のためか。

「果南。お前、脇差をどうしたい?」

「どう、って……」

「聞けば、会社は倒産し、父を失い……お前に残されたのは家の守り刀のみと言っていたが、本当に、それだけか?」

「それだけ、って……遺産は全て倒産した時の借金返済や社員の給金などで使ってしまいましたし……私には、何も……」

 果南は顎に手を置いて考え始めた。

「本気で気付いていないのか。最低価格だな」

 わなみの言葉に、果南は探るように顔を上げた。対するわなみは傷つけないように丁寧に刀身を柄の中に戻すと、それを作業机の上に抜き身の状態で置く。

わなみの鑑定結果を申す。これは……」

 と、わなみが言いかけた時。大仰な物音を立てて店の扉が蹴られた。


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